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【Bookalyst】動画紹介:【バベルの塔とは?】本当にあったの?神様が怒って壊した?なぜ?高くしすぎたから?ノアの方舟とも関係?そもそもどこに建っていた塔なの?【ブリューゲル1世】


偶然見つけた動画

先日、こんな動画が流れてきたので、じっくり観てしまいました。

元々山田五郎のこのシリーズは見ていたし、私がバベルの塔に関心があることはこのアカウントでは十分知られていることなので、お勧めで出てきても何の不思議のないのですが、視聴した結果、「ああ、やはりわかる人にはわかることなのだな」というのが感想でした。
今日は(といっても記事の作成に一週間かかっていしまいましたが)この動画をきっかけとした、私のライフワークについてお話しします。
動画は、この記事を読んでから見てもらうのがお勧めです!

私のライフワーク

私たちは、単純な話は信じやすい。

そしてnoteでも、短い記事や、わかりやすい記事の方が人気ですね。

しかし。

最近思うのは、noteをしっかりと知の蓄積として利用している人も一定数はいるのだな、と感じています。フォローワさんの中には中高生もいて、しっかりとした文章から溢れる考えを知ると、やはり時代の中心は移り変わっていることを実感します。
いつまでも日本は高齢化社会なので自分は大丈夫、などと思うのはもちろん、むしろ「若い世代に必要とされる価値」を創り出さないと、年齢だけで忖度されていることに気がつかないのは怖いな、と思いました😅

そこで今日は、この動画で話されていることと、私の記事の相関について、なりふり構わずに書き残そうと思います。2025年くらいに起こるであろう人類の変革期に、多くの人が「このことだったのか!」と思い出せるように。

人間は一か所にとどまると良くない?

この動画の中には、バベルの塔建設以前にあった出来事はノアの箱舟、つまり大洪水であり、これは人間がろくでもないことをしていたからだ、と解説されています。

聖書は、漫画でも、聴くだけでもいいのですが、やはりこの社会は一定数以上はこの信仰の影響を受けていて、それらを私たちも利用してるのだから、人と関わり合う以上はその内容は知っておいた方が良いと思います。

おすすめは「聴くドラマ 聖書」無料。スマホに入ります。章ごとにスキップできます。私は運動中、無心になりながらこれ聴いたりしています。声優が豪華です。

実は世の中には聖書のエピソードがあふれています。辞書的に使うならこちらがお勧めです。


で、この動画ではあまり強くは語られていないのですが、なぜ人が「大勢」集まると、ろくでもないことになるのか、ということについて、私はこの小説の後編で書いています。この話はあくまでも小説なので、実話ではないですが、私の人格の一部が特化して後編の主人公に語らせています。

ちなみに、「人が一か所に大勢集まって何かを作る」という行為は、前編で新田冬美がしようとしていることです。この小説の中では、なぜそれが問題なのか?は冬美は気づきません。ただ、読んでもらえばわかりますが、話の内容は「どの企業でもよくやっていること」です。社会人の人には、ちょっと怖い話に感じるかもしれませんね😅

自分とは何か

私は、人間は神秘的な存在だと考えています。

もし人類が言語を持たなければ、その神秘性について疑問に思うことすらないので、それはそれで幸せだと思います。

しかし、人類は言語を扱う存在。それがいくら考えてもすっきりしない何かを抱える原因となっているのですが、やっかいな問題を考える前に、そもそもこの言語とはいったい何なのか?という疑問はほとんどの人は持っていませんね。

長く残る書物ほど、人生とはそれに関心を持ちつつ、生の喜びをただ享受すればいい、と言ってるように私は読み取っています。これは考え続けることを止められないマインドマッパーにとっては救いになっています。

それは、「素晴らしいこと」であり、生きているだけで、体が思い通りに動かせるだけで、本当は生の喜びを享受して生きていくことを、誰も妨げる権利はないです。

しかし、現実はそうなっていないようです。
その理由は、私たちは「他人の考え」や「ルール」というものの影響を言語を通じて理解してしまうからですね。

それが本音なのか、真実なのかは永遠にわかりようがないし、わかること自体に意味がないことは、子供のころにわかっていたはずなのに、つい私たちは他人が気になります。

人として生まれてきた意味

もっと深い話になれば、この古典に関心を持つのがおすすめですが、よっぽどのことがない限り、勉強や恋愛、子育てに夢中の方が、私は人生は幸せだと思っています。特に、体の動く若いうちは😊

しかし、物事がうまくいかないとき、原因が外にあると思っている人は最後まで苦しんで人生を終える、ということにはどうやら例外はないようです。なぜなら、突き詰めればこの世界は自然界の法則に従って動いているだけで、この世界がどう見えるかはその人の観察力次第なんですね。この話はまたいずれ時期が来たら別の記事に書きますが、今みなさんに起きていることは、みなさんの知識の限界でしかないのです。

そこで、単純な話、よく言われる言葉ですが、人生を変えたかったら、自分が変わればいい。何かがつまらないと思ったら、楽しむ気持ちを持てばいい。あの人と合わない、と思うなら距離を取ればいい。何かをやり遂げたいのに困難にぶつかったような気がするのなら、その原因を自分の中から探せばいいのですが・・・なかなか難しいですよね。

ここでもし、あなたが自分の内面を見つめようとすると、その答えは必ず、先人が書物として残しておいてくれています。なかなか私たちが人類史上初めての悩みを持つ、なんてことはなかなかないんですね😁

この瞬間こそが、自分が言語を理解できる人間であることの喜びを感じるときであり、何も難しいことはない、自分が変わればいいと救われる瞬間でもあります。

繰り返しになりますが、生きていくうえでの課題、問題が外にあると思っている人には、この記事自体が相性が悪いです。
この話に少しでも関心がある、という人はまずこちらをお勧めすします。

こちらの本は解説だけなんですが、分かりやすいし、バガヴァット・ギーター自体、「時が来れば出会える」ような本であって、今の人生に満足している人は、無理して読む必要はないでしょう。

そもそも私がこの解説書に出会ったのは以下の記事を読んだ影響です。

実は、バガヴァット・ギーター自体はインドで15年くらい前に購入して2,3度読んで以来、あまり深くは読んでいませんでした。

しかし、8月末に友人が急死し、少し、自分が生きていることの意味を確認したくなりました。そういう縁があって、今一度読み直しました。

バガヴァット・ギータはマハーバーラタの一部であることも、大塚さんの本に解説されている。

そして、今回のこの動画に出会い、私は今後の自分の在り方を考えさせられました。私のライフワーク、「この世界を変える」は、継続すべきだ、と。

人には生まれてきた役割というものがある

バガヴァット・ギーターの話は簡単に言うと、

自分は大勢の人民、兵士を率いる国のリーダで、正義のために戦争をすることになった。やる気十分。という時に、戦場で相手に恩師や親戚がいることがわかった。どうすべき?

という、究極の選択を迫られる話です。詳しいことは大塚さんの本を読んでもらうとして、今日言いたいのはやっぱり「自分とは何か?」ということです。

みなさんは、学校や職場で、「急な選択」を迫られることはありませんか?そしてその選択に後悔したことはないですか?私は立場上、そうなりそうな人、または後悔している人にアドバイスする機会が多いのですが、その時に常に言っているのは「あなたはその時の役割をどう認識していたか」ということだけです。

時々、「本当の自分」とか「自分探し」のような言葉を耳にしますが、私はそんなものはない、と考えています。というのも、最初に書きましたが、この世界はあなたが見たものがすべてて、あなたに見えないものは永遠にみえないのです。そこまでわかった上で、自分探しのために環境を変える、とかあの時は忖度して本音を言わなかった(=本当の自分の考えではない)ということは言葉の用法としてあると思います。そしてそれを文章にしているのであれば「誰かに読まれることを前提」としているわけで、これは・・・
今の私もそうですが、人がなかなかあがなえない「承認欲求」から来るものだと思います。

戦場での急な選択、は現代社会でいうなら
 友人が困った質問をしてきたときの返答
 上司が意図のよくわからないお願いをしてきた
 返答次第でコミュニティから外されるかも
 決断次第で進路、業績に影響が出るかも
のようなものがあるでしょう。
まあどれも死ぬほどのことではないし、相手を殺すこともないでしょう。

ところが、妙なことに、日本は先進国では深刻なほど自殺者が多いんですね。一時は年3万人を超えていて、昨年でも2万人を超えています。しかも、男性は女性の倍で、年代は50代、40代が多い。どう思いますか?自殺は警察の調べが入るので、どこまで真実に迫ったデータなのか判断が難しいですが、原因の1位は「健康問題」とされています。2位が家庭問題、3位が「経済・生活問題」なんですが、さて、この「健康問題」ってのは何のことだと思いますか?

想像できるかと思いますが、健康問題の内訳をみると、半数以上は「鬱や統合失調症」なんです。

これは、私の独自の見解ですが、つまり、自殺に至る前には、そうさせるほどの悩みがあった。

そしてその悩みとは、選択によっては死んでもよい、と思うほどの悩みだった。

バガヴァット・ギーターでも、国のリーダでありながら、親戚を殺すくらいなら自分は死んでもいい、と思ってしまうシーンがあるのですが、まさに、昔から人は究極の選択を迫られることはあった、ということでしょう。

そんなことで悩んでいれば、鬱や統合失調症になるのは当たり前だと思います。

しかし、そうなっている人を手助けできるほど、甘いものでもないです。

なぜなら、その人には世界がそう見えているから。

鬱になるのは、他の人の助言を聞く余裕がない状況になっている場合が多く、その状態の人を外力で救うのは難しいと思います。なので、学校でも、職場でも、そうならないような努力が求められるのだろうとは思うのですが、ここで私がさらに気になっているのは、「男性、50代、40代に多い」ということです。

バガヴァット・ギーターで究極の選択を迫られたこの人物は、「リーダー」です。ただ、それは「役割」であって、その人のすべて=リーダーではないのですが、なかなか人は、この分別がつけられないんですよね。

最近のリーダーは、年功序列が崩れている、技術革新の変化が激しくてついていけない、部下の立場が多様化してる(正社員でない、外国人など)という、この10年では誰も経験のしたことのないリーダーを「させられている」のに、それに対するガイダンスがないな、と私は実感しています。

よって、今のリーダーは「選択するくらいなら死を選ぶ」という考えに陥っても、おかしくない状況ではないか?と思うのです。
それは、昨今の不正発覚におけるプロセスでもそうです。不正はよくないこと、と切り捨てる前に、その人にとってはそれ以外の選択肢がない状況を作り出した「何か」にも目を向ける必要があるのではないか、ということです。
「不正をするくらいなら死んでも構わない」という話では、この人物の逆境は心に来るものがあります。今なら10話まで無料です!お時間あるときに触れてもらいたいです。


この世界にリーダは必要か

ここで、動画の話に戻るのですが、そもそも、リーダーって何なんでしょうか?

聖書でも、物語の要所にはリーダーが出てきます。学校でも、会社でも、リーダーって必ずいますよね。なぜ、リーダーって必要なんでしょうか?
答えは、みなさんの想像通りなんですが、

 何か一つ、同じ目的を成し遂げようとしているとき

そして・・・
それって、人を一か所に集めていると同じことですよね。

私は、今の社会は、実は「ろくでもないことをしているのではないか」って思ってるんです😆

なぜ人が一か所に集まるとろくでもないのか。

それはこの動画の中で、バベルの塔が壊された(のは実はそうではないのですが)理由を確かめつつ、みなさんなりの答えを見つけてみてください。


最後に

再び、古典のおすすめになりますが、最後にこれを紹介して終わります。

孔子の論語でこの話は多くの人がご存じでしょう。
(訳してあります)

私は十五歳のとき学問に志を立てた。
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。
四十歳になると、心に迷うことがなくなった。
五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。
六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。
七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、
人の道を踏みはずすことがなくなった。

みなさん、とりあえず、70歳まえでは生きてみてください。私は50歳過ぎても、まだ天命に気がついてないんだろうなあと思いつつ、そうですね、60歳過ぎたら人の言うことを聞けばいいかな、とこれに甘えてわがままに過ごしてます😆

久しぶりの投稿で長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました🌈

2025年くらいには、この世界(人の考え方、常識)はもっと変わっていると思います。この記事の読者がその急な変化に慌てないよう、私の知見を公開していきますので共感された方はスキ・フォローよろしくお願いいたします✨

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