言葉は気持ちの容れ物だと思った、ドイツ旅。
やっとやっと、ドイツへの旅が実現しました。
まさか行けるとは。数年前は思ってもいなかった、ドイツの学校を見学する旅。
ドイツの学校、見てみたいな・・・
全く現実的ではなかった夢が、なぜか、なぜか、実現しました。
ここに至れたのは家族の協力があったからなんだけれど。
家族、じいじばあば、ありがとう✖️100000
ずっとドイツ語が好きで、細く長く勉強していました。
でも間違えるのが怖くて、会話は今でもてんで上達しません。
でも今、ドイツ語の先生は優しくて、私のヘンなドイツ語を分かろうとしてくれます。
ここで気づいたこと。
・・文法がヘンでも、意外と伝わる・・・
逆に、頭の子音が聞こえないと、意味が伝わらない。wが弱かったりすると、頻出の単語でも伝わらない・・・
さてこのドイツ旅は、
間違えるぞ!!
という心構えで行きました。
といっても、ほんの短い文しか話せなかったですけど。
でも、その短い文でも、自分の言いたいことを伝えるために日本語じゃない言葉を使っている、ていうのが自分的に不思議でした。
知っている単語を並べるだけになってしまっても、気持ちを伝えることができること。
言葉が伝わっているように思えるけれど、伝わっているのはその中身。内容。情報。気持ち。
・・・言葉は道具だなあと、思った次第です。
もっと正確に話せるようになりたいし、もっと複雑な文も話せるようになりたいです。
ドイツ語を勉強したら、ドイツの教育が、もう少しわかるようになるかもしれません。
ドイツの人と話したら、どんなことを大切にしているのか、やはり分かるでしょうし。
ただ何かの会話するだけでも、自分とは何か、相手とは何か、自分は何をどう伝えようとしているのか。相手は・・・
そんな、普段は考える間でもないことの違いを、強く感じるのです。
それはやはり、教育の背景や目的に関わってきているのじゃないか、と思います。
そして、神様を喜ぶ人たちと、教会で歌を歌ってみたい、お祈りしてみたい、話してみたい。
教会の建物はほんとにきれいだったなあ・・・感激だったなあ・・・
どうしたら会話が上達するでしょうか?
・・・まず単語を改めて覚えよう、と思っています。
それから言いたくても言えなかった言い方を地道に調べて覚えていこう。
さてこの先。
どうでしょう。
やってみよう☺︎
神様の恵みがありますように。
写真は、クリスマスマーケットの準備が始まる直前の、コトブスという街の広場です。
空の色がどことなく日本より濃い気がしました。
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