【雑談】78年前もこの時期は悪天候だった(正直に言えば宣伝)
8月15日は終戦記念日ですが、そう決めたのは1982年。
そもそも、海外では特にこの日を終戦と捉えているわけではないのですが、
日本はなぜこの日を終戦記念日としたのか皆さんは知っていますか?
それは日本国民に昭和天皇が玉音放送にて敗戦を伝えた日だからそうです。
しかし、その放送を聞けた人は、どういう人か?
耳が聞こえるほどに健康で、ラジオが家または近所にあって、それが
壊れていない人に限られます。
その頃の広島は、こういう状態でした。
この後には、8月17日あたりから雨が降り続け、やがて9月には広島復興の
障害となる枕崎台風が押し寄せるわけですが、Wikipediaにはこう記述
されています。
くどいですが、私が電子化した「広島商人」は、原爆投下からこの
枕崎台風の被害にまであった広島の、復興物語です。
当時の様子を知る資料、というのは近年、急速に失われつつあります。
それは、当時紙でしかなかった書籍を所有している人が減っているのは
もちろん、電子化が進んでいないからです。
私が今回電子化した「広島商人」は2019年に古本で発見した時には4,691円の値がついていました。
ちなみに、ここ2年でいろいろ検索しましたが、この本を持っている古本屋は見つけたことがありません。
この戦後の様子を描いた本というのは広島に限ったとしても、他にも
たくさんあるのですが、なかなか見つけることができません。
(その一覧は、後述の「原爆戦災誌参考図書一覧表」にあります)
広島のその当時の様子は、以下のサイトで「広島原爆戦災誌」のPDFを
ある程度知ることができ、数少ない希少な電子情報だと思います。
このPDFの1106ページ~1109ページに「原爆戦災誌参考図書一覧表」と
いうのがあって「広島商人」もここに記載されていますが、私の懸念は
ここに記載されている本への関心がなくなることです。
人は「同じものを見ても」同じ印象を抱くとは限りません。
すべての記録は、相対的です。
「広島原爆戦災誌」も悪くはないのですが、あくまでも記録として
引用をつなげているだけで「どんな人が、どういう思いだったのか」
をうかがい知ることはできません。
なので、一人の人が書き綴ったドキュメントというのは、非常に貴重な
資料だと私は考えています。
簡単に言えば、政治家、商人、芸術家、教師が同じ事件に
遭遇しても、心証は違うでしょう?というイメージです。
同じ考え方で、私は、
「戦争の悲惨さを伝えることによって、核を根絶する」
のは不可能だと思っています。
なぜなら、
「悲惨」という感情は、核を行使する立場の人に
とっては全く意味のない訴え
であり、これは、
会社経営におけるトップが社員一人一人の感情で
何かを判断するということはない
のと同じです。
このことから、この記事でも書いてますが、私は
広島平和記念資料館再整備検討の議事録に疑問を持っています。
(怖がらせるのが目的?)
「広島商人」の著者である久保辰雄さんは、
私はとても優秀なビジネスマンであり、かつ誠実な経営者だと
考えています。
だからこそ今、多くの人に読んでもらいたいと思っています。
二度と戦争を起こさない、核を使用しない、ということを
「集団として達成する」
前に、個人はどうあるべきなのか、そのドラマが、ここにあります。
久保さんが戦ったのは、戦争そのものでなく、台風被害に対してでなく、
「人の悪意」
です。
会社や学校でいじめにあっている、とか自分に悪意はないのに、
そう勘違いされている、そういった状況を
「どんな信念で乗り越えてきたか」
ぜひ一度読んでみてください。
本日8月15日までは1から10話、および最終回の23話は全文無料です!
是非、今の広島がなぜあんなにも早く復興できたのか、ある一人の信念を持った男のドラマにこの機会に触れてみてください!
最後まで読んでいただきありがとうございました✨
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