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ただ在ることがコーチングになる境地

高校時代、進路指導をしていた数学の先生に「なんで先生になったんですか?」と尋ねたことがあった。
その時の返答は、「数学が "見えなかった" からです」だった。
先生は大学時代に才能のカベを感じる相手と出会って、数学の世界を開拓することを諦めたみたい。

今なら思うのだけれど、そこだけじゃないと思う。
先生がどんな人を"天才"だと思ったのかは知らないけど、多分その人は数学が"視えてた"どころか、"触れる""弄り倒せていた"と思う。
そういう人はいる。残念ながら見えさえすればよかったわけじゃない。
これは距離感の話。

物事に習熟していく順番を僕なりにロジックで書くと、
「知る」→「わかる」→「できる」→「慣らす」→「起こる」となる。

センスで書き換えると、
「識る」→「視える」→「触れる」→「弄れる」→「在る」に対応する。

3段階目までは数学者の岡潔も言い換えていて、特に印象的なのは3つ目の「情緒が分かる」ということである。成程、趣がある。
他の角度で言えば、身体感覚で腹落ちしていること、理解を超えて納得していることである。

曲者なのは、それらの間にある「わかった気になっている」「できた気になっている」段階である。経由はすれど、終着はしたくない点だ。
一つ問題としてあるのは「わかる」と「できる」という言葉が使い古され手垢にまみれ、殆どの人が知ったりわかったりする前に飽きる点にある。岡潔が敢えて「情緒」と言ったのは、飽きられて濁った言葉を選びたくなかったのだと思う。

「わかる」と「できる」の違いを今一度書き起こす。

「わかる」

語源の通り"分ける"であり、未知の料理(混沌)を既知の素材に分解し、目の前に集めてくることである。レシピがあれば一瞬だし、知らない素材は今の時代調べれば出てくる。これが「視える」。
検索しても出てこない場合は、さらに分解し、異分野まで探索の手を広げることを繰り返すといずれ見つかる。

これは元ハンマー投げ選手で現スポーツ庁長官の室伏広治のわかり方に近い。身体を使った動画なので上記の説明より直感的。

「わかった気になっている」

レシピに書いてあることが全てだと盲信する姿勢だと思う。
現実は常に行間があり、余白がある。
「私は人の心がわかります」なんていう人は、胡散臭いと思うだろうか。
でもこういう自己矛盾構文を気付かずに使っちゃっている人はそれなりにいるのだ。
「わかった気にならない」。これも「わかる」において要諦だと思う。

「できる」

調理法を体得することである。レシピ通りにこなすことでは未完成。
完成形が自分の内側にあったとき、初めて「できた」と呼べる。
感覚としては、初めて補助輪なしの自転車に乗れるようになった時に近い。調和と統合により自分の体に紐づいているので、基本的に一度できるようになったことはいつでもどこでも再現可能だ。

そして大人の「できる」は大抵オリジナルレシピを作ることから始まるので大変だ。
0→1段階であり、ここを乗り越えるまでは周囲から見ての進捗はゼロ。もちろん誰も褒めてくれないし認めてくれない(というか、経験知にないので原理的に認知できない)。徹底的に自分と向き合う作業。
難しすぎて、感覚で「触れる」ようになる頃には承認欲求からは卒業している。これが天才の在り方をインストールした凡人状態。

「できた気になっている」

レシピ通りに作った場合である。過去にできた人への依存状態であり、他の何かに応用することはできない。レシピをツギハギしても同じ話。
一見外的には完成形と区別がつかないが、内的には集めた素材をとりあえずぐちゃっとまとめて一つにしているだけの状態なので実は各素材はバラバラ。(見る人が見れば一発でわかるが、付加価値のある調理とは言い難い。ルービックキューブの六面の揃え方を習って一面だけ揃えられてる感じ。)
整型する手がないと途端に崩れるが手の数は有限なので、使わないレシピから順に記憶の彼方へと流れていく。

最後に

物事に習熟するということについて再考してみた。
元は高校生の時に考えていたことなのだが、天才は「知れば分けずにできる」人であり、秀才は「できた気になっている」人で、今も反例は見つかっていない。
(ところで秀才の東大生も地方の一般的な大学に行けば天才扱いされることも想像に難くないように、天才は周りの人間の「畏敬の念と諦め」によって作られるのだと思う。元から「天才」という人間が存在するわけじゃない。
たまに、天啓が降りてくる「知らないのにできる」タイプもいるけれど、今ちょっと研究中だ。その正体を「わかったつもり」くらいにはなったと思う。)

天才も天才でわかっているわけではないので、できても凡人には教えられない。
そこで、わかるしできる凡人になろうと思ってから、だいぶ豊かになった気がする。全てがグラデーションで繋がっていく感じ。
これからはただ在るだけの時間。
やっとマインドフルに生きないことを明らめられそうだ。

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