AliLy

誰かに伝えようという意思は、書いている途中に解けてなくなる。 今はまだ自分のためのSN…

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誰かに伝えようという意思は、書いている途中に解けてなくなる。 今はまだ自分のためのSNS。

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自分のインターネットはそれに生きられるほど輝いたものではない。それよりも素晴らしいものは多くあるが、それの引力のせいで見えなくなっていることに気づいていない。頼むから目を醒ませ。

    • 私のメモ帳には三人の人格がいる

      私の習慣の一つにメモを取ることがある。 アイデアの備忘録や、混乱しているときの自問自答を書き留める記録的なメモ帳を常に携行している。 内容も時期によって変化する。 文体や内容、字体などに変化があるのだが、最近はメモの中で二人の人格が対話を進める形で書かれている。 二人はいわば理性と感性みたいなイメージでいる。 片方は考えたことをベースに良いものを目指して行動する人格で、もう片方は思ったことを中心に楽しさを追求する人格だ。 大人と子供みたいな感じで二人は話していく。 二人

      • ゆっくり歩いていけますように

        月曜から授業が始まって、昨日で一週間を終えた。 自分なりに丁寧に暮らしたつもりだ。 授業にはすべて出席して、やるべき部活の仕事は適切に対応した。 私がいいと思える心がけを重ねられて、安心している。 それでも、体は疲れて気分も落ち込むことが多かった。 特に水曜日以降は、作業しようとして机に向かっても集中できずに「しんどいな」とか考え続けてしまう時間が増えた。 朝起きても「頑張りたいと思うけど、疲れたな」というため息が止められらない日が何日かあった。 でも、そういったときでも

        • 土鍋ごはんを私に結ぶ

          土鍋でご飯を炊いていることは、他の人にとって羨ましいことではないらしい。その通りだと思う。 そう言われて、そう思っても、今朝も変わらず土鍋でご飯を炊いた。 引っ越して以来、ずっとそうしている。 理由というのは違う気もするけど、そのことに誇りのようなものを持っている。 他の人がどうでもいいと思っても、私はそれを大切にしたいと思っている。 そのことで満足するのは自分だけだけど、そうしていれば自分を大切にしてあげられる。 丁寧な暮らしという言葉は流行り言葉のようで、少し使いた

        • 固定された記事

        自分のインターネットはそれに生きられるほど輝いたものではない。それよりも素晴らしいものは多くあるが、それの引力のせいで見えなくなっていることに気づいていない。頼むから目を醒ませ。

          閉じた場所でひそかに大切にされているものが好きです。

          色々な些細なことが積み重なって混乱してしまった。 一つ一つはよくあることなのに、キャパオーバーして冷静ではいられなくなって、何を見てもドキドキしてしまうようになる。 そういうことはたまにある。 自分ではどうしようもない、災いのようなものだと思うので、ただ過ぎ去るのを待つしかない。 今日はメモに楽しいこととかを書き出していたら眠っていて、目が覚めたら雨はやんでいた。 台風一過と言う様に天気が大きく荒れた後には良い天気が訪れる。 眠る前にかけっぱなしにしていたジブリのオルゴー

          閉じた場所でひそかに大切にされているものが好きです。

          気分の前で私は無力になる

          「調子に乗ってた時期もあると思います。」 最近は叶わないと思うものがひとつ、またひとつと増えていく。 例えば、私は気分に勝てない。 朝起きて最悪に心が重たいときは布団から動くことすら出来なくて、ただただ苦しみの声を漏らすしかない。 今朝も、目覚めの気分は良くなかった。 昨日の終わりがけの出来事を寝る前までずっと考えていて、疲れたと逃げるように寝たからかもしれない。 考え事を始めた瞬間に昨日のもやもやが戻ってきた。 苦しさに何度もため息をつきながら、そのたびにスマホに逃げ

          気分の前で私は無力になる

          考えると悩むを分けて、気分を安定させた

          持て余している感情とか状態に名前を付けて、考えの俎上に載せようと思ったとき、それに何と名前を付けるか。 ラベリングの間違いみたいなことが起こってしまうのは仕方ないにしても、どこまでが暫定でどこからが確定かを整理して扱うのは難しい。 そして、そこの取り違えは混乱の大きな種になる。 直近の取り違えは「考える」と「悩む」の混同だった。 取り違えというか区別がついていなかったんだろうなと思う。 その違いにふれて、最近の考えを眺めたい。 考えると悩むの違いは何だろう、とふと気になっ

          考えると悩むを分けて、気分を安定させた

          (ネタバレ注意)ハイキュー!!と私の手紙

          東京に行って高校の先輩とご飯をご一緒してきた。 そしたらその場のノリでハイキューの映画を見に行くことになり、それ以来ハイキュー熱が再来している。 もともと物語として本当に好きな作品で、その上映画の演出では「意味が集約していく様」が強調されているように感じて、2度目だったのに泣いてしまった。 烏野と音駒、研磨と黒尾、研磨と翔陽、黒尾と月島、西谷と夜久さん、たくさんの関係性や思い出がすべてそのためにあったかのようなクライマックスで言葉を失った。 あとオレンジの歌詞もその点で本当

          (ネタバレ注意)ハイキュー!!と私の手紙

          行先を投げて遊んだらいいのでは?

          文字のフィルターを通さないと割り切って文章をまた書く。 というか、書かないと気分がどうにもならない。 明確な何かに苦しんでいるわけではなく、ただ混乱していて苦しい。 やるべきことをする、というのが出来ない。 やるべきことの私の認識は、やって悪いことは起きない物事という感じなのだが、それをこなすことが出来ない。 部活の仕事だとか、引っ越しの手続きだとか、荷物整理だとか、自炊だとか、免許の勉強だとか。 そういった物事を避けてひたすらスマホに逃避している。 やるべきことが出来な

          行先を投げて遊んだらいいのでは?

          言葉になるときの膜に苦しんでいるので

          誰かに自分の考えていることを伝えるとき、思いを整理するために言葉にするとき、その言葉がイメージにあっているかを考えてしまう。 そして、そこを納得いくまで掘り下げようとすると話が進まずに、だんだん苦しくなってくる。 本当は相手にとって受け取りやすいメッセージを渡したいし、自分のありのままを文章として残しておきたい。 それはこのnoteに綴る文章においても当てはまるのだが、今はそのストレスから逃げてしまいたいので、思ったことを何のフィルターも通さずに続けていく。 今日の朝も4

          言葉になるときの膜に苦しんでいるので

          やらなくてはいけないことをやるために、初めてカウンセリングを受けてきた

          カウンセリングを受けたの。 必修の単位を落としてしまったことと向き合って、自分の行動をコントロール出来ていない問題に対処しなくてはと思った。 そのために有効な手段としてカウンセリングにたどり着いたので、大学の相談室で色々話させてもらってきた。 その中で私のこれまでの選択を振り返ってみると、やらなくてはいけない事に対する意識がほとんどないことに気が付いた。 高校受験も、勉強も、部活も、大学受験も、「やらなくてはいけない」と周りから言われたとしても、それを機にそこに向かうこと

          やらなくてはいけないことをやるために、初めてカウンセリングを受けてきた

          本と私の距離を保つ、恋を受け入れるために

          また一つ、本の読み方を知ることが出来た気がする。 この間の旅行で訪れた美術館、そこで見たピカソの女の肖像がある。 自分の外側に意識を向けようとして作品を見て歩いていたら、その絵と絵に相対する場所に椅子があった。 何とはなしにそこに腰掛け、無心に絵を見つめる。 首を傾げたり、目を細めたり、焦点を近づけたり遠ざけたりしながら見つめた。 そうしていると、初めに何も掴みどころがないと思っていたのに、徐々にその意図みたいなものを感じ始めていった。 また、その意図らしきものは作品から

          本と私の距離を保つ、恋を受け入れるために

          言葉の重みを知りたい、知らなくてはならない

          ある友人と、こんな話をした。 「自分と他人は絶対に違うんだけど、たまに共通点を持った人がいて、そういう出会いができると嬉しくなるんだよね。同じであることは、私にとってとても尊いものなんだ。」 「…同じっていうのは、絶対に違うことを無視しているようで受け入れがたい表現だな。」 「…確かにそうかも。似ているが適当だったね、ごめん。」 言葉の捉え方は人それぞれだとは分かっていても、なかなかそのことに気づけるわけではない。 李琴峰さんの「肉を脱ぐ」という小説を読み、言葉の重みを

          言葉の重みを知りたい、知らなくてはならない

          理由は信頼できるか?肯定できるか?への回答

          自分にとっての理由を人に説明しても、納得してもらえないことがある。 人から説明を受けても、受け入れられないことがある。 昔受け入れていた理由が、今では見当違いで非論理的に思えることがある。 将来の夢に影響するほど大好きな「宇宙よりも遠い場所」というアニメ。 なんで私はそれを好きなのかを考え抜いて、その説明とともに友達にその作品を見てもらったことがある。 「わかるけどそこまでではない」という彼の感想に私は納得できなかったし、彼も自分をよく分からないと思ったはずだ。 そして数

          理由は信頼できるか?肯定できるか?への回答

          春休みの目的:過去を後悔せず好きでいるために

          大学の授業が終わり、事実上の春休みになった。 テストの手応えが芳しくなかったので、消化不良は感じる。 それでもこれからのことを考えようと思う。 したがって春休みの計画を立てようとした。 でも出来なかった。これはその紆余曲折を今の目線で解釈して、飲み込むためのnoteである。 春休みの目的がわからないはじめに突き当たったのは「春休みを暮らす上での目的がわからない」という悩みだった。 そしてその原因はモチベーションが低くて、目的がその役割を果たせないためだった。 私が行動す

          春休みの目的:過去を後悔せず好きでいるために

          物語の世界に生きたくて、憧れを現実に持ち込んでいる

          金曜日は久々に部活が無い夜で、家で猛烈な寂しさに包まれていた。 今振り返ってみると、一人の楽しみ方を忘れてしまっていたんだと思う。 小説や漫画、ドラマや映画などの物語を受け取ることは、時間を忘れるくらいに楽しい。 特に私が好きなのは、アニメだ。 登場人物の在り方に心を奪われたり、作品の世界に耽溺したり、先の展開を考察したりと、作品の数だけの味わい方を試してきて、本当に豊かな出会いを得られたと思う。 例えば、「スタァライト」ではキャラクターたちの憧れを隠さずにひたすらそこを

          物語の世界に生きたくて、憧れを現実に持ち込んでいる