沈黙は何より多くを語る

どんな人生が望ましいか?

生きるヒントを与えよう。答えは無論、持ち合わせてはいない。生を考えるうえで対極に位置するものの存在から目を背けてはならない。それは何か。死である。

それでは死とは何か。静寂なる大衆である。生なる魂、その数に比べ、死した魂、その沈黙なる数の多いこと。しかし、さらにその数を超える魂が概念として存在する。これから生まれてくる魂である。

ここで私は疑問に思う。その無限なる魂は何処からくるのだろうと。そしてひとつの仮説に辿り着く。死した魂の浄化をはかり、また赤ちゃんスタートで使い回しているのではなかろうかと。レストランの食器みたいなものである。

それは輪廻。前世の記憶など人生を成立させるためには邪魔なだけで不要。現世の思い出はキレイサッパリ洗い流され、来世のほうへ。そして転生。また何処かで産声をあげることになるのだ。

「かゆいとこあったら言ってくださいね~」

「ねえちゃんねえちゃん、そこはあとにしてくれへんかぁ、くすぐったぁてしゃあないわぁ」

「じゃあここから洗いますね~」

「そこもあかん、かんにんやでぇ」

「じゃあここから~」

「そこが一番あかん!ふれられただけで笑ってまうねん!」

「じゃあどこから洗えばいいんですか~?」

「……………………」


そんな人生が望ましい

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