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GW読書 万物の黎明 デビッド・グレーバー/デビッド・ウエングロウ

久しぶりにバンクーバーに来ているぜ.
GWには論文を書くという仕事もあったがそれをサボって700ページを読み終えたぜ。
この前にグレーバーのブルシット・ジョブを読んでその勢いのまま突っ走った。

人類学と考古学の新しい発見をもとに、文明とは何か、国家とは何か。農耕の起源はどうだったか。女権社会はあったか、というのを見直していく試みの本だよ。

これまでの歴史が、農耕革命や、男のヒーローが歴史を変えたっていうストーリーで出来たのを見直そうよ、ということを中心に半分遊び心でいろんな資料と向かい合っている。でもなんせ日本語に翻訳されているので、いろんなところに埋め込まれているはずの遊び心の表現、例えばロックの歌詞が消えて見えなくなっているのが残念。
そして前提を捉え直すことで我々が将来にできる選択肢はまだ沢山あるんだよ、という誘いの本でもあろう。

こんな本は長すぎてほとんどの人は読まないから、簡単にまとめると
1.人類史というのは、遊びのような様々な模索がなされてきて、いろんな選択肢、切り取り方があるんだよ
2.これまで男性中心に書かれてきたけど、農業とか、手工業とかは、男どもが狩猟に行っている間に残っていた女どもが遊び半分に始めたものがだんだん大きくなっていったんだぜ
3.そんな不真面目な農業が、3000年ぐらいかけて大掛かりな農業になっていったんだぜ
4.国の作られ方にもいろいろあって、農耕を拒否したり再開したりの繰り返しだったんだぜ
5.暴力と象徴とカリスマの度合いで国を定義することができるぜ
6.  啓蒙思想にはアメリカ原住民から学んだ平等や自由の考え方が入っているべ
7.  行き詰まっている今をもっと自由に考えてやり直すことも考えられるんだよ。

まあこんなところだろうか。
あとはいくつか、面白かったところ.特に量が多い「なぜ国家は起源を持たないのか」の部分だけの感想をいくつかメモ書きで紹介するよ。

「(北米にかってあった)ナチェズの王の例は、王を封じめることが王の儀礼的権力の鍵の一つとなるという、より一般的な原理を比類なき明快さを持って示している」天皇制の根拠はこれに近くないか

「人は恣意的な暴力が首尾良く行使された時ある意味で神聖視する、あるいは少なくとも、それをある種の超越的力と同一視するという、不幸な傾向を持っている」山上の首相殺人もこのように見られていくんじゃないか。

「私たちが馴染んできた民主主義は、実質的には、大物たちのくり広げる勝敗ゲームにすぎず、それ以外の人間は、ほとんど野次馬に過ぎないのだ」だから本当の民主主義には、くじ引きの方がいいのだろう。それを実施していた社会は多くはり、ベネチア共和国すらくじ引きで官吏を決めていたよ。今の日本の国会議員の資質を考えると、アホな国会議員より、ランダムくじ引きの方がむしろまともになるに違いないよね。陪審員制度を参考にすれば良い。

「これまでの章では、人が実際に実践できるような社会的自由の基本形態についてお話ししてきた。
(1)じぶんの環境から離れたり、移動したりする自由
(2)他人の命令を無視したり、従わなかったりする自由
(3)まったく新しい社会的現実を形成したり、異なる社会的現実の間を往来したりする自由」
(言論の自由なんて、この三つの自由に比べたら大したことはない自由だ)

日本は特に島国であるから、国外に逃亡するしかないじゃないか。国内逃亡では無理なのだ。昔義経が平家や頼朝に追われて奥州に逃げた時に、もし藤原氏が幕府に対して立ち向かえたのなら、逃亡先はあったかもしれないが、鎌倉幕府あたりで本州はほぼ統一されたんだろう..それ以降、中央政権が弱まると、他の地域に逃れるという選択肢があった時代もあったかもしれないが、今ではもう逃げ場は無い。海外逃亡するしかないが、そうさせないように教育では下手な英語しか教えてないんだぜ
他人の命令を無視したり、従わなかったりする自由はあるかもしれない。自分が無能になることかもしれない。

「最初の王は死んだ王であったはずだ(AMホカート)」自由民主党は阿部を慌てて国葬にしたのは神格化するためだったのだ。聖なる統治者にしてはならないよね。むしろ暗殺者を神格化することが自由への第一歩だよ。それは違法でもなんでもない。

まったく新しい社会的現実を形成したり、異なる社会的現実の間を往来したりする自由は、この本では、季節によって狩猟民族から農耕民族に変わったり、あるいは冬季は祝祭だけをやって仕事はしなかったりという、同じ場所での制度の変化を意味していた。

だけど現代では制度は季節や地域を超えてしまった。つまり制度(想像上の秩序)によって人間たちは自分たちの首を絞めているんだ。「想像上の秩序から逃れる方法はない」「監獄(文字通りの)の壁を壊して自由に向かって脱出した時、実はより大きな監獄の、より広大な運動場に走り込んでいる(Byハラリ)」という事態になってしまうだ。

ところで自分はどうだ。今でも政府の片棒を担いで国の介護保険の住宅改修・福祉用具選定委員とかやっている自分が情けなくなるぜ。

「だぜ」調で論文を書いてみたいぜ。
残念ながらグレーバーはこの本を書いている途中に死んでしまったぜ。あとに続く若い研究者がもっと元気だといいなあ。

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