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【読書会特別企画】令和ミステリ批評を位置づける――『現代ミステリとは何か』編(試し読み)

2023年11月11日(土)に開催される文フリ東京に、不毛連盟(ブース:そー38)という団体で参加します。新刊『ボクラ・ネクラ 第六集』を発売します。

自分は個人評論のほかに特別企画「令和ミステリ批評を位置づける――『現代ミステリとは何か』編」に参加しています。限界研・蔓葉信博編『現代ミステリとは何か』の読書会企画となっています。

目次は以下の通りです。

令和ミステリ批評を位置づける――『現代ミステリとは何か』編 目次

0 本企画の趣旨および各人のスタンス
1 作家論と時代論を架橋できるのか
2 キャラクターとは何か
3 異世界においてルールとは何か
4 なぜミステリで社会を描くのか
5 推理はポストトゥルースに抗えるか
6 ミステリにおいて倫理とは何か
7 ミステリにおいて神とは何か
8 華文ミステリを新本格から解き放つことは可能か
9 新しいミステリ批評に何が必要か
10 探偵は悩まなければならないのか
11 ヒット作は時代精神を反映しているか
12 ミステリゲームの系譜はどこにあるか
13 社会とミステリの繋がりをいかに示すか
14 まとめられるのか

一節につき課題本の論稿一本を論じる構成になっています。

今回はその一部分(1節まで)を「試し読み」ということで公開します。これを読んで興味を持った方は、ぜひ文フリで新刊を買って読んでいただけると幸いです。


令和ミステリ批評を位置づける――『現代ミステリとは何か』編


 令和という時代において、ミステリ批評はどのような位置づけにあるのだろうか。令和ミステリ批評の場所がどこにあるのかを見極めるべく、令和刊行のミステリ評論集『現代ミステリとは何か』の読書会を行った。本稿はその記録である。

メンバー
秋好亮平 一九九一年生まれ
荒岸来穂 一九九五年生まれ
池堂孝平 一九九五年生まれ
江永泉  一九九一年生まれ

0 本企画の趣旨および各人のスタンス


秋好:二年越しのミステリ批評本読書会企画です。限界研の評論集『現代ミステリとは何か』で行なっていきます。

荒岸:前回(『ボクラ・ネクラ第四集』参照)は『本格ミステリの現在』を扱い、今後平成ミステリ批評史を捉えなおす連載にしていこう、次回は『探偵小説論Ⅱ』とか笠井潔の評論を扱おうみたいな話をしてましたが、笠井潔の本でもなければ、平成の本ですらない。まあ、連載や次回予告が機能しないのは不毛連盟の伝統なので。まずは今回の企画発案者の池堂さんから、この本をチョイスした理由について一言お願いします。

池堂:本書のサブタイトルが「二〇一〇年代の推理作家たち」となっているように、「テン年代」ミステリの総括、批評の決定版みたいな形を取られていますが、実際はどうなのか、検証をしておいてもいいんじゃないかなと思ったのが、主だった動機です。先日、三鷹SCOOLで開催された刊行記念イベントに行ったんですが、参加者は執筆者やその関係者がやはり多くを占める印象でした。十分盛り上がっていましたし、話も面白かったです。でももっと、界隈を飛び越えていろんなバックボーンの人たちが行き交う場づくりにこの本やイベントが寄与できる可能性もあったのかなと思うと、少しもどかしさもありました。本書のあとがきを読むと「この本を基にして読者に現代ミステリについて考える契機となれば幸い」とも書かれています。それなら、一読者として何らかの応答は残しておきたい。この読書会を通じて、自分たちなりのアンサーを返していければいいのかなと思っています。

荒岸:個人的な話なんですけど、『ミステリマガジン』で連載(「陰謀論的探偵小説論」)をしてまして、そこで陰謀論とミステリの関係を論じているんですけど、陰謀論が現代的な社会問題となっている以上、現代におけるミステリとはどんなものかということを考えざるを得ず、自分の問題関心はこの本と近いところにあると思うんですね。編者の蔓葉さんとも個人的にやりとりをさせていただいていて、やっぱり関心が近いなと感じるんですけど、一方でポストトゥルースへの認識など相違点ももちろんある。だから、今回厳しいコメントもすると思いますが、この本自体がダメというわけではなく、同じ問題意識を持っているとどうしても批判的に検討してしまい、こういう感想になる、というふうに思ってもらえればと思います。

池堂:残り二人のスタンスはいかがでしょう。

秋好:最近、現代本格ミステリに以前ほど関心が持てないというか、率直に言うとしんどさみたいなものを感じていまして。

池堂:しんどさというのは?

秋好:自分の好きな作品や評論と、現在のジャンルの状況があまり噛み合っていないというか、そこにコミットすると絶えず違和感を突きつけられるというか。なので、シーンとは少し距離を取っておこうかと。

池堂:離れていこうとしてたんですね。むしろこの状況を自分が変えていく、みたいな方になる可能性もありました?

秋好:今回の課題本を読んで、新鮮に感情を揺さぶられる部分があり、そうやって揺さぶられるということは、なんだかんだ思うところがあるってことかと自己認識しました。

荒岸:前にやった読書会企画に引き付けて話をすると、今出ている最新の評論集を読んで、ミステリ批評史的にどこが接続できていて、どこが接続できていないのかを検証するのは、今後のミステリ批評のためにも必要な作業だと思うんですよね。

江永:自分のスタンスですが、それを説明するために、思い出話から入らせてください。たしか小学校に入った頃くらいに、近所の貸本屋に初期の『名探偵コナン』や『金田一少年の事件簿』の漫画版が置いてあって、私はそれでミステリーに関心を持ち始めました。そういう関心事を口にしていたのもあってか、あるとき編集の方に声をかけてもらい、『このミステリーがすごい 2022年版』に木澤佐登志さんと「闇のブックガイド ミステリー編」を書かせてもらったりしてました。ただ、いわゆるミステリプロパーじゃないところでいろいろ触れてきたので、『現代ミステリとは何か』に取り上げられた作家は全然詳しいわけじゃない。実際、寄稿で取り上げたのも、「小説家になろう」に掲載された作品だったり(片里鴎『ペテン師は静かに眠りたい』)、個人サイトのネット小説だったり(狂気太郎『殺人鬼探偵』)、いわゆるジュブナイルポルノだったりしました(海猫沢めろん『左巻キ式ラストリゾート』)。あとはミステリ系のBL作品だったり、「VOICEROID劇場」動画だったり。ともかくミステリ小説ファンダム内ではメインストリームではなさそうなコンテンツになりがちでした。こんな来し方だったので、自分の文章をミステリプロパーにも読んでもらうには、自分の所属してないミステリコミュニティの言葉やヒストリー、マップにつなげないといけないなと思ってきました。プロパー、といっても、ミステリだけでも古典なり海外なり、日本語で書かれていたりそれ以外の言語であったりで界隈がある程度分かれていて、それにミステリを論じるにしても、例えばイギリス・アメリカの文学研究の枠内で論じてる人やドラマ・映画の研究の枠内で論じてる人がいたりして、それぞれが違う体系や語彙を採用しているところがあるのかなとも感じてます。それぞれの人がそれぞれのところでどういうものに触れ、何を思ったり発信したりしているのか、相互にわかっていけるようになる方が望ましいと思うので、この読書会を通して、まずは自分がいろいろと勉強して、見通しが持てたらいいなと考えてます。

荒岸:アカデミズムの文学批評とミステリ評論の断絶はひしひしと感じています。

江永:断絶があるからよくない、で話を止めずに、どんどん実際に繋げていく必要があるわけですよね。それぞれを参照しながら、始めはやや大味な語りになっても。

1 作家論と時代論を架橋できるのか

池堂:スタンスを整理できたので、蔓葉さんの「四つの小潮流」の話に移りたいと思います。ここは序章にあたるものだと思うのですが。

江永:まず、こういう見取り図をうまく整えて書くのはとても大変だし、気概が必要だと思うので、チャレンジにリスペクトしたいです。国文学研究や英米文学研究から独立した、またブックカタログやファンブックからも独立した、ミステリなるジャンルの評論という領域を保とうとする内容だと思う。他方でライトミステリみたいなことを考えると、小説というメディアで区切るのに無理が出ているという気もしてしまいました。例えば警察小説ブームと『古畑任三郎』『相棒』『踊る大捜査線』などの映像作品の人気を切り離して考えられないのでは、みたいなツッコミが随所でできてしまうのかなと。あと『スパイラル 〜推理の絆〜』『金田一少年の事件簿』の名前も出てきて欲しかった。というのは流石に自分の好みの問題かもしれないですけど。

秋好:見取り図をうまく整理するこういう仕事は、定期的に必要ですね。

荒岸:蔓葉さんはミステリシーンの見取り図を書く仕事を結構していますよね。

秋好:ちょうど十年前の限界研の論集『21世紀探偵小説論』でも「『新本格』ガイドライン、あるいは現代ミステリの方程式」を書かれていました。その簡略版といった趣きですね。前書きとしては簡にして要を得たスケッチになっていると思うけど、枚数のためかちょっと駆け足気味というか、「『新本格』ガイドライン」では具体的に検討されていた部分(新本格が「二〇〇二年で終わりを迎えた」って記述とか)が説明不足で、やや釈然としない感もあり。本の成立過程に起因してるのかな。

池堂:当初のコンセプトは新進気鋭のミステリ作家論集だったけど、ちょうど同時期に若林踏編によるインタビュー集『新世代ミステリ作家探訪』が刊行されて、それとの差別化を図るために作家論集とは別の切り口を模索しなくてはいけなくなった、という可能性はあるかもしれないですね。そこで蔓葉さんが後から「現代ミステリとは何か」というコンセプトとタイトルを付けた、という流れ。

秋好:作家自らが語る創作論としては『円居挽のミステリ塾』も出たしね。

池堂:この蔓葉さんのまとめ方はミステリ批評を知らない人向けの概説としては丁寧で、そこは共通認識として持てるところだと思います。そういう意味では、長過ぎないのも悪くない。ただ細かいところはどうしても少し気になってしまう部分がありますよね。たとえば、そもそも二〇一〇年代で区切ってるのが結局のところ何故なのか。そこを問うのは野暮なんですかね。

荒岸:『探偵小説のクリティカル・ターン』というゼロ年代の作家論集を限界研は出していて、その続編と考えるとテン年代で区切るのは、年代的にカバーするという意味合いがあるのはわかります。ただ、蔓葉さんの四潮流の説明を読むと、たしかにテン年代のブームとしてあったかもしれないけど、その文化的な基盤はむしろゼロ年代にあるんじゃないかと思える部分があるんですよね。たとえば「異能バトルミステリ」について、「ジョジョ」から始まり、ゼロ年代のマンガ・ラノベを重視している点で、「それは小説にスポットを当てているからテン年代の特徴に見えるだけで、文化的にはゼロ年代の特徴なのでは」と思えてしまう。この点はさっき江永さんが言っていたことに近い感覚ですね。それとこの四潮流で重要とされている作品が、本編がテン年代デビューの作家論という形をとったために取り上げられていないのは、片手落ちになっていないかなと。例えば特殊設定ミステリブームの嚆矢として挙げられている『折れた竜骨』は、米澤穂信がゼロ年代デビューだから扱えない。ライトミステリの嚆矢とされている『謎解きはディナーのあとで』も同様です。

江永:蔓葉さんも、二〇一〇年代のものを俯瞰して類型を四つに分類したわけなので、グランドセオリーを出したものではないかも。無いものねだりすると、もっと踏み込んだ主張、グランドセオリーも見たかった。例えば笠井潔さんの文章はグランドセオリーっぽいものがあるので、違う立場を取るにしてもわかりやすいかな、と思います。

秋好:『本格ミステリの現在』のまえがき(「探偵小説の地層学」)や『21世紀探偵小説』の飯田一史さんによる序論(「新本格ミステリの衰退期になすべきこと」)みたいな、アジテーション込みの状況認識を欲してしまうところはある。

荒岸:このタイミングで論集を出す意味とか、時代状況とミステリのかかわりとか、今までの限界研の論集だと結構紙幅が割かれていたイメージがあるんですけど。

秋好:例えば、二〇一二年の『21世紀探偵小説論』の序論では、本格は「衰退期」で「ジャンルをドライブする一体感も」ないとされているけれど、蔓葉さんの状況認識では二〇一〇年代にむしろ隆盛しているらしい、ではゼロ年代からテン年代にかけてどういったシーンの変化があったのか、という点は気になりました。蔓葉さんと飯田さんで意見やスタイルの違いもあるだろうけど。

江永:この十年くらいで、諸岡卓真さんとかもそうだけど、アカデミズムでミステリにかかわる作家の研究が広がってきたというのはありますよね。たぶん、一九八〇年代くらいから英米文学研究の文脈で大衆小説をやる流れがあって、それが日文にも入って、ポピュラーカルチャー研究の流れでどんどんやるのがあって。江戸川乱歩とか。そういうのも関係するのかな。

荒岸:乱歩と清張はもう当たり前って感じで、最近だと二松学舎大学が横溝の資料をデータベース化していて、そういった流れは今後も進むでしょうね。でも水を差すようですけど、アカデミズムの潮流と蔓葉さんの言う潮流は隔絶している感じがしませんか。たしかに文学研究、ポピュラーカルチャー研究の中でミステリが論じられることは増えているけれど、この論集がその流れと接続されている感じはないし、現象としても蔓葉さんの言う現代ミステリの隆盛とは結び付いている感じはしないです。

江永:参考文献とか見ても、ちょこちょこは引かれているはずなのだけれど。

秋好:四つの潮流の中で、「新社会派」だけがあまりピンとこなかったんですがどうでしょう。格別この十年間で「まとまりのあるひとつの隆盛として見られるようにな」ったという感じが個人的にはせず、ゆえに書評などでもそこまで「新社会派」って使用されていたかなという疑問が。

池堂:「新」って具体的に何が「新」なのかという、そこがあまり見えてこないんですかね。

秋好:社会派的要素を備えたミステリは、新本格以降も常に書かれているわけじゃないですか。「本格+社会派」という方向性でも島田荘司や芦辺拓がいて、二〇〇四年刊行の『切断都市』なんかはまさに「新社会派本格推理」と謳われていたはずです。その系譜でいえば、テン年代だと中山七里と葉真中顕になりますかね。

荒岸:この論集、正直本格寄りじゃないですか。でも、現代ミステリって言うからにはそれ以外にも光を当てないといけないよね、ということで非本格で社会的なトピックを扱っているものをまとめて新社会派に分類した感じはしますよね。目配せしているよ、というかアリバイ作りというと言い方悪いですが。

池堂:そうですね。僕も新社会派のところはよくわからなかったです。イヤミスとかはここに入るのかな? あと、「一服の清涼剤」であるライトミステリが流行ると次に読者は新社会派を求める、という論法も危ういんじゃないかと思います。ライトミステリって一言でいっても、オチが不条理だったりイヤな感じだったり、社会問題と接続したりとか、決して清涼剤的なゆるい内容でもなく、いろいろありますよね。

江永:個人的には、一般にライトミステリっていうときって言われると、中学の朝読書で読んだ赤川次郎みたいな枠を思い出します。でも、そういう話じゃないんですよね。

池堂:ここで扱われてるのはラノベとかに近いんですかね、『謎ディナ』的な。

秋好:『謎ディナ』的な作品と、新潮文庫nexや講談社タイガといったレーベルの作品は同じ括りでいいのか、読者層は被っているのか。そのあたり曖昧ではありますね。

荒岸:総称してキャラが立ってる作品、って話なんですかね。

江永:ライトノベルで個人的に記憶に残っているミステリ作品だと『明智少年のこじつけ』とか『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい』があります。それこそ『ぶるハメ』とかは発売当初から話題になっていた作品だったと思うんですけど、あれがどういう作品だったか振り返るようなものは、最近、見かけない。ただ、こうした作品の話が挙がらないのも、わからないわけではなくて。位置づけとして言えば、メインストリームから外れているものだろう、というのは自分でも感じるところで。だから、わがままではあるんですけど、もっと色んな作品が挙がって論じられていたら、と思ってしまいます。

秋好:『ぶるハメ』は『烏丸ルヴォワール』の解説で言及されていたのが印象深いです(笑)。

荒岸:ディベート型多重解決ミステリの最近の流れの一角として『ぶるハメ』を挙げてましたね。

江永:まず論じられるべきなのは、メインストリームの作品からなのは自然なことだと思うんですけど、同時代的にはマイナーな位置づけでも面白いことをやってる作品の話も、もっと読みたいなって思います。

荒岸:私はそれが作家論の限界だと思っていて、作家個人のテーマを論じるのはもちろん批評的な意味があると思うんですけど、現代的なドライブ感とか最近の潮流を見つけるのは難しくなっちゃうんじゃないかと思っていて、かなりうまくやらないと現代ミステリを観ていくのは難しいなと思っている。

秋好:作家論からジャンル論や社会論に接続しようとしていて、そこに困難性が窺える。

荒岸:最初に現代とはどんな時代だったかというのをもっとちゃんと打ち出すべきだったんじゃないかなと思います。蔓葉さんも簡単に震災とかポストトゥルースとか現代の状況に触れているけど、トピックをピックアップするような感じで漠然とした話に終わっちゃっている。それだけではテン年代がどんな時代だったかというのがあまりわからず、作家論から時代論=現代ミステリ論にフィードバックするのが難しかったんじゃないでしょうか。

(試し読みはここまでです。続きは新刊をお買い求めください!)

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