見出し画像

第23回 南方神社の石鳥居と焼酎のお話

こんにちは、阿久根市地域おこし協力隊のチャーリーこと濱田です。
普段はあまりお酒を嗜む方ではないので今まで焼酎はほとんど飲んだことがなかったのですが、先日焼酎の飲み比べワークショップに参加して飲み方や味わいを知りほんの少し成長した気がしました🍶

そこで今回は阿久根の焼酎にまつわるお話。

遡ること1600年代。場所は日置郡の折口村に代々酒造業を営んでいた折口重芳という男がいました。彼が造る酒は粟を原料にした琉球製法の焼酎で評判の名酒でしたが折口村ではなかなか買い手がないことに苦慮し、重芳は有名港であり参勤道も整ってきた阿久根への移住を決意しました。

働き者で信仰心も強い重芳は焼酎造りに精を出し努力する傍らで諏訪神社へ度々参拝したそうです。この諏訪神社というのは阿久根市波留にある南方(みなみかた)神社のことで祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)で1300年代創建の阿久根を代表する神社です。ここが生産の神としても信仰されていたため重芳は参拝すると
「焼酎づくりがうまく運び、家業が発展したらそのお礼として立派な石鳥居を奉納します」と誓ったそうです。

南方神社の社殿(撮影日は仮奉納が行われていました)

惜しまぬ努力の甲斐あってか「妙見川の清水」を発見した重芳はこれを焼酎造りに生かし「阿久根千酒(ちざけ)」と名付けた粟焼酎を完成させ、たちまち評判となりました。
この酒は阿久根宿に投宿することになった参勤途上の藩主島津光久の元へも届き、非常に褒め称えられ「今後、この酒は阿久根諸白(もろはく)と呼べ」と、最も上等な酒としての酒銘を与えられました。

このことから一段と評判が広がり重芳の焼酎造りはますます繁盛し、毎年新酒が出来ると藩主光久に献上しました。その後、重芳は名を折口伊兵衛尉重芳と名乗ることを許され、これまでの名声はひとえに諏訪神社のご利益であると大変に感謝した重芳は誓いどおりに石鳥居を奉納し諏訪神社へのお礼としました。(参照;阿久根のむかしばなし)

重芳が奉納した石鳥居

明治になってからは南方(みなみかた)神社という名前で呼ばれるようになった諏訪神社。
その参道の入り口にどっしりと構えた石鳥居は風格があり、努力家だった重芳の真面目さもあらわれている気がします。

妙見川の清水はここから出る水のことでは?と案内してもらいました

重芳が発見した妙見川の清水は恐らくここのことだろう、と焼酎メーカーの大石酒造の社長さんに案内していただきました。時期によっては現在も水が流れることがあるそうです。
妙見と呼ばれたこの一帯には阿久根フシギ発見第13回でご紹介したたのかんさぁがいる妙見神社跡もあります。是非こちらもご覧ください💁‍♀️
👇👇👇


☝️南方神社(諏訪神社)の詳細地図はこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?