見出し画像

怪物 だーれだ

同じ映画を2回も見にいくなんて久しぶりです。

子供の頃は映画館は入れ替え制ではなくて、宇宙戦艦ヤマトやブルースブラザーズを繰り返し見たものでした。

今では地方にある映画館は全て入れ替え制で、本当に見たい映画でないと2回見にいくことは無くなりました。

でもこの映画は2回見ました。しかも3回目いくところなんです。

これは映画の宣伝でもなく、単純に私がその映画の世界に迷い込みたいという映画だからです。

「怪物」だーれだ

監督是枝裕和、脚本坂本裕二、音楽坂本龍一。

1回目見た時、藪の中でした。芥川の藪の中と同じ状況に置かれて、迷路に入ってしまいました。作者の狙いもそこにあるのでしょうが、この映画を読み解くにはもう一回見なければいけない気持ちにさせられたのでした。

しかも、この映画は同じ出来事が別の視点で3回繰り返されています。それはほぼ1週間いや、それよりも短いかもしれません。せいぜい5、6日の出来事です。

すでに2回見たということは、同じ話を3回かける2回分、つまり6回体験したことになってしまっています。今からさらに3回加わるところです。

映画は見ると細かいところは忘れます。2回目見ても冒頭のシーンはあまり記憶に残っていませんが、ここからすでに謎かけが始まっていたようなのです。


まずは安藤さくらつまり母の視点。重なる誤解からモンスターペアレントと化してし舞います。この部分は安藤さくらのこともあり、社会的な批判を浴びた「万引き家族」とかと繋がっているのかなあ、と見ていました。見事裏切られましたけどね。

次に教師の視点。1回目の母の視点で、先入観を持ってみてしまうから、最初はやはり変な教師に見えてしまいます。そういうふうに仕掛けがしてあるんです。それが少しずつ解けてくると、

3回目は子供達の視点。ここで見えてくる別の真実はありますが、同時にそれも裏切られてしまい、いつの間にか非現実の、つまり嘘の世界に迷い込んでしまいます。「禁じられた遊び」や「大人は判ってくれない」とかを引用するのも気が引けます。

2回目みた後も真実と嘘、現実とファンタジーを往復していたことを最後に気付かされま下。おそらく3回目を見ることなりますが、また、楽しみ、いや苦しみと悲しみが混ざって終わることになるのでしょうね。

そして坂本龍一の音楽、冒頭がリストやベルリオーズが使った有名なフレーズと音の並びが同じ。そもそもこの音列もどこからかの借り物だったような気がして調べてみたらやっぱりグレゴリオ聖歌でした。二人の死への舞踏と見てしまう欲求を抑えないといけない。そんな深読みはしてはならないと心に言い聞かせながら見てました。2回目の時もその音列が始まり、その後に3つの音でそれが裏切られる。2回目終わった時には、ひょっとして、これはリスト・ベルリオーズの音を素直に受け止めていいんだよ、と言われているような気もしてきました。天国から良くもまあ、こんな仕掛けをするもんだ。

この映画は全てそんな騙し絵の中の話だったんです。

うーん、映画のネタバレをせずにいい映画を褒めるのはやっぱり難しいので、ここまでにしておきます。

これから3回目また騙されてきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?