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4分10秒小説『LGBTCBH』

 やっと警察が来た。後は全部任せようと思う。私では手に負えない。しかし、残るように言われた。経緯を説明してくれとのことだ。仕方ない。説明する。
「こちらの男性が、柵を乗り越えて侵入したので、他の飼育員と一緒に身柄を拘束しました。それだけのことです。さ、早く連行してください」
 若い警官だ。メモを取りため息、上目遣いに私を見て――。
「おおよその経緯は分かりましたが、こちらの男性の言い分も一応お伺いしませんと――」
「私はもういいですか?これ以上ここに居ると、自分が抑えられそうにありません」
「落ち着いてください!お気持ちはお察しします。大切にお世話をしている動物のことを思うあまり、興奮なさっているんですよね?でも一旦ここは抑えて頂いて、ともかく、話を聞きましょう」
 もう聞きたくない。話はさっき聞いた。聞いてしまったから、衝動が抑えられそうにないのだ。警官が男性に問う。
「貴方、どうして柵を乗り越えて、えっと……カピバラの展示エリアに侵入したんですか?」
「カピバラだからです」
「はい?どういう意味ですか?」
「私はカピバラです。仲間に呼ばれたんです、『こっちにおいでよ』って、だから柵を乗り越えました」
「冗談はやめて――」
「冗談?失礼なことを言わないでください。事実です。確かに私は人間の体をしています。でも心はカピバラなんです。それを貴方、冗談とは――訴えますよ」
「訴える?いや、それは結構ですが、仰ってるその”心はカピバラ”という意味が私には理解できないんですが」
「そうでしょうね。日本は私のような”カピバラ同一症候群”の人間に対する理解において、欧米諸国に大きく遅れをとっていますから。でもいずれ広く認知され、その権利が認められる社会が来ると、私は信じています」
 警官の手が震えている。
「本気で貴方は、”自分はカピバラだ”と主張するのですか?」
「そうです」
 雄々しく言い放つ男性、堪らない。これ以上我慢できない!
「そうですか……ともかく、違法侵入ですので、あとは署で聞きます。じゃあ行きましょう」
「待ってください!」
 我慢の限界だ。私は警官の腕を掴み、睨みつける。
「この男性の主張、私には理解できます」
「え?」
「実は、私もです」
「え?」
「え?」
「私もカピバラなんです。体は人間の男性ですが、心は雌のカピバラです。正直もう我慢できません。この男性の……いや、雄のカピバラの堂々とした男らしい態度を目の当たりにして、発情してしまいました。差し支えなければ、今ここで交尾をしたいのですが、宜しいでしょうか?」
「いや……宜しくはないです」
 警官が男性を見る。
「望むところです」
 男性が、熱いまなざしで私を見る。警官の手の震えが大きくなる。
「整理させてください。つまり、お二人とも、ご自分のことをカピバラだと認識しているわけですね?」
「はい」
「はい」
「そして、柵を乗り越えて侵入した貴方は雄で、飼育員の貴方は雌だと?」
「はい」
「はい」

「分かりました。私ももう我慢の限界です。はっきり言います、私、実は、熊です」
「え?」
「え?」

 警官が男性の喉に嚙みついた。
「朝から何も食べていないんだ。こんな脂の乗った旨そうなカピバラが目の前に、もう我慢できない!」
 警官は顔を左右に振り、男性の肉を食いちぎろうとしている。とっさに私は――警官の腕に噛みついた。

 分かっている。カピバラである自分が熊に勝てるはずがない。でもそうせずにはいられなかった。男性の――いや、雄のカピバラから、とんでも無い量の血が飛び散りる。そして、首があらぬ方向に曲がって、項垂れ……赤いフィルターの向こうの惨劇。
 嗚呼、せっかく出会えた運命の雄だったのに、このまま二人で熊の餌食になってしまうのだろうか……。


「はい、灯りを点けてください。今見て頂いた映像は、NPOカピバラ同一症候群支援団体”Cパラダイス”と同じくNPO熊同一症候群支援団体”ディアベアージャパン”が合同で制作した啓蒙ビデオです。いいですか皆さん。このように、現代社会において、肉体と精神の不一致による問題は年々多様化しています。皆さんは、体は人間、心はコビトカバという問題を抱えていますが、決してそれは恥ずべきことではありません。勇気を出して、まずは自分を認めることから始めましょう」

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