見出し画像

僕はポルシェ928~発達障害者は「スーパーカー」?~

クルマが好きな僕は、人間や人間社会のことなどもクルマに喩えることがあります。
その中で、とある発達障害の方もブログか何かで書いていたものを参考にしたのですが、
発達障害・発達障害者のことを、
世知辛い世間での日用づかいには不向きな「スーパーカー」みたいだ、
と思っています。

◯走れる時は驚くほどのスピードで走れる
→パターンにハマると能力を発揮する
◯ちゃんと走らせ方をわかっていないと危ない
→その人の特性・特徴の理解が大事
◯燃費が良いとは言えない
→疲れやすい
◯パーツの構造が複雑で繊細
→理解が難しい、こまめな体調のメンテナンスが要る
◯荷物はたくさん載らないし、値段は安くないし、いつでもどこでも誰でも乗れる車じゃない
→万人受けしない
◯格好(スタイリングや見た目)は賛否両論分かれる
→良さがなかなか理解されない
◯車好きでない人からは見向きもされない
→こだわりがたっぷり詰まっている
◯ぱっと見「偉そうに!」みたいな感情を抱きがち・“鼻につく”感じがする
→毛嫌いされやすい


でも!

◯しっかり手入れをしてやるといつまでも長生きする
◯才能を発揮すれば「名車」と呼べるような存在になる人もいる


で。
「発達障害者をクルマに喩えたら」
というこの話を他の人にしたら、

「登録ナンバーなしでは公道(=大多数の人が多く通行する道)を走れないけれど、サーキットなら性能を存分に発揮できるから、『レーシングカー』だ」と喩える人や、

「こつこつ働く『ブルドーザー』だと喩える人や、

「周りを攻撃してばっかりの人は『戦車』のようだ」と喩える人もいました。

多くの人に理解されるか否かの違いだけで、みんなそれぞれに特性がある、というのは発達障害があろうがなかろうが、変わらないですけどね。


クルマについてあまり詳しくない方にはちょっと難しい話かもしれませんが、いかがでしょうか?



僕自身、万人受けはしない人間です。
初対面で
「あ、この人とは仲良くなれそう!なりたい!」
っていう雰囲気はない(てよく言われる)し、

「スクールカースト」って言葉がありますけど、
子どもの頃からいつも下で、いつも余り物。
若い頃からよく「扱いにくい人」「変わった子」‥もっと悪く言えば「ウザいヤツ」などとよく言われました。

そんな中で‥僕の大好きなコミック『湾岸Midnight』から、この言葉を皆さんに紹介します。

【アメリカではポルシェターボを ウィドーメーカーと言うんだよ
つまり“未亡人づくり”て意味だ
それほど危険な車と認知されている
でもあの車はすごく愛されている
それはあの車が“何か”を与えてくれるからだ
いつでもドコでも誰でも乗れる 911はそんな都合のいい車じゃない
(中略)
リーズナブルで 乗りやすくて カッコ良くて そして速い
都合のいい関係は つまりいいトコ取りだ
そんなモノは 何も与えてくれない
それどころか 逆に何かを取られる
人間もそうだろ 都合のいい関係から得られるモノはない
面倒くさい奴からしか 大事なモノは得られない】

(楠みちはる作 コミック『湾岸Midnight』VOL.42 p12〜15)


◯自分や、自身が属する集団に合わない人・モノを爪弾きにしてばかりでは良いものは生まれない・出来ないこと
◯価値観が同じ人とばかり付き合っていると、同質化が助長され、結果として多様な視点で物事を考えられなくなること

を諭した言葉だと思います。
人間関係で悩んだり、他人や、“お手てつないで仲良しこよし”な雰囲気の場から嫌われたり拒まれたりしたときに、僕はよくこの言葉を思い出しました。



僕自身、自分のことを「ポルシェのようだ」と思っています。
「高級感があって、お高くとまっていて、女子ウケが良くて」
といういい意味じゃなくて、
「質実ではあるけど、こだわりが強いクルマ。他のクルマともかなり違っていて、維持費が大変で、ちゃんとわかって走らせないとアブナいクルマ」
でも
「走らせ方がわかっていればものすごく楽しいクルマ」
という意味で。


ちなみに‥
少し話はマニアっぽくなりますが、この話を仲の良いクルマ好きの友人にしたら
「あなたは、ポルシェはポルシェでも928だよ」
と言ってくれました。

●1978年生まれ(同い年)
●911を超えるべく造られた、こだわり満載のクルマ
●今となっては希少車(維持も大変&後継車の登場もない)
●部品はほとんど専用設計
●今のポルシェに比べれば地味だけど味のあるクルマ
だから、だそうです!
(トップの画像はそのポルシェ928です)


つい先日、clubhouseで毎日ルームを開いている方が、928回目のルーム開催をしたときにこの話をしたのですが、その時に言われたメッセージを紹介します。


「都合のいい関係から得られるモノはない 面倒くさい奴からしか 大事なモノは得られない」
うーん、言葉の一つ一つに深く意味付けを考えなくてもいいんだけど‥
起きているコトは全て必然で 無駄なんて何もなくて
どんな人との出会いも
たとえ好きになれなかったとしても
「何かを学ぶ・得ている」か
「何かを明らかにしている」か
そのどっちかなのよ。
嫌いな人とも無理やり仲良くする必要はないけれどね。


にしむーが前向きに変われたのは
子どもの頃に比べて自分のことを認めることができるようになり
ダメなところも含めて自分のことを少しずつ好きになっていったことで
現実が変わってきているんだと思うの。
「ダメだからよくなろう」
じゃなくて
「今も素敵だけど、もっとこうしたらよくなるカナ」
て思って生きることがいい結果を生んでいるんだと思う。

たとえば 今苦手な人間が会社にほとんどいない
上司の配慮にも恵まれているって言ったよね。
それは自分の弱いところを認めて言語化できているから。
自己開示ができる=自己承認しているから。
ダメなところもひっくるめて認めているから。
他所の会社で働いている人のことはさておき(ぶっちゃけどうでもよくて)、
自分にとっての事実を見ればそれでいいの。
そして自分の嫌いなところにも可愛いネーミングをつけて仲良くするといいんじゃない?



「こだわりが強い」というところ等に「ポルシェ928」ってつけたらいいかしら(笑)。



最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が参加している募集

今こんな気分

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?