文化は農耕によって形作られる?

仕事柄、色々な国籍の人たちと仕事をすることが多いのですが、良く雑談の話題になるのが、東西の文化の違いや、日本(や東アジア)の独自性についてです。関連して興味深い記事を見つけたので、メモをまとめたいと思います。

元論文について

The Rice Theory of Culture(米文化論)という総説ですが、元になった文献は、2014年にScience誌に掲載された論文になります。中国において、稲作中心の地域と麦作中心の地域において、住民の考え方にどのような違いがあるのか、明らかにした論文です。タイトルだけでは分かりづらいのですが、中国国内のことではなく、国と民族という条件を同一にしつつ、稲作と麦作が住民にどのような影響を及ぼしているのか調べる、ということが研究のテーマです。当時話題になったのか、National Geographic誌にも要約が掲載されました。

内容

まずは、稲作と麦作の違いです。稲作は麦作に比べて手間がかかります。適切なタイミングで種を蒔き、苗を育てて田んぼに植える、ぬかるんで足場の悪い環境で除草する、生育できるよう十分な水を与える、そのためのインフラを構築し、維持する。麦作に比べて、稲作はおよそ2倍の労力が必要だそうです。しかしながら、それだけの労力を投入すれば、稲は非常に高い生産性を持ち、少ない面積で多くの人を養うことができます。
必要な労力を確保するため、稲作文化では他の文化よりも相互依存性があり、協力し合う風土があるようです。互いに助け合う必要がある、助け合わなくてはいけない、ということで、安定した人間関係を重視し、社会の規範、相互監視も厳しく、また共同体の掟を破った者や、部外者にも厳しいという特徴があります。一方、麦作文化は驚くべきことに同じ中国国内でも稲作文化と比べて、自主性を重んじて、個人主義の傾向が強く、人間関係も柔軟で部外者に対しても寛容であるようです。
稲作と麦作の違いは人々の考え方とも相関があるようで、稲作文化の住民は、物事を全体として捉え、不一致や矛盾も受け入れる傾向がある一方、麦作文化の住民は分析的で、間違いを許容せず、矛盾もなく特定のターゲットに集中して考えるようです。自己を不完全な全体の一部と捉える稲作文化と、自己を起点に理屈で物事を捉える麦作文化は、典型的な東洋と西洋の考え方の対比のようです。
稲作文化は協力し合い、規律ある社会を構成しているという点で、良いものであるように思えますが、実は稲作文化では人々は内面に競争心と互いへの不信感を隠し持っているということも指摘されています。相互依存、協力し合う風土は妥協の産物であるのかもしれません。最後にこれらの違いは、稲作と麦作の違いだけによるものなのか、地理的条件や国家の存在がどのくらい影響を及ぼしているのか、今後さらに研究が必要であるとして、論文は閉じられています。

感想

文明の始まりは農耕からと言われており、そこでどのような作物を育てていたかによって文化が影響を受けている、という論考はとても説得力があります。また、稲作は麦作より手間がかかる、という前提から導き出される仮説と、現在みられる東西の文化の差異は辻褄が合う興味深いものです。著者が指摘したように、国家や地理的な要因、特にジャレド・ダイアモンドの「銃・鉄・病原菌」という書籍では、地理的な要因に由来するところが多いと解説されていますが、他の要素の関与や、因果関係が前後することもあると思います。
だけど、東西の文化の違いを説明する要素の一つとして、稲作であるか麦作であるかということは、少なくとも異文化を理解する上で助けになるストーリーであるし、また今後、大部分の人が農業から離れていくに従い、また変化が起こりうるのか、興味深いところですね。

参考文献

  • Talhelm, T. (2022). The Rice Theory of Culture. Online Readings in Psychology and Culture, 4(1).

  • Talhelm, T, et al.(2014). Large-scale psychological differences within China explained by rice versus wheat agriculture. Science 344.6184: 603-608.


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