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【エッセイの勉強】ものがたる

ファイル番号がずれたので直したら、新連載部分がさらに番号が後ずれ。こんなに書いてるのかー。三ヶ月はほったらかしにしていいわね。と次にすることを考えて、今の私に必要なのはユング心理学の知識だわ、とKindleを読み始めるとなんと京都大学退官の折の講演会記録でとんでもないところに出くわしてびっくり。

ゼルマの物語の方で「物語師」というオリジナルの職業を編み出したのですが、河合先生自体も「語る」という言葉を出だしに使われており、語ることが心理療法では大事とおっしゃってます。

「物語る」とも書いてあり、いろいろカタカナの英語で考えていた頭が一回止まりました。ん? 物語る?

無意識の反映の夢の木から物語を紡ぎ出して本に人生の物語を書くから「物語師」と命名しましたが、ここでクロスすんのか? とびっくりしました。そりゃ、河合先生のエッセイばかり読んでたし、モタ先生の言語録ばかりあつめてたし、似通うのは当たり前なんですが、それにしてもここまで近いとあまりの畏敬の念に打たれてKindleが停止。これ以上読むのが怖いような楽しみのような。思わずそこでブックマークつけて後で読もうにしました。もともと河合先生は物語や童話、昔話と夢の関係を研究テーマになさってるし、日本社会を母性社会と見るたたりから私のついなんでも母系社会にしてしまう癖ももらいました。「最後の眠り姫」にでる神殿にもグレートマザーを示すぐるぐる巻きの渦巻き登場してます。ゼルマの「気づいたら自分の小説の中で訳あり姫君になっていました」では意識的に設定してます。なのでこの「最後の講義」のあとには「母性社会の日本の原理」だったかと思いますが、その本も入手しているので読みます。どうも、わたしはそこそこのカトリック信者で父系社会の影響をばりばりうけてるのですが股関節脱臼で母子密着がとれなかったことで母系社会の関係性でゆがんだものを持ってしまってるのでこれも考える必要があります。母との問題が大きくて。今でこそなんとかやってますが、父が生きている頃はけんかしまくりでした。母のことは好きだけど母は妹の方をかわいがり、私の方は全然。すねてひがんでという状態でした。おかげで素の状態になった病気の私はそりゃもう、母のことで散々親姉妹困らせてきました。父が亡くなってようやくまともに自立の「じ」ぐらいができるようになったくらいです。父がいないことはつらいし、悲しいことですがある意味「お父さん、なくなってくれてありがとう」状態なのです。父が生きていればいつまででも溺愛されて「自立」は困難だったでしょう。相反する状態なのです。でも、父は人が死ぬことを勉強しろと言っていたけど、ほかに伝えたいことはなかったのかなとテレビドラマ見て思ってあの日は泣きまくりました。

親戚一同、私がお棺にしがみついて泣くんじゃないかと心配されました。実際は隅っこで泣くだけ。静かにすすり泣きだけ。母はびっくりしたそうです。

で、物語なんですが、これからの方向性がこの本で決められそうです。一応対立構造から抱き込みにかかるかんじで考えていたのですが、さらにいい情報が集まるようです。

と、久しぶりの単独「エッセイの勉強」でした。無意識のシンクロシティは空恐ろしいわ。まさに「リレイション」。「リアリティ」です。ここまで読んでくださってありがとうございました。

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