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社不列伝〜水没都市編〜


昔一度だけ部屋を水没させてしまった事がある。

その時住んでた部屋は築50年越えの8畳一間ユニットバス、洗濯機は共有で5階建エレベーター無しの4階というなかなかの物件だった、しかし大阪の大歓楽街道頓堀や宗右衛門町からは歩いて5分の好立地にも関わらず家賃は3万という破格。
人生初の一人暮らしという事もあってか右も左もわからないながら日々それなりに楽しく過ごしていた。

酒の味や人付き合いを覚えて毎夜毎夜仕事で飲み、その後も飲み歩くような生活の中で事件は起こった。
いつものようにふらふらと帰宅し、その日は何故か猛烈に『湯船に浸かりたい』という気持ちが湧いてユニットバスの浴槽に栓をし、湯を溜め、そのまま倒れ込む、狭い部屋に響く水の音を聞いていたらうつらうつらしはじめ案の定ではあるのだが気絶するように眠った、そして次に目が覚めた時、私の安いベットは小さな船になっていたのだ。

流石の状況に自分でもまだ夢なのか?と思うが恐る恐る確認すると残念ながら紛れもない現実でとりあえず私は焦って浴室に向かい蛇口を止めた。
履いていた靴下がぐしゃぐしゃになるのと比例して頭の中もぐしゃぐしゃになる。
浴槽から溢れ出したお湯がユニットの洗面所からも溢れて部屋に侵食し、フロアマットの床はそんなもの吸水しきれるはずもなくちゃぽちゃぽと部屋に大きすぎる水たまりを作っていた。
そんなに長い間眠っていたのか...と携帯を確認したら3.4時間は経っていて愚か過ぎる自分を呪いながら少しでもできる事をとコップでお湯を掬い洗面台に流すとコポッと逆流してきてしまい殆ど意味をなさない。

パニックになりながらも大家さんに謝罪の連絡を入れると何事かとすっ飛んできてくれたのだが部屋の惨劇を見た時は流石に顔が引き攣っていた。
とにかくひたすらに謝罪し、水浸しのここでは話せないからとそのまま大家さんの事務所に連行され、明らかな自損なのだがなんとかかんとか火災保険を申請してみようという話に落ち着いたが
当時の私は阿保過ぎたので『火事じゃないのに本当に火災保険が使えるのか...水害なのに大丈夫なのか』という訳のわからん心配をしていた。
とりあえず次は下の部屋の確認だとなったのだが自分の部屋以外は火災保険が適用されない場合もあるからそれなり覚悟はして欲しいと言われ『ちなみにおいくらくらいですか...?』と聞いたような記憶があるんだが二桁いくかいかないかじゃないかなぁと返されたような気がする。

震えあがりながら初めて自室の下の住人と邂逅したのだが幸い住んでいたのは出稼ぎでやってきていた外国人女性で家具や家電自体がかなり少なく殆ど被害を受けずに済んだのだが天井からはやみかけの雨の様にぽつぽつと雫が滴り落ちてクロスは色が変わってしまってみるも無惨な姿になっていた。

『終わった』その光景を見た時に一言だけ頭に浮かんだ事ははっきり覚えている。

初めての火災保険申請、謝罪周り、床下の木材の腐食確認や修繕作業やらで1ヶ月間くらいは毎日気が気で無かったが大家さんが非常にいい人でなんとかかんとかこちらの負担が少なくなる様に動いてくださり、しかもよくよく調べると配管も老朽化していた様で全額火災保険が適用された。
天井のクロス代も何故か請求はされずで許しを得てその後もなんだかんだと部屋のはめ殺しの窓を破ったり、暫く家賃滞納してしまったり、当時同棲していた恋人と喧嘩し通報されたりと色々あったが強制退去になる事もなくきっかりしっかりと5年間お世話になった。
しかもどうしてだか退去費用もかかからずで今でも本当に感謝の気持ちしか無い。

私はもう二度とこの人生で酒を飲んで湯船を溜めることはしないだろう。

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