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3分50秒小説『鼠と象が描く平和』

 かつては一つの国であったが内乱の果てC国とN国に分裂した。定まらぬ国境、分裂後も延々と領土戦争を続けていたが、国民の厭世感が限界に達し、それに促されるように、両国の元首により不戦条約が結ばれることなった。だが領土問題が依然として残っている。特に問題となったのが、島だ。豊富な天然資源を有している島。

「いっそチェスの勝敗で決めようではないか?」
 C国の国王が提案した。N国の大統領はジョークだと思って笑って応えた。
「構いませんが、わが国にはジョットがいますよ」
 N国の名人、ジョット、379戦379勝。
「わが国には、フランチェスカがいます」
 C国のチェスの女流名人、フランチェスカ、398戦397勝1分け(1分けは空襲により無効試合)。
 もし仮に勝負をしたらどちらが勝つだろうか?二人の国家元首は、自国の偉大なチェスの名人を称え、一歩も引かない。激論はエスカレートし、そして遂に、領土問題は両国の不敗の王者による対決で決着をつける運びとなった。「極めて文明的な解決方法だ」各国首脳が賞賛した。

 だが試合は実現しなかった。試合会場となる島に向かう途中、両者の乗った飛行機が何者かによって撃墜され、2人の偉大なるチェスの名手は、対決を行うことなく死亡してしまったのだ。人々は大いに悲しみ、残念がった。そして懸念した。「で?結局、領土問題はどうなるのだ?」


「只今より、島の帰属権を賭けた、世紀の一戦が行われます。その前に皆さま、ご起立ください。不幸な事故により命を落としてしまった両国のチェスの名人、ジョットとフランチェスカの為に、黙とうを捧げましょう」
 鐘が数度鳴った。
「目を開けご着座ください。では改めまして、試合を開始したいと思います。C国の指し手は、ハムスターです。ただのハムスターではありません。フランチェスカの遺体から取り出した脳細胞を移植したスーパーハムスターです。対するN国の指し手は、象です。こちらもただの象ではありません。かの名人ジョットの脳細胞が移植された改造象です。では両者、席に着いてください」

 試合が始まった。先手番のハムスターがポーンを一マス押し進めた。後手番の象が、ポーンを鼻で吸い上げ、一マス先に置いた。そうして両者滞りなく指し続けた。
 試合開始から数分後、ハムスターが両眼を手で覆い、空を仰いだ。指し手に悩んだときに、フランチェスカがよく見せた仕草だった。象が、鼻先で耳の裏を掻き続ける、血が出るのではないかと心配するほど執拗に。これもまた、神経質なジョットがよくやる仕草だった。見守る群衆は、ハムスターと象が、両名人の遺伝子を引き継いでいることを実感し、感涙する者もあれば、名人の名を叫んで立ち上がる者もあり、試合の応援は白熱した。

 だが盤面は悲惨だった。とても名人が指しているとは思えない酷い試合運び。誰がどう見ても取るべきビショップを取らない、かと思えば平気で敵のポーンの前にナイトを差し出す始末。両者が等しく酷い手を指し続けた。群衆の熱は一気に冷め、会場には怒号が飛び交った。
 そして終盤、いや、それが終盤かどうかも分からぬ試合内容ではあったが、ともかく、両者は指し手を止め、盤から離れた。両者のキングは詰んでいない。だが両者が指すのを止めたのだ。試合終了と判断するしかない。
 怒号が会場を揺らし、一発触発。観衆が暴徒となるのは今か今かという時に、一人の少年がぽつりとつぶやいた。

「平和を望む」
 隣に居た夫人が、同じく呟いた。
「平和を望む」
 怒号を包み込むように、呟きが会場に伝播していった。
「平和を望む」
 盤面に「平和を望む」という文字が描かれていた。駒の並びによって。

 島は共同統治と決まり、数年後に両国は元通りに統合された。

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