見出し画像

玉石混交に巻き込まれると、手放すものがわかることもある

「それは要らない思い込みでは?」「思い込みを手放せ」
人には言えるし、気がつくのに、自分のことには気づきにくい。
だから「思い込み」は厄介なんだけど。

さんざん人には言ってきた私。
やっぱり囚われていたものがあったみたい。

最近たまたま依頼が押し寄せていた。
既に「やらない」と決めていることは明確にしていたので、何でもかんでもではなく、自分の関心や社会的意義、条件にムリがないなどに照らし、その代わり、私ならではの質を持ってお応えできるかどうかを大切な基準…。

にしているつもりだったけれど、玉石混交によって気づけたことがある。

「玉」に見えた「石」

知り合いを通じて依頼されたコンテンツ作成の案件。
具体的な固有名詞や詳細はここには出せないけれど、内容としては「かしわぎに」という半ばご指名を頂くような依頼だった。
私自身にとっても「過去の経験」を使うだけでなく、まさに「これから」にもつながるような部分もあり、疑うことなく引き受けた。

ところがフタを開けると。

なかなかの難題多し。
コンテンツの主役である本人の姿勢、考え方に強烈な違和感を抱き、深掘りすればするほど依頼そのものにムリがありそうなのだ。
これまでにも私は、多くの個性的でクセの強い人たちと対峙してきたけれど、かつて体験したことのない疑問や違和感に困惑した。

価値観や考え方の違いはいくらでもあり、それは大きな問題ではなくて。
それ以前の、噛み合わない、トゲトゲしい、ささくれだつような感覚。
エネルギーをマイナスに消耗させられていくような不快感さえある。

何なのコレは…?

複数の案件を進めるからわかる優先度

私にとって、ロングインタビューは良くも悪くもエネルギーを消耗する。
エネルギーを使うけれど、その分、相手からの手応えを受け止められたとき、良いエネルギーに換わる。

ちなみに同時に進めていた他案件は、お互いにとって良いエネルギー交換を感じられていた。

それだけに、マイナスエネルギーの強烈な違和感が際立つ。
複数の案件があると、時間とエネルギーの優先順位を自然とつけることになり、その理由もわかってくる。

センサーが抵抗している 違和感に従いたい

どの角度から検証しても、案件にムリがあり、関わることで疲弊する。
もしかしたら昔の私なら、こういう案件、こういう人にも食らいつくように頑張ろうとしたかもしれないし、むしろ嬉々としてやったかもしれない。
いっときはこういう修行も自分を成長させてくれることもある。

でも今は、この違和感に従いたいと思った。
楽しい楽しくないとかいう次元ではなく、
今の私だからこその、経験値、価値観、様々なセンサーが明らかに抵抗している気がする。

こういうエネルギーの消耗のしかたは良くないし、
なにより、この状態では仕事としての質も良いものにならない、と強く思った。
少なくとも、心をささくれ立たせながら頑張ることじゃない。

もうこんなこと、やらなくていいんじゃない?

違和感が教えてくれること

ありがたいはずの案件なのに、違和感を抱くことは少し意外でもあった。
だから、何かの意味があるに違いない。

「どんな人と一緒に仕事したいか」
「どんな人の味方になりたいか」

何をするか・自分の能力を提供するにも、コレが大事だとどこかで聞いたことがある。

これからの私は
「こういう人の味方になりたいわけじゃない」と強く感じた。

これまでは「自分が関わるべき人たち」だと使命感を思い込んできたけれど、今の私には違って来ているのかも。
起きたことは、それを象徴する啓示。
囚われていたものを手放すタイミングだと感じている。

「玉」ばかりはいいけれど…「石」に気づかされることもある

わざわざ石を選ばなくても、「玉」に見えて「石」なこともある。
できれば「玉」ばかりを望みたいけれど、「石」が混ざることの功罪はあると思う。

「石」に出くわす、その違和感から、自分にとっての判断基準が見えることもある。
逆に言えば、石にぶつかることで、自分にとっての「玉」の方向や価値も気づける。

また物理的に「玉石」複数重なり同時進行することで、
必然的に優先順位や自分の心の趣きや抵抗感が浮き彫りになって、
「実はコレは石なのでは?」と気づくこともある。

「手放しの啓示」はこんなカタチでやってくることもあるのかなぁと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?