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「いい性格してるね」って悪口?


何かを言った後に「良い意味でね?」と付け加える事は、大概悪い意味になってしまうのではないか、といつしか友人が話していた。
僕はそんな事もないだろう、と思った。悪い意味のように捉えられないように、語弊が生まれないように「ポジティブな意見だよ」と添える優しさだと思う。
ただ、「良い意味でね?」を語尾に付け加える事でそこが強調され、「ポジティブな意見ですけど何か?」的な嫌らしさは感じなくもないな、とも思った。

先日、言われたわけでもないのに「いい性格してるね」は悪口や皮肉でしかないと気がついた。

「性格がいい」は「良い」なのに、「いい性格してる」は「良い」にならない。どれだけポジティブに言い換えても、「ユニークな性格してるね」くらいが限界だ。
僕なりにポジティブ変換すると「いい性格してるね」と言われる人は、きっとずる賢さを持った上手な生き方をする人なのかもしれない。

逆に「性格がいい」とか「優しい」とかって、他にも褒めるところがない人に言う事でもある、という世論がある。『響け!ユーフォニアム』の晴香先輩がそんな事を言っていた。

確かに性格がいい人や優しい人は、損な役回りが多いかもしれない。
僕が中学生の頃、修学旅行の大浴場の湯船に排泄物が大量にあるという大事件が発生した際にも、性格がいい、穏やかで優しい人がその排泄物を必死に桶で捨てていた。彼が犯人ではないのに。
誰がしたかも分からない排泄物を回収するなんて自分にとって何の利にもならない事をする彼の行動は、ボランティアの鏡であった。彼はこの行動に胸を張るべきだ。

そんな事を考えた時に、世の中には性格がいい人よりいい性格の人の方が多いような気がした。むしろ性格がいい人はおらず、いい性格の人と悪い性格の人のどちらかな気がして来た。

80億近い人口の中で全ての人に優しくできるのが性格のいい人というわけではないし、そんな人はきっといない。人によってどんな事を“優しさ”と捉えるかも違うのに、全ての人に同じように優しさを分け与える事はできない。かと言って人によって異なる色んな種類の優しさを使い分けるなんて事もきっと出来ない。誰かに向けた優しさが誰かの反感を買う事だってあるだろう。

だから、僕達は大切な誰かに優しさを与え、見えないところで知らない誰かを敵に回す。そんな立ち回りができるいい性格をしているのかもしれない。きっとそれは、その行動は大切な誰かにとって僕達を「性格がいい」「優しい」と思ってもらえるかもしれないが、そう思われたいがためのあくまで自分のための優しさなのかもしれない。

まず、自分に優しく出来ないと人に優しくなんて出来ないのかもしれない。

誰かを助けることは義務じゃないと僕は思うんだ
笑顔を見れる権利なんだ 自分のためなんだ

『Hey Ho』/SEKAI NO OWARI


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