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健康道場⑤

髪を切ってわかったことが三つある。

一つ、実生活で幾分か楽になる。
二つ、ひとの感じ方の違い。

一つ目については、本当に色々ある。
髪がすぐ乾く、鏡を見る時間が減った、散髪の頻度が減った(財布に優しくなった)、、、など

髪型、ひいてはルックスを気にする頻度が減った。というより、気にしても意味がないくらいにはひどくなったと思っている。肌が荒れようが、髪がバサつこうが、服装がダサかろうが。

モテたくて気にしてたこととか全部無駄だったと思う。
そういう意味では異性の目線とかは気にしなくなっていくかもしれないし、相変わらず根暗なぼっちおじさんとして生きていくのだろう。

二つ目については側面が3点ある。
第一に僕が好きな人、尊敬している、好かれたい人、大事にしたい人からの側面。
端的に言えば、不評。よくてノーコメント、触れてこない。
パッとしないルックスを雰囲気で誤魔化し、少しでも尊敬する人たちに近付いていたかった。
もちろん外面が全てではないのは、あらゆる人の倫理観の根幹にあるような気がするほど自明な態度だとわかっている。
全てではないが、その大半を占めている。
今の時代は外見がある程度のレベルにないと、そもそも人として扱ってもらえるかも怪しいところまで来ている。
電車の広告は脱毛、整形、写真には当たり前に加工が施され、生まれたままでは受け入れてもらえない。
僕は意図せず、逆行している。

第二に嫌いな人、尊敬できない人、感覚が合わない人からの側面。
非常に好評である。
さっぱりしたね、ビジネスマンとしての自覚が云々、眉毛、おでこは見えてた方がいい。
なーんにも、微塵も、これっぽちもわかっていない。何もいうことはない。

第三に僕自身の側面。
髪を切る行為は自傷行為だった。
そもそもこんなことになったのは、心地耐えきれなかったからだ。軟弱な僕は手首を切ったり、薬で混濁したりすることができず、オルファのカッターで前髪をバッサリ千切った。
ある人は切った手首から溢れる血を見て生を実感し、安心するそうだ。
ある人は風邪薬?を大量に摂取して意識を無くすことで現実逃避をするそうだ。
僕はカッターナイフで髪を裂いた。

ある程度落ち着いてきているから、心地耐えきれなかった要素を書いておこう。

第一に年が明けて24年が始まって、今までないほど予定を飛ばれることが増えた。

友人だと思っていた人、マッチングアプリの人。
前者はまぁ理由があったようだし、元気ならそれでいい、またいつか。
アプリの人、当日連絡が途絶える。
待ち合わせの場所に行ってもこないという不思議な経験。
案外、待つ時間は嫌いではない。けれど一、二時間は待って連絡がないところを見受けるに「飛ばれた」と段々察する感触は本当に耐え難い。
僕は何にお金を払っているんだろうか。

第二に友人が死んだことだ。
友人は出会った頃からハツラツとした印象で、そういうところが結構好きだった。そんなに頻繁に会うわけじゃなかったけど、程よい関係だった。
だから自らと聞いた時には恐ろしかった。
死を口にしていようが、いまいが、死の瞬間は突然くる。たぶん、ふとした瞬間に向こう側に行ってしまいたくなる時があって、パタンと生命を終えるのだ。他人事ではないように感じて、とてつもなく怖かった。いつその瞬間が来てもおかしくないのかもしれない。


第三に一人暮らしを始めたことだ、
極端に人と話さなくなった。僕は人と話すことで自分の感覚や考え方を調整していたんだと思った。話すだけでいい、それだけで。
仕事以外で声を出すこともなく、ましてや自分のことを話すことがない。どんどん整理されない考えが溜まりに溜まり、澱んでしまっていた。
SNSを見ればキラッキラの生活。
僻みがどんどん募って、自己嫌悪とヘイトへと醸成されていってしまった。
全部が、全員が嫌いになってしまっていた。


ある意味では戒めでもあった。
僻んでも他人は他人。自分で思うほど、僕を気にしている人はいない。


戒めと自傷行為、これが僕が髪を切った理由。
大した理由じゃないよね。

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