見出し画像

本と私の距離を保つ、恋を受け入れるために

また一つ、本の読み方を知ることが出来た気がする。

この間の旅行で訪れた美術館、そこで見たピカソの女の肖像がある。
自分の外側に意識を向けようとして作品を見て歩いていたら、その絵と絵に相対する場所に椅子があった。

何とはなしにそこに腰掛け、無心に絵を見つめる。
首を傾げたり、目を細めたり、焦点を近づけたり遠ざけたりしながら見つめた。
そうしていると、初めに何も掴みどころがないと思っていたのに、徐々にその意図みたいなものを感じ始めていった。
また、その意図らしきものは作品からというよりも自分の中から顔を出していくようだった。

そんな印象的な体験をして、ただ眺めることを知り、そういう風な本の読み方を試してみている。
書いてある言葉をこちらに寄せるのではなく、その距離を保ったままに向かい合う。
融かした言葉を自分に合う鋳型で作り直すのではなく、その言葉が自分に合うのを待つ。
そういう本の読み方をしている。


このとき、読書は自分の努力によって進むものではなくなった。
書いてあることを噛みしめながら、「そろそろかな」「まだだな」、「よし」と、ゆっくり進んでいくものになった。

これは受け入れることだ。
理不尽というか、自分の内側にないものに対して、それを捉えるのをじっと待つことだ。
それは、限りなく現実の体験に似ていることだと思う。


永井玲衣さんの「水中の哲学者たち」という本を読んだ。
そこで、理不尽で、不条理で、めちゃくちゃで、暴力的で、意味不明なものごとを「ボケ」だと捉える考え方を教えてもらった。
その目線には優しさとか愛情が感じられて、真似したいと思えた。

現実を受け入れることは、最近の私にとって大きな課題で、時にはしんどく思えるし、時には憧れている。
よくわからないけど、そのことに向き合いたいと思って本を読む、というのもあるのかもしれない。

私はちょうど一週間前、好きだと思っている人に「好きです」と伝えた。
そのことを自分がまだ噛みしめられてはいない。
だから、その本を読みたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?