「ぷちぱにっく」、名前がつく。

ぷちぱにっくとは、僕が専門学校生のときに初めて発症した、息苦しさや恐怖に支配されるなどといった、当時メンタルクリニックに行って診断されたわけではない僕が勝手に名前をつけた症状のこと。


新卒で入社した会社を辞め、その会社を思い出すと息苦しさが現れていたが、それ以外のときは特に息苦しさを感じていなかった。しばらく経って、その会社での経験やその会社に属する人々を思い出しても息苦しさを感じなくなったため、完全にぷちぱにっくを克服することができたと思っていた。

しかし、そんなことはなく、ぷちぱにっくは僕の心にしっかりと残っていて、そして、現れた。

2023年10月某日に転職した会社は、人材派遣の会社で(他にも業種はあるが、メインとしているのが人材派遣)、僕は12月に某企業にSEとして派遣された。派遣されてから数日で、「すっげーIT企業」だと思った。色々な意味で凄いと思ったのだ。かつて勤めていた会社とは違い、規模が大きい、大きすぎる。あまりにも場違いな感じがして、いつも緊張していた。

1月に、僕より少しあとに入社した人が僕と同じように派遣された。1人ではなくなったことに安心していたが、同月、休職してしまった。そして程なくして退職となった。未経験で、この規模が大きすぎる「すっげーIT企業」に耐えきれなくなったのだと後から人づてに聞いた。

1人になってしまった不安、できると思っていたプログラミングが思っていた以上にできなかったという絶望、(僕にとっては全く知らない言語で書かれた)コードの修正を決められた日数以上かけてしまうという愚かさ、それにより他の作業も遅れてしまう焦燥感、質問したり僕の中途半端なコードをレビューさせてしまうことでただでさえ忙しいレビュアーの時間が僕なんかのために消えてしまう申し訳なさ……。

2024年3月某日。会社に行くためのバスを待っている間、それまで何もなかったはずの僕の気管辺りにぴたっ…と蓋のようなものが現れ、苦しくなった。ぷちぱにっくだ、とすぐに分かった。そして同時に「会社に行きたくない」と思った。
「会社に行ったって、僕なんかは迷惑をかけまくる存在だ。行きたくない。ごめんなさい、僕なんかいてごめんなさい」
「でも、行かなかったら行かなかったで迷惑をかけてしまう。あの中途半端なコードは誰が直すの?僕が行かなかったら、あの中途半端なコードは僕以外の誰かが『何だよこのコード』って怒りながら直すことになる。それなら僕が直した方がいい」
「でも、行ったら、レビュアーに怒られてしまう。中途半端なコードを出すなって言われてしまう。差し戻されてしまう。何のヒントなしにまた修正の作業になるから、絶対に間に合わない。間に合わないなら、また締め日を延ばしてもらうよう依頼しなきゃいけなくなる…依頼すると、工数を管理してるリーダーにも、さらに管理している会社にも迷惑をかけることになってしまう。…良くない、非常に良くない」
「どうすればいいの?行っても、行かなくても、僕って迷惑な奴だ。僕は…僕は……」

ふと、僕は思い出す。僕よりも少しあとに入社した人がどのようにして「休んだ」のかを。息苦しさを感じたまま僕は、派遣先ではなく、派遣元に電話をかけた。

派遣元、つまり僕が転職した会社は、僕ら派遣される社員に対するサポートやフォローがかなりしっかりされている。かつて勤めていた会社では考えられないほどの白さ(逆にかつて勤めていた会社のエピソードを話すと、かなりの確率で困惑か畏怖されるくらい)。そんな素晴らしい手厚いサポート体制に縋ろうではないか。

…と思っていたのだが、なかなか電話に出てくれなくて(ホワイトだからか?)、いつものバスに乗り、途中で降り、結局自分で派遣先である「すっげーIT企業」に電話をかけた。いつもなら始業時間の40分ほど前に家から電話をかけ「偏頭痛で休む」旨を伝えるのだが、今回は家ではなく外で、そして「偏頭痛で休む」ではなく「途中まで行ったが、具合悪くなってしまってそのまま休む」という内容を始業時間の10分前に伝え、派遣先には息苦しさのことは隠しておいた。「そちらに行くと、仕事のことを考えると息苦しくなる」なんて言えるわけないし、そもそも「息苦しい」という症状を伝えたら休めないに違いないと考えていたからだ。

しばらく休んで、帰ろうとしたそのとき、派遣元から電話がかかってくる。
「派遣元の方には息苦しさのことは伝えたし、自分で電話したことは伝えたけど、なんだろう…はっ!もしかして怒られるのでは!?迷惑かけやがってって思ってるのでは!?」
怯えながら、恐る恐る電話に出る。
電話に出てみると全く怒っている様子はなく、むしろ心配された。
(な、なぜ!?なぜ怒らない!?休んでって伝えてって言ったくせにやっぱりいいって言うような迷惑かけまくりな奴なのに!?しかも息苦しいから休むなんて言うような奴なのに!?)と困惑しながら対応する。

電話を終えてから、僕はメンタルクリニックを検索した。息苦しさの原因はある程度分かっていたからだ。電話をかけたり、直接行ったりして確認するも、予約はなかなか取れない。新卒で入社した会社時代にメンタルクリニックの予約を取ろうとして、無理で、諦めるように退職して実家に戻ったということを思い出す。やっぱりメンタルクリニックって他の病院と違って難しいんだ、今回も諦めるしかないのか…そう思いながらも、どこか諦めたくない気持ちもあった。

今いる会社を、辞めるのは嫌だ。
まだこの会社にいたい。
あくまで、僕が息苦しさを感じているのは、この会社ではなく、派遣先の方。
だから、派遣先が変われば、なんとかなるはず。

諦めたくないという僕の気持ちを、誰かが汲み取ってくれたのか、最後に電話をかけたメンタルクリニックで予約が取れた。次の日にはそのメンタルクリニックで、僕のこの息苦しさを診てもらえることになった。
「こうもあっさりと…?今まで電話をかけたメンタルクリニックって…?」
開いた口が塞がらなかった。マスクつけていて良かった。


人生初の、メンタルクリニック。
そのメンタルクリニックのWebサイトを見たとき、「綺麗」と思ったのと同時に「病院っぽくない」と思った(「病院っぽい」Webサイトは、「Webサイト」というより「ホームページ」感があると思っている。昔はこういうのだったよな、というような。ただしこれはあくまで僕の偏見である)。

そわそわ、どきどきしながら、いざ入ってみると、Webサイトを見たときと同様「綺麗」と「病院っぽくない」と思った。
「病院というより……むしろカフェ?」
受付といい、待合室にカウンター席があることといい、渡される番号札がコースターっぽい丸い形をしていることといい、照明の明るさや色といい…何もかもが病院っぽくない。
「めちゃくちゃいい……」こういう、いわゆるギャップに弱いんだよな、僕は。

しばらく経ってから呼ばれる。初診なので、呼ばれるまで時間がかかるのは仕方がない。
診察室に入り、先生に今の状況を説明した。前にも似たような症状があったことも伝えた。
そして先生から言われる。
「聞いている限りだとパニック発作のように思えます。パニック障害って聞いたことはありますか?あれは怖いとか不安になるとあなたのように息苦しさだったり、めまいとか、吐き気とか…色んな症状が起きます。あなたはめまいまではいってないけど、不安によって息苦しさを感じている。それはパニック発作でそうなっているんだと思います」

パニック発作。ということは、ぷちぱにっくという名前は、間違いではなかったのかもしれない。

「薬を出しますが、頓服として使っても大丈夫ですよ。最大で1日3回までですが。それと、今回出す薬は依存性もそんなに高くないので、安心してください。もしそれを飲んでも効かなかったら別のものにしましょう」

それと、と先生は言葉を続けた。

「あまり薬に頼りすぎても良くないので、薬以外の対処法も教えますね。『あ、息苦しくなってきた』と感じたら、2秒吸って4秒で吐いてください。それを繰り返せば少なくとも過呼吸にならずに済みます」

僕の息苦しさに、ぷちぱにっくに、ちゃんとした病名がついた。
そのことにどれほど安心したか。

そして、同時に家族には隠さなければならないと思った。少なくとも母は、そういうメンタル系の病気は「気のせい」「気の持ちようでなんとかなる」と思っている。説明しても│解《わか》ってくれないことが分かったので、報告しない方がいいに決まっている。なので、この息苦しさの件は報告していないし、まだ僕は派遣先で働いていることにしている。本来なら働いている時間を、友達(ありがたいことに僕のことを理解してくれる友達。その友達も友達で色々と抱えているが、ここでは説明しないでおく)の家で潰し、たまーに派遣元の方に行ったりしている(主に面談のために行く)。


ぷちぱにっくがパニック発作という正式名称に変わってから、僕は定期的にメンタルクリニックに通っている。
今後何事もなく働けるようにするために。

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