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理由は信頼できるか?肯定できるか?への回答

自分にとっての理由を人に説明しても、納得してもらえないことがある。
人から説明を受けても、受け入れられないことがある。
昔受け入れていた理由が、今では見当違いで非論理的に思えることがある。

将来の夢に影響するほど大好きな「宇宙よりも遠い場所」というアニメ。
なんで私はそれを好きなのかを考え抜いて、その説明とともに友達にその作品を見てもらったことがある。
「わかるけどそこまでではない」という彼の感想に私は納得できなかったし、彼も自分をよく分からないと思ったはずだ。

そして数年後に再び見返すと、受ける印象も琴線への触れ方も、好きな理由も変わっていた。

そういう理由の不確かさを気にして、理由立てて考えることを躊躇っていた。
それで理由を肯定的に捉えたいと思って、ようやく今の自分に有効な説明を思いついたかもしれない。
なので整理も兼ねて文章にする。

ちなみに結論を述べると、「満足/受容/納得したいという目的のために理由づけという手段を用いている」となる。


今の自分だけは理由を信頼して良い

最初の問題意識は「理由が信頼できないこと」だった。
理由と意味づけは近いと思うが、偶然の科学という本で意味づけについて次の内容があった。

まず、意味づけは出来事が起こった後になされる対応的な行為で、それが未来の予測につながることはない。
そして、一度組み立てた意味づけも展開次第で否定されうる。

物語には作者と読者がいる。
新しい話を受け取った読者はその展開に解釈を加える。
さらに一部の人は根拠を持って考察をなし、先の展開を予想しようとする。
けれども次の話次第でそれらの解釈や考察は、たとえどれだけの信ぴょう性を持っていても否定され、読者はまた新しい解釈や考察を求められる。

そういう風に簡単に否定される理由を用意することが意味不明に思えて、理由を信頼することを恐れていた。
しかし、「今の自分を満足させられるのだから、理由を信頼して良い」と考えることでこの悩みが解消された。

今わからない未来のことは未来の私に任せて、今は今の私さえ満足させられればよいという考えを得て、未来の私に対する責任が軽くなった。
そして今に限定することで、理由の正しさを信頼できるようになった。


新しさに出会った時に、理由を求める

理由を肯定的に捉えるための次のステップとして、「理由をどんな時に求めるか」を考えた。
そしてそれは、新しい物事を受け入れる時だった。

一番理由をわかりやすく必要とするのは、不可解なものに出会った時だ。
初見の数学の公式や他人の意味不明な行動に遭遇したり、理不尽が降りかかってきたりした時にその理由を求めたくなる。
他には、決断をする時がある。
なんでドーナツが好きなのか、なんでその大学に行ったのか、自分の行動を正当化する時に理由が欲しくなる。

自分の中に既存の要素からは生まれないはずの「新しさ」に出会ったときに、理由を探す。
それは、異なるものを受け入れる(目的)ために理由を探す(手段)と捉えられる。

ここで次に進むには「受け入れるとは何か」という定義を考えることになる。
しかしまだそこまで考えは及んでいないので、一度ここで話を閉じようと思う。


まとめ

「今の私が、物事を受け入れるための手段として、理由を求める」
これが私が理由を肯定するための捉え方である。
最初の結論には「満足/受容/納得したいという目的」と書いたが、これは受け入れるを具体的に言い換えたものである。ただし、受け入れるという言葉の本質は曖昧なままである。

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