発達障害への理解は、「わかりづらさ」と「生きづらさ」から
発達障害と知的障害の家族と笑顔でくらすを目指す あろはる です。
約1年ぶりの投稿です。
先日、とある方が子育て中にもかかわらず、noteを毎日更新していると聞いて、再開してみようとふと思い書いています。
発達障害を一つ一つ理解する必要はない
先日、地域の発達障害者支援センターの方の研修会を受講しました。
主に学校や保育園など子供たちを支援する支援者の方々向けの研修会でしたが、保護者も参加できるということで受講することにしました。
我が家には、ADHDの夫と、先天性の疾患を持つ長男(知的障害)がいます。
日々彼らと接する中で、私なりに失敗を繰り返し、今は割と穏やかに笑顔で過ごせています。
今回の研修を担当した先生が冒頭でおっしゃっていたことは、
「わかりづらさ」
「生きづらさ」
この2つを理解することが大切だということ。
発達障害について、「その特性や種類がどうか?」とか、「こういう症状があるからこの発達障害だ」とか、そのような表面的に見えているところに着目する前に、
「わかりづらさ」
「生きづらさ」
を理解することで、それを共感し、そして支援につながるというお話でした。
「生きづらさ」とは
発達障害や知的障害を持つ人々にとっては、自分のその特性自体は本人からしてみると何も「生きづらさ」はないのです。
それが、周りの多数派の人たちと比べた時に「生きづらさ」が発生します。
つまりは、周囲にいる人たちからの理解がないこと、それ自体が「生きづらさ」になるようです。
ADHDの夫は忘れ物やなくしものが多いです。
私は夫がADHDと診断があってからも、その特性を分かっているつもりでしたが、自分の常識に当てはめて夫のことを強制しようとした時期もありました。
今振り返ると、夫は私からの理解がされにくくて、日々、逆境的な体験が積み重なっていたのではないかなと推測しています。
障害そのものが本人を苦しめているのではなく、周りからの理解のしづらさが苦しめているのです。
支援するとは
障害者や障害児に対しては、診断や服薬、療育やリハビリテーションなどの支援の仕方があります。
それに対して、私のように周囲の家族や支援者に対しては、それこそ今回の研修会のように、学ぶことで当事者の「困難さを理解する」こと。
後者のほうが圧倒的に大切なようです。
普段は2足歩行が通常と捉えて生活しているのが多数派ですが、それが逆転した場合に「どんな困難さが生じるのか?」。
その理解につながる動画をご紹介いただきました。
車椅子の方がオーナーでスタッフもお客様も全て車椅子利用者。
そこに健常者が利用するとなるとどのような困難さがあるのか?想像しているよりも体験する方が圧倒的にその理解が深まるという動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=JnBS4YAKCVk
発達障害や知的障害においても、まずは相手の行動の背景を理解するところから始める必要があるようです。
家族として
我が家はパートナーと子供が少なくとも診断を受けている疾患持ちの家族です。
相手を変えることができません。
もちろん過去を変えることもできません。
変えられるのは、自分と今です。
今回は、発達障害を含めて障害があることについての「生きづらさ」の環境要因が多数派と思っている自分たちに存在すると改めて感じさせられました。
まずは、本人たちをよく観察して理解することに努めようと思います。
あろはる
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