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第129講 合衆国の繁栄とソ連の台頭

129-1 ワシントン会議とワシントン体制

戦間期と勢力交代


 第一次世界大戦から第二次世界大戦の間の時期を戦間期という。この間に、列強の勢力関係は大きく変化した。

 大戦後、国際政治における西欧列強の国際的地位は低下した。ドイツの思想家1)シュペングラーは著書『2)西洋の没落』で、ヨーロッパのキリスト教文化は終わりに近づいた、と論じた。

 一方、アメリカ合衆国と日本は国際的な地位を高めた。

 また、ロシア革命後の混乱を脱したソ連は、急速に工業化し、西欧列強をおびやかすようになった。

 大戦後、アメリカの力により維持される平和「3)パクス=アメリカーナ」がはじまったとされる。

ワシントン会議

 1921年共和党の4)ハーディング大統領(任1921-23)は、1921年から22年にかけて5)ワシントン会議を主催し、アジア・太平洋における日本の勢力拡大を抑えつつ、アメリカ主導の新秩序確立をめざした。三ヶ月にわたったこの会議では、3つの条約が締結された。

 6)四ヶ国条約(1921)
 米、英、仏、日の四カ国で太平洋の現状維持を定めた。各国の委任統治領の維持が確認され、南洋諸島は引き続き日本の委任統治領とされた。また、7)日英同盟解消が決まった。*付け足したように見えるが、合衆国の真のねらいは日英同盟の解消にあった。

 8)海軍軍縮条約(1922)
 主力艦のトン数を米5:英5:日3:仏1.67:伊1.67に制限した。

 9)九ヶ国条約(1922)
 上記五カ国にベルギー(白)、ポルトガル(葡)、オランダ(蘭)、それに中華民国を加えた九カ国が調印、中国の領土保全、門戸開放、機会均等を定めた。これにより中国における日本の特殊権益を認めた10)石井=ランシング協定を破棄した上で、日本は11)山東省権益を返還し二十一か条要求の一部を放棄した。


 中華民国北京政府が求めた12関税自主権の回復、治外法権の撤廃、外国軍隊の撤退、租界の回収は拒否された。*北京政府の権威が低下し、中華民国国内では内戦状態が続いた。

 これらの条約で合衆国は、アジア・太平洋における日本の勢力拡大を抑え、軍備縮小によって戦争の抑止を目指した。ワシントン会議で確立した東アジア・太平洋の新秩序を13)ワシントン体制という。

 日本では1922年、ワシントン会議全権を務めた加藤友三郎が組閣し14)シベリア撤兵(シベリアから撤兵)を実現した。

129-2 アメリカ合衆国の繁栄と大衆社会の出現

共和党政権

 第一次世界大戦は、世界経済に大変動をひきおこした。アメリカ合衆国は債務国から1)債権国となり、工業力でも他を圧倒し、ブリテンのシティにかわってニューヨークの2)ウォール街が世界経済・金融の中心となった。

 1920年代の合衆国では、経済界の利益を重視する共和党政権が3)ハーディング(任1921~23)4)クーリッジ (任1923~29)、5)フーヴァー (在職1929~33)の3代12年にわたってつづき、国内産業には6)自由放任政策、輸入に対しては7)高率保護関税政策がとられた。

 外交では8)孤立主義をとり、国際連盟には参加しなかったが、社会主義の・共産主義の拡大を阻止し、市場を拡大するために積極的な外交政策を展開し、ドイツの経済復興や中国の民族運動を支援した。

 1920年に9)女性参政権が実現し、20年代いっそう女性の社会進出がすすんだ。

黄金の20年代


 1920年代の合衆国の繁栄は「10)永遠の繁栄」または「黄金の20年代」といわれ、自動車や家庭電化製品が普及し11)アメリカ的生活様式が世界の憧れとなり、映画やラジオ・スポーツ・大衆音楽など12)現代大衆文化が開花した。→本格的な13)大衆消費社会が到来した。

  • 大量生産によって生産コストが下がり、消費者が大量消費することで経済成長が持続する14)大量生産・大量消費社会が到来した。┌政権交代可能な議会制民主政治に寄与。

  • 技術者・専門職・事務職。セールスマンなど15)新中間層の増加が大量消費を支えた。

  • 戦前まで上流階級のステイタスシンボルだった自動車は、自動車王16)フォード(フォード社)が導入した17)「組み立てライン」方式による大量生産(1913)によって大衆にも手の届くものとなった。*この頃割賦販売が導入され、中産階級(新中間層M)が自動車や家電製品を購入しやすくなった。

  • 電気冷蔵庫をはじめとする18)家庭電化製品の普及は、大衆消費社会の到来を告げるとともに、家事の負担をやわらげ、女性の社会進出を後押しした。

  • 思想では、実際に利益と効果が認められる理論や法則を真理と考える19)プラグマティズムの思想がもてはやされた。哲学者・作家20)デューイは、プラグマティズムの立場をとり、哲学を現実に力をもつものにしようとした。主著『民主主義と教育』。シカゴに自らの思想を実践する「実験学校」を設けた。

  • 1920年代の合衆国では、ボクシングや野球などのプロスポーツやジャズ音楽がさかんになり、ラジオや映画、広告など新しいメディアの発達は、一部の人々に限られてきた文化や娯楽を一般の人々に開放し、21)大衆文化の普及をもたらした。


20年代の流行・有名人  
 ルイ=アームストロング(ジャズ) 
 ベーブ=ルース(野球)
 リンドバーグ(大西洋無着陸横断飛行、「翼よあれがパリの灯だ」) 
 摩天楼 
 アル=カポネ(マフィア)
 アカデミー賞 
 チャールストン 
 ミッキーマウス  
番外編:
 グミキャンディ(独) 
 カルピス(日本)

「永遠の繁栄」はアメリカ人に自信を与え、保守的な風潮を強めた。

 22)禁酒法の成立は、保守的で宗教色の強いアメリカ社会の一面を物語る。*密輸・闇取引が横行し1933年に廃止された。*プロテスタントの禁欲的価値観(イスラームの影響?聖書ではワインを飲んでいる)

 アメリカ社会の中心は、23)ワスプ(WASP、White Anglo-Saxon Protestant)とよばれる白人で、同じ白人でもカトリックのアイルランド系やイタリア系は差別され、アフリカ系やアジア系移民は人種偏見の対象とされた。移民に対する風当たりが強くなり、1924年制定された移民法では、日本人などのアジア系移民は事実上禁止された(24)排日移民法)。

 社会主義への差別や弾圧も起こった。1920年イタリア系移民で無政府主義者(アナキスト)とされたサッコとヴァンゼッティが殺人事件の犯人とされ、証拠不十分のまま、死刑となった。これを25)サッコ=ヴァンゼッティ事件という。*左派・無政府主義に対する弾圧事件。

129-3 ソ連の一国社会主義

ソヴィエト=ロシアの危機と再編

 ロシア革命後の1)内戦や1918年から22年まで続いた2)干渉戦争、さらに3)ソヴィエト=ポーランド戦争(1920-21)などの危機を、レーニンのソヴィエト政権は、厳しい農産物徴発や産業統制をともなう4)戦時共産主義で乗り切った。

 1921年ラトヴィアのリガでポーランドとの講和条約(リガ条約)が結ばれ、ポーランドにウクライナとベラルーシの一部を割譲した(リガ線)。*ポーランドの指導者5)ピウスツキは祖国回復の英雄とされた。

 厳しい戦時共産主義への不満が高まると、ソヴィエト政府は1921年から、食糧の強制徴発をやめ、農民に余剰穀物の自由販売を認め、中小企業の個人経営を許すなど、資本主義の要素をある程度復活させた。これを6)新経済政策 (ネップ)という。これ以降、資本主義国はソ連(ソヴィエト政権)を承認した。

 1921年には7)英ソ通商協定が結ばれ、ブリテンは事実上ソヴィエト政権を承認した(正式国交は24年)。

 1922年ドイツとの二国間交渉により独ソ二国間に8)ラパロ条約が締結され、ソヴィエト=ロシアとドイツは相互に国家を承認しあった。 *ワシントン体制と合わせて主要7カ国。

ソ連の成立


 1922年、ロシア(都モスクワ)・ウクライナ(都キエフ)・ベラルーシ(都ミンスク)・ザカフカース(都トビリシ)の四つのソヴィエト共和国からなる9)ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が建国され、中央アジアもソヴィエト政権の支配下に入った。1924年10)ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法が公布された。

 サカフカースは、アルメニア・アゼルバイジャン・グルジアのカフカス三国をまとめたもの。1936年に3共和国に分割されたが、各国は内部に少数民族を抱えた。

 中央アジアのムスリムたちは、知識人を中心にロシアからの独立運動を開始し、1920年ブハラ=ハン国とヒヴァ=ハン国を滅ぼして共和国を樹立したが、1922年ソヴィエト政権の支配下に入った。民族ごとの社会主義共和国に再編され、最終的にカザフ・キルギス・トルクメン・ウズベク・タジクの5国が成立した。

 資本主義国のうち、1924年英・仏・伊が、25年日本が、33年合衆国がソ連を承認した。

 1924年英国では左派労働党11)マクドナルド内閣が成立し、ソ連を承認した。

 1924年イタリア・ファシスト党ムッソリーニ政権は英国に続いてソ連を承認した。

 1924年フランスではエリオ左翼連合政権が成立しソ連を承認した。

 1925年日本の加藤高明内閣日ソ基本条約を締結しソ連を承認した。同年、普通選挙法治安維持法を制定。

 合衆国は20年代共和党政権がソ連を承認せず、1933年民主党政権(F.ローズヴェルト)が承認した。


 1924年にレーニンが死ぬと、指導者間の争いが表面化した。ヨーロッパ革命の可能性が消えるなか、書記長の12)スターリンはロシア一国だけで社会主義を建設できるとする13)一国社会主義を主張して勢力をのばし、彼を支持した14)ブハーリン(のち粛清された)らの協力をえて、15)世界革命の必要性を説く16トロツキーを追放(亡命先メキシコで暗殺)した。

重要語句


129-1

1)シュペングラー:シュペングラーはドイツの歴史家・哲学者で、「西洋の没落」の著者。彼は文化の進化と衰退を季節のサイクルに喩え、西洋文化の終焉を予言しました。

2)西洋の没落:シュペングラーの著書で、彼はここで西洋文化の終焉と新たな文化の興隆を予言しました。その視点は歴史の循環性と文化の相対性を強調しました。

3)パクス=アメリカーナ:「アメリカの平和」を意味し、二度の世界大戦後、特に冷戦期にアメリカが世界の安全保障体制を主導した時期を指します。その期間、アメリカは自身の価値観と制度を世界に広めるための影響力を行使しました。

4)ハーディング:ハーディングは、1921年から1923年までアメリカの大統領を務めました。彼の任期中には、ワシントン会議が開催されました。

5)ワシントン会議:1921年から1922年にかけて開催された国際会議。アメリカ主導で、海軍軍縮と太平洋地域の地政学的安定化が図られました。

6)四ヶ国条約:ワシントン会議で成立した条約の一つ。ブリテン、アメリカ、フランス、日本の四国が太平洋の地位を確認し、特に日本の南洋島群とフィリピンの地位を保障しました。

7)日英同盟解消:1921年のワシントン会議において、日本とブリテンの間の同盟関係は終了し、四ヶ国条約に取って代わられました。

8)海軍軍縮条約:または「五力条約」。ワシントン会議で締結され、参加国(アメリカ、ブリテン、フランス、イタリア、日本)の戦艦と航空母艦の保有トン数を制限し、軍備競争の抑制を図りました。

9)九ヶ国条約:ワシントン会議で成立したもう一つの重要な条約で、中国の領土完全性と門戸開放政策の尊重を各国が約束しました。

10)石井=ランシング協定を破棄:ワシントン会議において、日本とアメリカは石井=ランシング協定を破棄し、中国の領土完全性と主権尊重を確認した。

11)山東省権益を返還:九ヶ国条約に基づき、日本は第一次世界大戦後に獲得した山東省の権益を中国に返還しました。

12)関税自主権:国が自国の貿易政策を自由に決定する権利。特に関税に関する決定権を指します。

13)ワシントン体制:ワシントン会議によって確立された国際秩序。主に海軍軍縮と太平洋地域の地政学的安定化を目指しました。

14)シベリア撤兵(シベリアから撤兵):第一次世界大戦後、アメリカとその他の連合国は、ロシア革命とそれに続く内戦への干渉の一環としてシベリアに部隊を派遣していました。しかし、1922年にはほとんどの部隊が撤退しました。

129-2

1)債権国:他国に対して債権(貸し付け)を持つ国のこと。特に、第一次世界大戦後のアメリカは、ヨーロッパ諸国に対する融資を拡大し、世界最大の債権国となった。

2)ウォール街:ニューヨークに位置するアメリカの金融中心地。証券取引所や大手銀行が集まる地区で、世界経済に大きな影響を及ぼす。

3)ハーディング:ハーディングは、1921年から1923年までアメリカ合衆国の大統領を務めた。彼の任期中には「ティーポット・ドーム事件」など、いくつかの政治スキャンダルが発生した。

4)クーリッジ:クーリッジは、1923年から1929年までアメリカ合衆国の大統領を務めた。彼は小さな政府と自由放任政策の支持者であり、「沈黙するカル」のニックネームで知られている。

5)フーヴァー:フーヴァーは、1929年から1933年までアメリカ合衆国の大統領を務めた。彼の任期中にウォール街の株式市場が大暴落(ブラック・サーズデー)を引き起こし、大恐慌が始まった。

6)自由放任:経済活動に対する政府の介入を極力排除し、市場の自由な競争によって社会全体の富を増やすとする経済思想。

7)高率保護関税:自国の産業を保護するために、輸入品に対して高い関税を課す政策。これにより国内産業の競争力を維持しようとする。1920年代のアメリカでは特に高率保護関税政策が採用されていた。

8)孤立主義:国際的な紛争や戦争から離れ、自国の利益と安全保障を最優先する外交政策の立場。1920年代のアメリカは、第一次世界大戦後の混乱から回避するために孤立主義政策を採用した。

9)女性参政権:女性に投票権を認めること。アメリカでは1920年に憲法修正第19条が批准され、女性の投票権が全国的に認められた。

10)永遠の繁栄:1920年代のアメリカの経済状況を表す言葉で、「黄金の20年代」とも呼ばれる。この期間はアメリカ経済が飛躍的に成長した時期を指す。

11)アメリカ的生活様式:アメリカの価値観、生活習慣、文化を指す概念。自由、個人主義、平等、物質至上主義などが特徴とされている。大量消費社会の進展と共に、1920年代のアメリカではこの「アメリカ的生活様式」が広まった。

12)現代大衆文化:大衆の日常生活や趣味、娯楽に密接に関連した文化。映画、音楽、スポーツ、ファッションなどが含まれ、1920年代のアメリカでは特にこの現代大衆文化が花開いた。

13)大衆消費社会:大量生産・大量消費の経済モデルが根付いた社会。大衆向けの製品が大量に生産・販売され、それに伴い大衆がそれらの製品を消費する。

14)大量生産・大量消費社会:技術革新や生産力の向上により製品が大量に生産され、それに伴い大量の消費が行われる社会。特にアメリカは1920年代にこの社会構造を形成した。

15)新中間層:専門的知識や技能を持つプロフェッショナルや、白領労働者など、労働者階級と既存の中産階級との間に位置する社会階級。20世紀初頭のアメリカでは、この新中間層が拡大し、社会構造の変化をもたらした。

16)フォード:ヘンリー・フォードは自動車製造における大量生産システムの開発で知られており、「組み立てライン」方式の実用化によって大量かつ効率的な生産を可能にし、自動車を庶民のものとした。

17)「組み立てライン」方式:製造工程を細分化し、各工程を連続的に進めることで生産効率を高める手法。ヘンリー・フォードが自動車生産に導入し、大量生産・大量消費社会の基盤を作った。

18)家庭電化製品:家庭で使用するための電化製品。洗濯機、冷蔵庫、電話などが含まれる。1920年代のアメリカでは、これらの製品が大量に生産・消費され、生活様式を変えた。

19)プラグマティズム:実用主義的な思想や行動指針。結果や実用性を重視し、理論や概念はそれがもたらす結果を通じて評価される。アメリカの哲学で特に影響力を持っていた。

20)デューイ:ジョン・デューイはアメリカの哲学者で、プラグマティズムと教育改革に大きな影響を与えた。彼は「学習することは生活すること」という考えを主張し、アメリカ教育の発展に寄与した。

21)大衆文化:社会全体、あるいはそれに近い大部分の人々が共有し、消費する文化。映画、テレビ、音楽などが含まれる。1920年代のアメリカでは、大衆文化が急速に発展し、社会に大きな影響を与えた。

22)禁酒法:1920年から1933年までアメリカで施行されていた法律で、アルコールの製造、販売、運搬を禁じていた。しかし、この法律は広範な抵抗と違法酒造を引き起こし、最終的に撤廃された。

23)ワスプ:White Anglo-Saxon Protestants(白人のアングロサクソン系プロテスタント)の略。社会経済的エリートとしてアメリカ社会における主導権を握ってきた集団を指す。

24)排日移民法:1924年のアメリカ移民法(ジョンソン-レイド法)で、日本を含むアジアからの移民を大幅に制限した。これは、アメリカ国内での排外主義の高まりと、特定民族への差別を反映している。

25)サッコ=ヴァンゼッティ事件:1921年にアメリカで発生した裁判事件。アナキズム(無政府主義)の信奉者である二人のイタリア系移民、サッコとヴァンゼッティが不適切な証拠に基づいて有罪判決を受けた。この事件は当時のアメリカ社会の排外主義と冷戦の始まりを象徴している。



129-3


1)内戦:ロシア革命の一部で、赤軍(ボリシェビキ)と白軍(反ボリシェビキ)との間で1917年から1922年にかけて発生した戦争。この内戦の結果、ボリシェビキが全土の支配を確立し、ソヴィエト体制を確立することに成功した。

2)干渉戦争:内戦期のロシアにおいて、ブリテン、フランス、アメリカ、日本などの諸外国が反ボリシェビキ側を支援して行った干渉政策を指す。

3)ソヴィエト=ポーランド戦争:1920-1921年に発生したソヴィエト連邦とポーランドとの間の戦争。結果としてリガ条約が結ばれ、ポーランドにウクライナとベラルーシの一部が割譲された。

4)戦時共産主義:内戦時にソヴィエト政権が採った政策で、強制的に農産物を徴発したり、産業を国家管理下に置いたりした。

5)ピウスツキ:ポーランドの軍人・政治家で、ソヴィエト=ポーランド戦争の間、ポーランド軍を指導し祖国の存続に貢献した。ポーランドの英雄とされている。

6)新経済政策:1921年からレーニンが始めたソヴィエト連邦の経済政策。農民に余剰穀物の自由販売を認めたり、中小企業の個人経営を許すなど、資本主義の要素をある程度復活させた政策。

7)英ソ通商協定:1921年にブリテンとソヴィエト連邦との間で結ばれた協定で、これによりブリテンは事実上ソヴィエト政権を承認した。

8)ラパロ条約:1922年にソヴィエト連邦とドイツとの間で結ばれた条約。両国は相互に国家を承認し、それぞれの国家の主権と平等を尊重することを約束した。

9)ソヴィエト社会主義共和国連邦:1922年にロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ザカフカースの4つのソヴィエト共和国からなる連邦国家として建国された。

10)ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法:1924年に公布されたソヴィエト連邦の最初の憲法。

11)マクドナルド内閣:1924年に成立した英国の左派労働党政権。ソヴィエト連邦を承認した。

12)スターリン:ソヴィエト連邦の政治家で、レーニンの死後、党内の権力闘争を勝ち抜いて事実上の最高指導者となった。一国社会主義を主張し、その政策のもとでソ連を工業国に変えた。

13)一国社会主義:スターリンが主張した思想で、ロシア一国だけで社会主義を建設できるとする理論。

14)ブハーリン:スターリン時代のソヴィエト連邦の政治家で、一国社会主義を支持。しかしスターリンによる粛清の対象となった。

15)世界革命:ボリシェビキが主張していた思想で、世界規模でのプロレタリアート(労働者階級)の革命を指す。

16)トロツキー:ロシア革命の指導者で、レーニンの死後、スターリンと権力闘争を繰り広げるも敗れ、一国社会主義政策を批判し続けた。世界革命の必要性を唱えたが、その思想はスターリンにより抑圧され、最終的にソヴィエト連邦から追放され、亡命先のメキシコで暗殺された。

練習問題129-1 ワシントン会議とワシントン体制

問題:

  1. 「西洋の没落」という著書を書き、西洋文化の終焉を予言したドイツの歴史家・哲学者は誰か?

  2. シュペングラーが西洋文化の終焉を予言した著書の名前は何か?

  3. 二度の世界大戦後、特に冷戦期にアメリカが世界の安全保障体制を主導した時期を何と呼ぶか?

  4. 1921年から1923年までアメリカの大統領を務め、ワシントン会議が開催されたのは誰か?

  5. 1921年から1922年にかけて開催され、海軍軍縮と太平洋地域の地政学的安定化を目的とした国際会議は何か?

  6. ワシントン会議で成立し、ブリテン、アメリカ、フランス、日本の四国が太平洋の地位を確認した条約は何か?

  7. 1921年のワシントン会議において終了し、四ヶ国条約に取って代わられた日本とブリテンの間の同盟関係は何か?

  8. ワシントン会議で締結され、参加国の戦艦と航空母艦の保有トン数を制限した条約は何か?

  9. ワシントン会議で成立し、中国の領土完全性と門戸開放政策の尊重を約束した条約は何か?

  10. ワシントン会議において、日本とアメリカが破棄し、中国の領土完全性と主権尊重を確認した協定は何か?

  11. 日本が第一次世界大戦後に獲得し、九ヶ国条約に基づき中国に返還した権益はどの省のものか?

  12. 国が自国の貿易政策を自由に決定する権利、特に関税に関する決定権を指すものは何か?

  13. ワシントン会議によって確立された国際秩序を何と呼ぶか?

  14. 第一次世界大戦後、連合国がロシア革命への干渉の一環として部隊を派遣した地域から、1922年にほとんどの部隊が撤退した行動は何と呼ばれるか?

解答:

  1. シュペングラー

  2. 西洋の没落

  3. パクス=アメリカーナ

  4. ハーディング

  5. ワシントン会議

  6. 四ヶ国条約

  7. 日英同盟解消

  8. 海軍軍縮条約

  9. 九ヶ国条約

  10. 石井=ランシング協定を破棄

  11. 山東省

  12. 関税自主権

  13. ワシントン体制

  14. シベリア撤兵(シベリアから撤兵)

練習問題129-2 アメリカ合衆国の繁栄と大衆社会の出現

問題:

  1. アメリカ合衆国が第一次世界大戦後に変わった国の立場は?

  2. 世界経済・金融の新しい中心となったニューヨークの地域名は?

  3. 1921~23年に合衆国の大統領であったのは?

  4. 1923~29年に合衆国の大統領であったのは?

  5. 1929~33年に合衆国の大統領であったのは?

  6. 1920年代のアメリカ合衆国の国内産業政策は?

  7. 1920年代のアメリカ合衆国の輸入政策は?

  8. アメリカが1920年代の外交で取った主な姿勢は?

  9. 1920年に実現したアメリカの社会的変革は?

  10. 1920年代のアメリカ合衆国の繁栄を代表する言葉は?

  11. 1920年代に世界が憧れたアメリカのライフスタイルを何と言ったか?

  12. 1920年代のアメリカで流行した大衆文化の要素は?

  13. 1920年代のアメリカで本格的に始まった社会の形態は?

  14. 大量の生産と消費が経済成長を持続させる社会をなんと言うか?

  15. 大量消費を支えた社会層の変化は?

  16. 大量生産された自動車の生産者は誰か?

  17. フォードが導入した生産方法は?

  18. 1920年代のアメリカで普及し始めた家庭用の製品は?

  19. 1920年代のアメリカで流行した実利主義的な思想は?

  20. プラグマティズムの哲学を主張したアメリカの哲学者・作家は?

  21. 1920年代のアメリカの文化や娯楽が一般の人々に開放された結果として生じたものは?

  22. 保守的で宗教色の強いアメリカ社会の法律の一例は?

  23. アメリカ社会の中心とされる人々の略称は?

  24. 1924年にアジア系移民を事実上禁止した法律は?

  25. 1920年に無政府主義者とされたイタリア系移民が関与した事件は?

解答:

  1. 債権国

  2. ウォール街

  3. ハーディング

  4. クーリッジ

  5. フーヴァー

  6. 自由放任政策

  7. 高率保護関税政策

  8. 孤立主義

  9. 女性参政権

  10. 永遠の繁栄

  11. アメリカ的生活様式

  12. 現代大衆文化

  13. 大衆消費社会

  14. 大量生産・大量消費社会

  15. 新中間層

  16. フォード

  17. 組み立てライン

  18. 家庭電化製品

  19. プラグマティズム

  20. デューイ

  21. 大衆文化の普及

  22. 禁酒法

  23. ワスプ(WASP)

  24. 排日移民法

  25. サッコ=ヴァンゼッティ事件

練習問題129-3 ソ連の一国社会主義

問題:

  1. ロシア革命後に起こった戦いは何と言われるか?

  2. 1918年から22年まで続いた、他国がロシアに介入した戦争は?

  3. 1920-21年に行われた、ソヴィエトとポーランドとの間の戦争は何と呼ばれるか?

  4. レーニンのソヴィエト政権がこれらの危機を乗り切るために実施した厳しい政策は?

  5. ポーランドの祖国回復の英雄とされる指導者は?

  6. 1921年に始まった、ソヴィエト政府の資本主義の要素をある程度復活させる政策は?

  7. 1921年にソヴィエトと結ばれた英国との通商協定は?

  8. 1922年にドイツとソヴィエト=ロシアとの間に締結された条約は?

  9. 1922年に建国された、四つのソヴィエト共和国からなる連邦は?

  10. 1924年に公布されたソ連の憲法は?

  11. 1924年に英国で成立した左派の労働党の内閣の首相は?

  12. レーニンが死んだ後、ソヴィエトの指導者として勢力を伸ばしたのは?

  13. スターリンが主張した、ロシア一国だけでの社会主義建設を表す言葉は?

  14. スターリンを支持し、のちに粛清された人物は?

  15. スターリンと対立し、世界革命の必要性を説いた人物の主張は?

  16. この世界革命を説く人物は?

解答:

  1. 内戦

  2. 干渉戦争

  3. ソヴィエト=ポーランド戦争

  4. 戦時共産主義

  5. ピウスツキ

  6. 新経済政策 (ネップ)

  7. 英ソ通商協定

  8. ラパロ条約

  9. ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)

  10. ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法

  11. マクドナルド

  12. スターリン

  13. 一国社会主義

  14. ブハーリン

  15. 世界革命

  16. トロツキー


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