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母国語コンプレックス

実は、私は韓国語がちょい苦手だ。

自分から暴露していいのかしらという気もするが…本当なんだからしょうがない(笑)

えーー母国語なのに??

と思われるだろうが、こうなっちゃった訳はちゃんとある。
その訳、環境要因年齢を今日は書こうと思う。

環境要因
私は10歳から12歳までを日本で過ごした。

2年間一度も帰らず、
日本人しかいない地元の小学校に通い、
もちろん友達も日本人しかいない環境で、
韓国人に会ったのは片手で数えるくらいしかなく、
ネットも盛んじゃなかった時代だったので、メディアから流れてくるのはほぼ100%日本語のみという……
まぁ、なんともこれ以上ないくらいの日本語どっぷりの環境で2年を過ごした。

しかも両親は早く日本の生活に慣れるようにと、最初の数か月は家でも日本語で話しかけえてたらしい。いま思うと結構スパルタな親(笑)

環境のおかげか、来日3ヶ月後には学校にも慣れ、半年後には兄弟喧嘩も日本語でするようになったらしい。両親は、その時点で、これはヤバい!と気付いたらしい。母国語である韓国語を使わなくなっていたから。

でも時すでに遅しである。一度軸が移ると、元に戻すのは容易ではない。

両親は焦っただろうが、私たちは正直それどころじゃなかった。日本語力ほぼ0から学校で生き延びなきゃいけない。しかも一人で。そんなサバイバルの中、韓国語にしがみついてられる余裕はない。生き延びるために、私たち兄弟は、日本語を猛スピードで吸収し、代わりに、韓国語を脳から放出した。脳のキャパ的にね。
誰かにそう言われた訳ではないが、本能的に取捨選択してそうしていった。

もう一つの要因ー年齢
母国語退化のもう一つの要因は、来日時の年齢にあると思う。
所説あるが、言語形成期の9~13歳と、日本にいた2年がど真ん中だった。私は10~12歳、弟は、9~11歳。なんという運命……
正直、来日時の年齢がもっと幼かったり、あるいはもっと上だったりしたら、今のような結果にはなってなかったと思う。どっちがいいかというのとは別に。

色んな偶然と必然が重なって、私たち兄弟は言語の形成期に日本語どっぷりの環境にいたので、一気に軸足を日本語に持っていかれてしまった。その後遺症?結果?の一つが母国語の退化である。

母国語が退化してても、日本にいる間は全く問題なかった。使う場面が皆無だから。でも、韓国に帰国する日は決まっていた。

韓国に帰るちょっと前の弟と私の韓国レベルは…

弟:上手く喋れない状態

私:一応喋れるけど、上手く書けない状態 

両親はかなり焦ったらしい。2年でここまで落ちるとは…
言語だけ見ると、韓国人とも日本人とも言えない子供ができあがってしまった。ヤバい……(笑)

韓国に帰ってから、このことが一気にコンプレックスに変わったしまう。
その話はまた書きます。帰ってからの方が、大変だった。





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