見出し画像

6分40秒小説『だーれだ?』

 カギを開けようとポケットをまさぐっていると――。
「だーれだ?」
 いきなり視界を塞がれた。まったく――。
「美香だろ?」
 聞きなれた声。三十超えてもこういうおちゃめないたずらを仕掛けてくる所が可愛い。
「違うよ」
「え?」
「美香じゃないよ」
「そういうのいいから」
「ふふふ、もう一度、ちゃんと質問に答えて、だーれだ?」
「はいはい分かりましたよ。俺の大好きな可愛い美香ちゃんです。これでいいだろ?」
「質問の意味が分かってないようね。私が聞いているのは、昨日の夜、”孝明が楽しそうに手をつないで歩いていた女の人”だ~れだ?誰だ?」
「え?いや、従妹の子で、あの、そう、遠い遠い親戚の従妹で、つまり、従妹だよ」
「ふーん、そうなんだぁ。聞いたことないなー、従妹がいるなんて」
「いや、遠い親戚だし、従妹がいるとかいないとか、そんな会話したことないし――」
「確かに、そうね」
 視界を遮っていた手がゆっくりと離れる。振り向こうとした瞬間――。

「だーれだ?」
「え!?」
 再び視界を奪われた。美香の声じゃない!女性の声、どこかで聞いたことがあるような――。
「ふふ、もう忘れちゃったの?」
 この声、まさか?!
「私だよ、お兄ちゃん。従妹の貴子だよっ」
「嘘だろ……」
「お兄ちゃん、彼女いないって言ってたのにぃ。嘘ついてたんだね」
 目の前に覆いかぶさった手に力がこもり、眦に爪が食い込む。
「いたた」
「昨日は楽しかったね。お兄ぃちゃんっ!」
「そ、そうだね」
「また遊んでね。っていうか、昨日のは遊びだったってことですよね?」
「いや、違っ、その……」
「答えてあげたら?孝明」
「すいませんでした」
「誰に謝ってるの?」
「そのぉ、お二人ともにです。貴子さん、昨日のは遊びとか、そういうんじゃなくて、こういうと失礼かもしれないですけど魔がさしたっていうか、あまりにも貴子さんが魅力的だったから、いや美香、誤解しないで美香の方が魅力的だよ、もちろん、いや貴子さんそういう意味じゃなくて」
「結局、貴方も他の男と一緒、私が社長令嬢だからちょっかい掛けてきただけなのね。さようなら」
 貴子さんの手が離れ、視界が開けたが、ショックで目を開けることができない。

「だーれだ?」
「え?」
 男性の声。毎日聞いている声だ。この声は――。
「ぶ、部長ですか?」
「おお、よく分かったねぇ。まぁ、分かって当然かな」
「あの、部長――」
「では次の質問。君がさっき怒らせてしまった女性、君の従妹なんかじゃないね?本当はどんな関係の人だ?わが社とどういう関係にある人だ?ん?」
「はい、うちの会社の大事な取引先の社長さんの……娘さんです」
「そうだね。補足すると、彼女自身も取締役専務という役職についている。だね?」
「はい、そうです」
「社運を賭けた一大プロジェクトの協力を仰ぐために、彼女と交渉するのが君の役目だったはずだが……君は、課長島耕作にでも憧れているのかね?」
「いえ、そんな――」
 課長のたばこ臭い手が離れた。
「ははは、冗談だよ。気にするな、人生いろいろある。明日もいつも通りに出社しなさい」
「はい、有難う御座います」
「朝礼には出なくていいから、すぐに私のデスクに来ること。正しい辞表の書き方を教えてやる」
「え?!……あ、はい」

「はじめまして。だーれだ?」
 聞いたことのない男の声。
「いや、『はじめてまして』って……誰だか分かるはずないででしょ?!」
「申し遅れました私、浜野と申します」
「はい?浜野さん?」
「浜野法律事務所の浜野浩二ともうします」
「弁護士さんですか?」
「はい、今回は貴方様の交際相手であります高田美香様のご依頼で、参りました」
「え?」
「この度貴方が、高田様以外の女性と肉体関係を結ばれたことについて、高田様から慰謝料の請求を――」
「ちょ、ちょっと待ってください!慰謝料?」
「二年以上同居されていますので、高田様にはその権利が御座います。過去の判例を見ましても――」
「話し合います!二人で話し合うんで、今日は帰ってください」
「分かりました。胸ポケットに名刺を入れておきますので、何かありましたら。では、失礼致します」

「美香、聞いてくれ!」
 と振り向こうとした途端、また目かくしされ――。
「誰だかわかるな?孝明」
「え?!父さん?」
「元気そうだな。というか少し元気すぎたんじゃないかな?ん?」
「父さん、そのちょっと話を聞いて貰えないかな?」
「いや聞く耳もたん!お前は勘当だ。じゃあ母さんに代わるぞ」
「え?」
「孝明、あんたなんてことしてくれたの。美香ちゃん、正月に実家に連れてきて紹介してくれたわよね。こんないい子いないのに、裏切ったりして」
「ごめん。でもちょっと俺の言い分も聞いてくれよ」
 と、振り向こうとした瞬間。

「喝っ!」
「痛っ」
 肩を何かで激しく叩かれた。
「そのまま、正面を向いたまま聞きなさい」
「あ、はい」
「お前は、誰だ」
「え?俺ですか?俺は――」
「喝っ!」
「痛っ!」
「重ねて問う。お前は誰だ」
「だから、俺は山本考――」
「喝っ!喝っ!」
「痛っ!痛っ!」
「人は御仏の下、大いなる世界の理のなかでそれぞれ責任を負っておる。その責任とは何かな?」
「えっと……」
「分からぬか?では教えて進ぜよう。伴侶を見つけて家庭をなすことだ。それは、御仏から与えらた、すべての生命が負うべき責務である。分かるかね?」
「はい」
「分かれば宜しい。では、御免」
 今の誰?

 振り向こうとしたら、またしてもまたしても目を塞がれた。
「だーれだ?」
「美香」
「正解!じゃあ次の質問。会社を首になり、家を勘当され、すべてを失った孝明にとって今、一番必要な人はだ~れだ?」
「美香です」
「他に何か私に言うことある?」
「すいませんでした」
「それだけ?」
「え?」
「また『喝っ!』入れられたい?」
「えーと、俺と結婚してくれ?」
「ちょっとぉ、なんで語尾が上がるのよ?やり直し」
「はい。美香……美香さん。もう二度と浮気したりしません、だから俺と結婚してください」
「こっち向いて」
 振り向く。
「聞いてくれ美香、俺っ」
 今度は口をふさがれた――口で。つまりキスだ。

 美香は勘違いをしている。
 俺は何も失っていない。もともと、俺が世界で一番失いたくないのは美香、お前なんだ。お前がすべてなんだ。「だーれだ?」の答えは、今までも、これからもずっと……って、今そんなこと言っても、信じて貰えないだろうな。

 俺はこの先もずっと、問われ続ける。いや、俺だけじゃない。人は皆、暗闇の中、問われ続け、生きてゆくのだ。
 貴方も目を閉じて、自問してみてください。

「だーれだ?」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?