見出し画像

新しい先生がすぐに日本語教師を辞める現実

日本語教師になって日が浅い先生が辞めてしまう、というケースはもちろんあります。
理由は色々あると思いますが、
私が今まで一番よく目にしてきたのは、
「教案が作れない」という理由です。

ここで言う「教案が作れない」というのは
「文法を正しく紹介する術が思い浮かばない」ということです。

よく「導入」という言葉が使われますが、
導入とは「その文法が使われている場面を紹介し、学生が実際に使えるようにすること」を指します。

「旅行に行くために貯金しています」

学校の授業で「【ために】は目的をあらわします」とだけ説明するのは導入ではありません。
それなら学習者は自分で辞書をひけばいい話です。

じゃあこれ、旅行に行く時に話すの?貯金している時に話すの?
そもそも貯金している時っていつ?給料日?貯金箱にお金を入れる時?
それを人に話すの?自分だけの独り言?
「旅行に行けるように貯金しています」と何が違うの?
日本人はどんな時どっちを使うの?

というのを紹介するのが「導入」です。

でもこれって、始めのうちはそんなに簡単には思い浮かびません。
なぜなら母語として日本語を話している我々は
これらのことを「無意識」に選んで、使っているからです。

これができるようになるには、
「普段日本人(自分)が使っている日本語を客観的に分析すること」が必要ですが、
そもそもこの文法について理解しておかなければなりません。
それには類似したものとの違い(そちらも理解しておく必要がある)や
学習者がこれまで勉強してきた表現も把握しておく必要があります。

それを、理解しやすい順序で紹介できるようにまとめておくのが「教案」です。

今は、教案が既に用意されていて、それを使って授業をする学校さんもありますし、
インターネットで公開(販売)されている教案を使って授業をする先生もいらっしゃるかと思います。

私個人の意見としては、一度は自分で作っておいた方がいいと思います。
もちろん、経験がある方が作った教案であれば、その通りに進めていけば学習者もきちんと理解でき、間違ったことを教えてしまう心配もないかもしれません。
が、それで教師自身の文法や表現に対する理解や、客観的に使用場面を分析する能力が育つのでしょうか?
それに、教案に書かれていないことを質問されたら、答えられるのでしょうか?
といったところは疑問です。

そんな教案ですが、始めのうちはやはり作るのが大変です。
時間もかかりますし、そもそも「導入」を思いつくのにも一苦労だと思います。
よく「はじめのうちはほぼ徹夜で教案を作った」なんてお話を聞きますが、
本当にその通りです。
(そこに給料が発生しないのか、とかやる気搾取とか、そういった話題は置いておきます)

そうやって作っていった教案が少しずつ貯まってきた頃、
頭の中にも
・文法や語彙の知識
・教え方のコツ
・自信
が貯まっていきます。

そうなると、授業でもうまくいくことも増え
学生の「わかった!」という顔を見ると嬉しくなりますし
楽しいと思える機会がどんどん増えていきます。
そしてまたスランプや壁にぶつかる時期があり、
それを乗り越え、少しずつ楽しく嬉しいことが増えていく。

つまり、そこに辿り着くには教案を作るという多少の苦労は必要なのだと思います。

さて、ここで最初の話題に戻ります。

「教案が書けない」と言って早い段階で教師を辞めてしまう方を何人か見てきました。
私としては「もうすこし頑張ってみたら、少しずつ道が開けてくる」と思うのですが、残念ながらお給料の面などを考えると早くに見切りをつけた方がいい、と思われるのかもしれません。

ただ、そういう方からお話を伺うと、
「もっと簡単で、楽しい仕事だと思っていた」とおっしゃる方もいます。

日本語教師になろうと思った時に思い描くイメージは人によって様々です。
養成講座のパンフレットにあるような、
先生も学習者も笑顔で笑い合っているようなイメージ。
あれを全てだと思ってしまうと、
「もっと楽しいと思っていた」に繋がってしまうのでは?と思います。

しかし現実には、あのシーンは氷山の一角でしかなく
水面下でしなければならない努力はかなり大きいものです。
先生になってみて、そこに気づき、「自分には合わない」と思う方が少なからずいる。

これもまた、日本語を教える世界にある現実です。


と、書いてみましたが
これっておそらくどんな仕事でもある話なんですよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?