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スーダンで「星の数ほど」という言葉の意味を会得した


エジプトからスーダンへ、ナイル川を遡り国境を越える1泊2日の船旅。乗船するためのスーダン入国審査については、過去の記事に書きました。

 私はバックパックを背負い、甲板に出た。いちばん安いデッキクラスのチケットを買ったので、甲板が私の居場所なのだ。しかし容赦ない日差しの真っ昼間に、甲板なんかにいれるものではない。わずかな陰の部分はすでに占領されていた。私は荷物だけ甲板に残し(貴重品はもちろん身につけて)、船内に入った。

 冷房の効いている大部屋に空いている座席を見つけ、そこに座った。部屋の座席はほとんど人で埋まっていたが、その割には静かだった。スーダン人が多いようだ。エジプト人だともっと騒がしくなるだろう。スーダンに行くのは今回が初めてだが、エジプトで何人かのスーダン人に会ったことがあった。エジプトの、もしくはエジプト人の喧燥に疲れていたときもあったので、彼らの穏やかで静かな目は癒しであった。私はスーダンに行く前から、スーダンを好きになっていた。

 私の後ろの座席に、母親とおぼしきおばさんと一緒に座っていた女の子が、アラビア語で話しかけてきた。私はアラビア語を挨拶程度しか理解できないが、手に平べったく丸いざらざらしたパンを持ち、私のほうに差し出していたので、「食べる?」と言っているのがわかった。  

「ショクラン」

 礼を言い、遠慮なくいただいた。素朴な風味のパンにかぶりついていると、女の子は、今度は英語で、

「シュガー、シュガー」

と言ってきた。なんのことだか理解できず、とりあえずうなずいていると、小さな瓶を手渡された。ふたを開けてみるとそれはハチミツだった。

 乗務員がチケットの確認に一度来た。ぼくのデッキクラスのチケットを見て、甲板に行け、といったようなことを言っていたが、「ここのほうが涼しいのだ」と、わがままなことを言っていると、めんどくさくなったのかおとがめなしで去っていった。

 アラブの国々を旅行していると、船でバスで、汽車でカフェで、映画館で道端で、あらゆる処でごちそうになる。それは一杯のお茶や一本の煙草といったちょっとしたものだが、気前よくわけてくれる。ぼったくったり、バクシーシ(喜捨)と言ってはお金を掠め取ろうとする輩も大勢いるが。旅行者にとって、望む望まざるにかかわらず、いい意味でも悪い意味でも、人との 「摩擦」 は避けられないところだ。日本で一人旅をしていると、誰とも話をすることもなく1日が終わることもめずらしくはないが、ここではあり得ないのだ。

 外が暗くなってから、甲板に戻った。太陽さえ消えてしまえば、座席で窮屈な姿勢で眠るより甲板で体を伸ばして寝るほうが快適に決まっている。 梯子のように急な階段をのぼって甲板に立つと、視界がぱっとひらけた。濃紺の空に、恐ろしくなるほどの数の星が瞬いていた。

 こんなにたくさんの星を見たのは初めてだった。その後も約30年間生きているが、このときの半分の数の星でさえも、未だ見たことがない。それほど圧倒的な度肝を抜くような星空だった。ここでなら、「星の数ほど」 という言葉も説得力があるよな、心底そう思った。

 薄着の身には少し肌寒い風が吹き、甲板の上では白い服に白いターバンを巻いた男たちが、メッカの方角に向って祈りをささげていた。 私は空いている場所に寝袋を敷いて横になった。河の水をかき分けて船が進む音と、祈りの呟きを聞きながら、船の振動を背中で感じた。砂漠を流れる河と、夜空の星と、祈りをささげるイスラム教徒。ベタであるかもしれないが、確かに絵になる光景だった。

  船は翌朝スーダンの北端の町ワジハルファに着いた。砂漠の厳しさがひしひしと伝わってくるような、小さな小さな町だった。唯一の宿はすでに混んでおり、屋内ではなく、中庭に置かれた簡易ベッドで寝ることとなった。雨も降らず寒くもないし、屋外でもとくに不都合はないのだが。

 町を歩いてみたが、どこにもボトル入りの水を売っていなかった(コーラはあった)。宿に戻り水を売っているところを知らないか訊くと、宿のおじさんは、日陰に鎮座している大きな3つの甕を指差した。あれを飲め、あれはタダだぞ、と。

 甕に備え付けられているコップで水をすくってみると、その水は薄茶色に濁っていた。でも喉が渇いていたし、コーラばかり飲むわけにもいかないので、その水を飲んだ。思ったより冷たくてびっくりした。甕の表面から水が少しずつ染み出し、それが蒸発したときに熱を奪って冷やす、そんな仕組みになっているようだ。

 濁った水は予想外においしかったが、そのまま飲まないほうがもちろんよい。煮沸したり、煮沸が難しければ、飲用水にする薬品を入れるなどが望ましい。生水だと寄生虫などの心配もある。その程度の知識は当時の私にもあったが、煮沸する道具も消毒薬も持っていないし、ここでは手に入らない。しょうがないので甕の水をそのまま飲んだ。何度も飲んだ。

 このワジファルファという小さな町から、鉄道で首都のハルツームまで3泊4日で向かうわけであるが、ハルツームに着いてから強烈な下痢になった。ハルツームでは、普通にボトル入りの水が売られていた。

 この3泊4日の鉄道も、なかなかおもしろく、そして過酷であった。それはまた、別の記事で書こうと思う。

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