マードックの日本史


2004年の夏、ロンドンの病院で森嶋通夫が亡くなった。ノーベル経済学賞に一番近い、日本人の学者と言われたほどの独自の理論の持ち主であった。

彼は、岩波書店のPR誌「図書」で、次のように述べていた。ジェイムズ・マードック著「日本史」は、翻訳に値するので、岩波書店から出してくれないかと。

このマードックから漱石夏目金之助は、第一高等中学校で、西洋史と英語を教わっている。ときには、朝はやく先生のうちまで押しかけてゆき、ギリシア語の詩の朗読を拝聴したこともある。

このスコットランド人は、ギリシア、ラテン、イタリア、スペイン、ポルトガルその他数カ国語に堪能であった。

1893年、マードックは、社会運動の一環として、パラグアイで理想郷を創ることを目指した。だが、この壮大な計画が挫折すると、数日後には、ロンドンに向かった。日本史第2巻に必要な資料を大英博物館の図書館で博捜するためである。

5ヶ月かけて、南蛮渡来のイエズス会士が故国へ送った報告書を読破、詳細なノートにまとめて、日本に戻った。日本語の資料は、英語に堪能な教え子の山縣五十雄に読解を助けてもらい、教職の合間に10年の歳月を費やして書き上げたのが「日本史 第2巻」である。

この巻では、西欧人と付き合いが始まった1543年頃から、およそ1世紀だけを扱う。

引っ込み思案の徳川幕府は、海外との交流を活発にすると、それに伴って、義務や責任、それに苦労も増えるので、鎖国という楽隠居こそが、この帝国にふさわしいと考えた、と記されている。

序論には、このあと、16世紀中頃までの歴史を簡単に記している。793年、神聖ローマ帝国の皇帝として、シャルルマーニュの戴冠式がローマで執り行われる7年前である。桓武天皇は、平安京に遷都・・・と説明が続く。

閉塞感に覆われている、この国で、今こそ、翻訳出版するべきではないのか。さて、翻訳はだれに頼むとしようか。ドナルド・キーンの「明治天皇」を翻訳した角地幸男は、いかがであろうか。まだ70歳代なので、スタミナは十分あると思われる。

タイトルは「マードック先生の日本史」ではインパクトに欠ける。「大英図書館から生まれた日本史」としたら、どうであろうか。

このマードックの日本史第2巻を高く評価しながらも、日欧交渉に重点を置きすぎるとして、新たな日本史を、米国スタンフォード大学のあるパロアルトで執筆したのが、ジョージ・サンソムである。

こちらは執筆途中から翻訳出版のはなしが日本の出版社から持ち込まれたが、サンソム卿は頑なに断った。サンソムの執筆を助けたのは、東北大学教授の豊田武である。

マードック、サンソムの日本史は、現在まで和訳されていない。共に、インターネット・アーカイブに、デジタル資料として保存されている。

https://archive.org/details/historyofjapan02murd/page/1

https://archive.org/details/historyofjapan00sans

サンソムの日本史第2巻は、1334年から1615年まで、およそ300年を扱っている。

まずは、マードックの日本史第2巻を、好評なら、残りの2巻を続けて出してくれないだろうか。全部が重版出来になれば、サンソム卿の日本史3巻も出版してもらいたい。

ジェイムズ・マードックの生涯については、平川祐弘著「内と外からの夏目漱石」(河出書房新社)に詳しい。

この本の中に、マードックの日本史第2巻が出版される前、明治36年10月号の「学鐙」に寄せた山縣五十雄の談が紹介されている。孫引きしてみよう。

此著述は恐らく先生を措きて他に作り得る人はあるまい。何となれば参考書となつた数百部の、容易に手に入難い珍書古文書は羅甸、伊太利、西班牙、葡牙、和蘭等の諸国語で書かれて居るから、よしや幸に此等の書が手に入ツたとて、我国の史家に悉く之を読得る人が無いからである。且つ先生の明かなる判断力と、紛雑混乱せる事実に聯絡と調和とを与ふる能力と、勁健高雅なる筆力とを併有する人は恐らく他にあるまい。

サンソムも自著「日本文化歴史」初版の序文で次のように述べている。平川祐弘の翻訳で紹介しよう。・・・マードックの博大なる知識と日本史の第一次・第二次史料の把握に太刀打ちすることは至難の業である。

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