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ちょっとウザい歴史の教科書②弥生文化の誕生

稲作伝来と高床倉庫

紀元前4世紀ごろ、大陸からパントマイムの達人がやってきて、日本にジェスチャーで稲作を伝えることに成功した。稲作はジェスチャーによって九州から東日本まで広まる。

稲作をマスターしたことで、人々はメシを求めてウロウロする必要がなくなり、 水田の近くにむらを作って住むようになる。 米を貯蔵するため、ニヤニヤしながら家の近くに高床倉庫を作った。

高床倉庫とネズミの攻防

なぜ床を高くしたのか。ネズミの侵入を防ぐためである。

「床が高ければ登ってこれまい」としたり顔の人間たち。

しかしネズミも黙っちゃいない。一匹ずつ背中に乗って重なり合い、自分たちがはしごになることで難攻不落の高床倉庫攻略に挑戦。

小さくても力を合わせることの大切さを教えてくれた。

このときネズミのリーダーが掲げた「チュウ!チュウチュウ。コメ、チュ、チュウ…ユカ、チュ!」という名言は、いまもネズミたちの間で語り継がれている。

図:高床倉庫とネズミの攻防

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金属器の伝来

大陸から伝わったのは稲作だけでない。
青銅器や鉄器などの金属器も弥生時代に大陸からやってきたものだ。金属器は『青銅のつるぎ』や『鉄のたて』など武器や防具として用いられたほか、祭りや野外フェスに使われた。

この時代の伝説に、ヤマタノオロチという八つの頭を持つ龍の話がある。
龍というだけでもクソかっこいいのに、八つ首の龍である。それはもう規格外のかっこよさだったろう。
首が八つでもうんこは一箇所から出るのだろうか、興味は尽きない。一つだけ確実なことは、ヤマタノオロチは絶対テストに出ないということである。

弥生土器の特徴

昔の人々はすぐ土器を作る。弥生時代に作られたのは弥生土器。
縄文土器と比べて薄くてかたいこと、 模様がないことが特徴だ。

土器は特徴とセットで覚えるといいっぽい。
縄文土器は厚くてもろいので『クロワッサン(もしくは2000年前後のジャイアンツの選手層)』
弥生土器は薄くてかたいので『せんべい(もしくは2000年前後のカープの選手層)』
上記のように覚えてもよいし、ロックンロールを奏でてもよい。君は自由だ。

図:縄文土器と弥生土器とバームクーヘンの比較

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村人のヤンキー化

稲作と金属の武器を持ったことで人々はどうなったか。道具や治水の差は米の収穫量の差となり、村同士に貧富の差が生まれた。するとヤンキーと化した村人( 豪族 )が現れる。
「おいコラ、コメよこせや!」「なんだと!テメエどこ中だよ!」と村が村をカツアゲし、抗争の末に村はやがて国となっていく。

中国の『 漢書 』という昔のブログには、紀元前1世紀ごろ(日本のこと)には100以上の国があったという記事がある。
また、別のブログ『 後漢書 』には1世紀半ばに 倭の奴国の王が漢に使い(っぱしり)を送り、皇帝から金印を授けられたとある。簡単にいえばSNSでフォローし合ってたということかな。

ちなみにこの金印には「 漢委奴国王 」と刻まれていたという。漢委奴国王。カンノワノナノコクオウ。
変な響きであるが結構言いたくなる言葉なので、お母さんに「今日何食べたい?」と聞かれたら「漢委奴国王」と答えてみるのもよいだろう。お母さんの知られざる一面が垣間見れるかもしれない。もちろん、ロックンロールを奏でてもよい。君は自由なのだから。

漢委奴国王と噂される肖像画

サラリーマン

邪馬台国と卑弥呼

そんなこんなで3世紀。この頃日本はレディース上がりの女ラッパー 卑弥呼 が治めていた。リウエストに応えて、彼女の名曲の歌詞を掲載してこの章を終えよう。

睡眠不足のランボルギーニ - HIMIKO

歌:HIMIKO 歌詞:HIMIKO  編曲:TK  

卑弥呼登場! わたし女王
go go レペゼン 邪馬台国
30あまりの国を
従えているから忙しいの
魏に朝貢魏に朝貢
つまり皇帝への貢ぎ物
お返しに もらったの
親魏倭王という称号 と金印と100枚の銅鏡
マジいらねえ 使いみちねえ
魏志倭人伝 に載りたくねえ
ところでねえ ここはどこ?
近畿か九州?どっちだよ!

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