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「うまいもんくいたい」とジェンダー

ようやく、留学生が入国できるようになってきた。
コロナの中、日本に来たいと言って連絡をしてきて、何度かの面接をくぐり抜けてお迎えすることができた。例年よりも感慨深い。

で、先日ちらっと会ってきた。二人の女子学生。

昼に会って、ちょっと日本の街を散策して、3時頃にお別れ。
二人とも日本はおろか、外国が初めてだということで、晩ご飯を食べたかどうか確認のチャット。

堤:「ご飯うまかった?」
学生1:「はい。うまかったです!」

この場合、どうします?
「うまい」という語は、僕の感覚では女性が頻繁に使用する語ではないような気がする。しかし、一方で、ある語を使うのに「女性が、男性が」というのはどうなのだろう? とも思う。

男性と女性とで、食べ放題の値段が違う店がある。男はよく食うから値段を上げているということらしい。しかし、これは「男というものは」というステレオタイプで物事を判断していて、「男というのはこういうもんだ」という、ややもするとマイクロアグレッション的なニュアンスを帯びる。「男の子はよく食べるよね? よく食べなくちゃ」みたいな。

これと同じ理由で、「うまい、食う、めし」などということばを使うのは男であって、女ではない、というのは、現状たしかにそのようではあるとは言うものの、なんの疑問もなくこれを受け入れることはできない時代になっている。

てなことを、本日大阪の大学で話したら、そこにいた女子学生が、「私ら、うまい、めし食ったってゆうでぇぇぇぇ」とのこと。大阪弁は特に男女の差が少ないような気もする。京都弁は、いろいろややこしい。

「そんなハシタナイことばをほったらかしにしておくだなんて!」というお叱りが来そうである。とりあえず、現状についてはその留学生たちに伝えておいた。あとは使うも使わないも本人次第である。

ちょっと脱線するかも知れないが、同じような理由で男性のことばの特徴、女性のことばの特徴を研究するという方法論は、これからなんらかの変換を迫られると思う。うちの院生が、男性はフィラーの使用が女性より多いという先行研究があると言っていたが、「僕は男性なのだけどフィラー少ないけどなぁ」とか、そもそも性別を二分すること自体が常識的でなくなっている現段階で、生物学的な性差が言語の使用のあり方に及ぼす影響はどのようなものなのか、それを研究するとはどのような意味を持つのか、ということについて、考えてみる余地はあると思う。

本当は、「うまい」を使ったらあかんという考え方をこそ、問題視するべきなのだろうと思う。これの延長線上には、敬語を使え、ビジネスシーンではこれがマナーだ等々、様々な「ニホンデハコーデアル」という、それを破ると評価を著しく下げることになるような地雷が延々と埋められている。

ちなみに、「お前がうまいゆうからマネするんやろがい。もっと標準的な日本語を教えんかい」という、上で書いた議論以前にも地雷が埋まっている。要するに、日本語で会話することには地雷が多い。「先生トハコーデアル」である。昔、日本語教育を始めた頃に、文章を書いていたら「こないだ」「おとつい」と書いたことに対して、「なっとら~ん」と目くじらを立てられたことがあったが、いまだに何を怒られたのか分からない(分かるけど分からない)。

「その地雷いる? なんのために埋まってるの?」と、1つひとつ、いまの時代に照らし合わせて聞いてみるという姿勢は、さしあたって重要なのではないかなと思う。

それとは別の次元で、ラジオパーソナリティの
「CMのあと、本日のゲストがご登場します」
という日本語については、違和感があるのだが。

どないやねん。

そう思って、今日の写真を見ると、この美しい静謐の中にも、地雷は埋まっているのだなと思う。

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