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【大人も楽しめる童話】小さな親友

ルカは、脳の病気をわずらっていた。
眠ると、それまでの記憶が消えてしまうのだ。
ルカの毎日は、朝、
前夜に書いた枕元の日記帳を見て、
すべてを確認することから始まる。
「名前はルカ、フランス、
  パリ在住、年齢三十五歳、
 勤め先はブルージュ不動産…」

ある日の昼休み、ルカはカフェ、ル・ロスタンで、
いつものようにコーヒーを飲みながら、
自分の日記帳をめくっていた。
「あ、クリストフじゃないか!」
店に入って来た自分より少し若い男が、
嬉しそうに肩をたたきながら言った。
当然ルカは、ぽかんと口を開けたままだ。
確か自分の名前はルカだったはず。
ではなぜ〝クリストフ”と呼ばれたのだろうか。
多分人違いだろう。ルカがそう思っていると、
男は両手を広げ、苦笑しながら話し始めた。
「驚かせてすまない。
 僕は前世のことも記憶している、
 異常な記憶力の持ち主なんです。
 あなたとは十八世紀のフランスで
  親友同士だった。
 もちろんあなたも僕も、今とは全く違う姿を
 していましたが、魂が同じだってことは
  わかるんです。…信じられませんよね。
 いつもは昔の知り合いに会っても、
 自分の中で再会を懐かしむだけに
  しているのですが、あなたにはつい興奮して、
  声をかけてしまった。
 仲のいい友達だったから。すまなかった」
男はほほ笑み、
軽く頭を下げて立ち去ろうとした。
ルカは、まだ口を開けたままだった。
自分のような者もいれば、
そんな特殊な記憶力を持った人もいるのだろうか。
妙に気になった。

ルカは席を立ち、男に声をかけた。
「待ってくれ。話が聞きたい」
 男は嬉しそうな顔で振り向き、
「信じてくれるのか…?」
と言いながら戻って来た。
ルカは再び席に着くと話し始めた。
「いや、俺は一度眠ってしまうと、
 昨日のことさえ思い出せなくなる病気なんだ。
 だから君の言うことに興味を持った」
「そうなのか…」
男は立ったまま、一瞬気の毒そうにルカを見たが、
すぐに笑顔になって握手を求めた。
「僕はジル。今は何て名前なんだ?」
「えーと…、ルカ」
二人は握手をした。
ジルが「ここ、いいか?」と聞いて、
ルカの前に座った。

ウェイターが来て、ジルはビールを注文した。
「君はいいな、ジル。
  俺は昨日のことも思い出せないのに…」
ルカが言った。
太陽の光をまともに浴びる席に座ったジルは、
上着の胸ポケットからサングラスを出して、
かけながら答えた。
「でも何千年もの痛みを積み重ねていくより、
 毎日新しい自分になれる君の方が、
 僕にとってはうらやましいよ。
 こうしていいことだってあるけれど。
 二百年以上も昔の親友に再会できるなんて、
  嬉しいよ」
「ところで俺たちは昔、何をしていたんだ?」
 ジルは足を組みかえながら答えた。
「当時はフランス革命の頃で…、
 俺たちはベルサイユ宮殿で、
 マリ=アントワネットの住むプチ・トリアノンの
 管理をしていた。君はクリストフ、
 俺はジェロームという名だった」
「なるほど。ところでマリ…なんとかって…?」
「あぁ、当時の国王、ルイ十六世のお后だよ。
 優雅で暇な生活を送ってたんだ。
 でもみんなが思っているほど
  美人じゃなかったぜ。
 肖像画はえらく綺麗に描いてあるけどな。
 みんなの幻想を壊すと悪いから、
  ここだけの話な」
ルカは感心したようにジルを見た。
毎日が嘘のような生活をしているルカでも、
二百年も昔のことが急に
現実のことのように思えたのだ。

その時、ジルが腕時計に目をやった。
「あっ、そろそろ仕事に戻らなきゃいけない。
 近くでケーキ屋をやっているんだ」
ジルは立ち上がり、ルカも席を立った。
「俺もそろそろ戻るよ。
 すぐそこの不動産屋で働いているんだ。
 また会えるかな?」
「もちろん。明日もこの時間に、
  このカフェに来るよ。また昼休みに会おう」
二人は約束してカフェを出た。
ジルは左手の人差し指と中指を眉に当て、
ウィンクをしながら笑うと、
向きを変えて走って行った。
(キザだけど楽しいヤツだ)
ルカは、思わず吹き出しながら思った。

ジルはそれからルカと会う度に昔話をした。
ルカはジルの話を日記帳に
書き留めるのが楽しみになった。
しかし相変わらず、眠るとすべてを忘れてしまう。
ジルはルカが聞きたがれば、
同じ話でも毎日嫌がらずに話してやった。
二人は二百年ぶりに、また親友になった。

ある日の昼休み、ルカはいつものように
ル・ロスタンに来たがジルは現れなかった。
次の日も、その次の日もジルは来なかった。
ルカの日記帳には空白のページが続いた。
それでもルカは、毎日昼休みにカフェに通った。

あっという間に六年が過ぎ去った。
ルカは一人の昼休みを
カフェで過ごすことに慣れたが、
心のどこかでまだジルを待っていた。

ある日の十二時半、五歳くらいの女の子が
きょろきょろしながら、
一人でル・ロスタンに入って来た。
肩まで伸びた栗色の髪の毛にリボンを結び、
青いワンピースを着ていた。
ルカはいつものようにコーヒーを飲みながら、
日記帳をめくっていたが、
ふとその女の子が視界に入ってきた。
(こんな小さい女の子が、一人でカフェに?)

ルカは黙って日記帳をめくり続けながら、
なんとなく女の子を目で追っていた。
女の子はルカの席の前に来ると、
急に目を輝かせて「ルカ!」と声をかけた。
ルカは不思議に思いながらも頷いた。
女の子は改めて言った。
「ルカ、久しぶり。私、あなたの親友よ」
不思議な顔をしているルカに、
女の子は「ここ、いい?」と聞いて、
ルカの前の席に座った。女の子は話し始めた。

「ジルはね、六年前に死んじゃったの。
 このカフェに来る途中で事故にあって。
 そして私に生まれ変わったの。
 ロンドンに住んでるんだ。
 あなたに知らせたかったけれど、
 どうしようもなくて…。ごめんね、ルカ」
女の子は両手で頬杖をついてほほ笑んだ。
「今は両親と旅行でパリに来ているの。
 やっとチャンスが来たと思って、
 買い物に夢中になっているママを置いて、
 走って来たんだ。
 ルカがまだここに通っててくれて嬉しい。
 あ、今は私、ジェニーっていうの」
女の子は話し終えると、
テーブルを挟んで握手を求めた。
ルカはまだ混乱したまま、
差し出された小さな手と握手をした。
「つまり君は、ジルの生まれ変わりなのか?」
ルカが聞くと、ジェニーは笑って頷いた。
「そう。十八世紀にプチ・トリアノンを
 管理していた時からの親友よ。
 あなたがクリストフで、
 私がジェロームだった頃からのね」
日記に書いてある通りだった。
「そうか、君があのジルなのか…。
 でもジルは死んでしまったんだな…」
ルカが悲しそうにつぶやくと、
ジェニーはまたほほ笑んだ。
「でも私がいるじゃない」
ウェイターが来て、ジェニーはココアを注文した。
ウェイターが行ってしまうと、
ジェニーが小声で言った。
「ビールはまだちょっと早いもんね」
ルカはようやく笑顔になった。
「ああ、ジルはいつも昼から
 ビールを飲んでいたようだな」
ココアが運ばれて来ると、
ジェニーは両手でカップを持って飲み始めた。
ルカはまだ信じられないような、
嬉しいような気持ちで、
しばらくの間目を細めながら、
ココアを飲むジェニーを眺めていた。
この子がいる限り、自分も毎日つながって
存在していると実感できる、
貴重な存在だと思った。

「パパとママが心配してるかも。もう行くね」
ジェニーは、急いで残りを飲みほすと席を立った。
ルカは、急に寂しい気持ちになった。
ジェニーはそれを察したのか、笑顔で言った。
「またいつか会えるよ。私が探し出すから。
 何百年かかっても、どこにいても。
 誰に生まれ変わっても、きっとまた会おうね」
そしてジェニーはルカの横に行き、
頬っぺたに挨拶のキスをすると、
そのまま歩いて行った。
出口で一度振り返り、
ほとんど両目をつぶった
不器用なウィンクをすると、
左手の人差し指と中指を眉に当てて一瞬笑った。
そして向きを変えると駆けて行った。

隣のテーブルでコーヒーを飲んでいた
上品な女性が、ほほ笑みながらルカに声をかけた。
「かわいいお嬢ちゃん。娘さん…ですの?」
ルカは我に返り、
「ええ…、小さな親友…と言うか…」
と、口ごもった。
「まぁ、素敵ね。娘さんを親友と呼ぶなんて…」

ルカは、ジェニーがしたキザな合図を、
どこかで見たことがあるような気がして、
ずっと考えていた。
すっかり冷めたコーヒーを飲みほして、
日記帳を鞄にしまった瞬間、
ジルと出会った日の映像が突然頭に浮かんできた。

「ジルの挨拶だ!」
ルカの声に、隣の女性がびっくりして
コーヒーカップをひっくり返した。
「まぁ、大きな声を出してどうなさったの」
女性は少し怒った顔で、
スカートにこぼれたコーヒーを拭いた。
「ジルのことを思い出したぞ。眠る前のこと、
 しかも六年も前のことを俺は思い出した!」
ルカの叫び声に、今や隣の女性だけでなく、
カフェ中の人が注目していた。
しかしルカの目には入っていなかった。
ルカは急いでジェニーを追いかけたが、
もうジェニーの後ろ姿は見えなかった。
「ジェニー、俺にはもう記憶がある。
 もし今、追いつけなくても、
 いつか俺が君を探し出すよ。
 今度は俺が君に会いに行くよ!」
ルカはパリの街を全速力で走った。(終)

©2023 alice hanasaki

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