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【掌編小説】ビールが好きになりました

「とりあえず、生4つ」

 居酒屋の店員に短髪のサラリーマンの青年が声をかけると、店員は元気よく復唱し厨房にオーダーを通す。

 ここは、どこにでもあるチェーン店の居酒屋。
 ガヤガヤとした喧騒と人いきれと焼き鳥の煙の混じりあった匂いがする。
 会社の少し緊張した空気清浄機がいつも回っているクリアな空気とは違うが、それがいかにも一週間の仕事が終わり解放されたという気持ちにさせる。

 青年は、靴を脱ぎ座敷に上がるとネクタイを緩めた。

「今日はおごりだから、好きなのを頼め」

 ドカッと座ると、後からついて来た3人も適当に座った。
 青年の同期の社員とその一つ下の社員。
 あとは入社一年目の新人女子。
 今日は企画が通ったことのお祝いに、4人で軽い打ち上げに来た。

「武田主任、だったら私ビールじゃないのがよかったです!」

 新人女子はひとつの企画をチームでやり遂げたことで、ちょっと興奮しているのか遠慮がない。
 ボブカットの髪を振り抗議をする。

「は? 三波、乾杯と言ったらビールだろうが?」

 武田主任と呼ばれた三十歳手前の青年は、眉間にしわを寄せめ少しめどくさそうな顔をした。

「えー、アルハラです! 私、ビール好きじゃないです」

「なんでだ? 仕事の後のビールは最高にうまいだろう??」

「だって、苦いじゃないですか……」

「お子様か!?」

「一人前の社会人です!」

 三波と武田主任のやり取りをくすくすと笑いながら、残る二人は暖かく見守っている。
 会社の同僚と言うよりも、部活の先輩後輩のような、歳の離れた兄妹のような軽快なやり取りはこのチームでは日常茶飯事だった。
 
   *

「まあ、乾杯だけはこのビールジョッキを持て。あとは俺が飲んでやるから」

「カッコよく言ってますが、主任が勝手に頼んだんですよ」

「わかってるって。これが一番早く出て来るからいいんだよ。好きな飲み物は乾杯してから頼め」

「……はーい」

 三波は、少し不服だったがすぐに食べ物と一緒に甘いお酒の注文をする。
 そうしている間に、すぐにキンキンに冷えたビールが登場した。
 確かに、秒で来たような勢いだ。
 ジョッキの表面はすぐに飲んで下さいとばかりに水滴でキキラキラと光っている。

「それじゃ、みんな今までおつかれさま」

『かんぱーい!』

 グラスを鳴らして始まる宴会。
 おいしそうに、喉を鳴らしてビールを流し込む先輩3人を三波は、ジト目で見る。
 そして、素朴な疑問をぶつけた。

「ビールってそんなに美味しいですか?」

 ぷはぁと、満足のいくまで飲んだ武田主任が答える。

「うまいっ! 疲れた体に染み渡るっ!」

「そうですか? 苦いだけじゃないですか?」

「そんなことはない! 苦みもあるが、ホップの香りやシュワシュワしたのど越しもあいまって、酒のエンターテイメントだと思うぞ」

 うんうんといいことを言ったと、ひとりで納得する武田。
 三波は、賛同しかねてふくれる。

「私は香りもそんなに好きじゃないかなぁ。ザ・お酒って感じですし」

「酒を飲みに来て、ザ・お酒で何が悪い」

「まあ、そうですね……」

 三波は、まわりの人が美味しそうに飲んでいるビールの良さが分からずに、少し疎外感を感じる。

「暑い夏なんて最高だぞ? 冷たいビールが体に染み渡って、このために生きてきたーって感じがして」

「そこまでですか?」

「それに、餃子、唐揚げ、焼肉との相性が良すぎるだろう。脂がのったジューシーな物と冷えたビールは無限ループだ!」

「私にはよくわかりません……」

 運ばれてきた、お通しの冷奴をつつきながら三波は少し思案した。
 ビールが飲めるようになりたいわけではない。
 ただ、その良さを知りたい共有したいと思うのは、このチームメンバーが好きだからなんだろう。
 特に、武田主任が好きだという物を自分も理解したいと思った。
 でも、なんで?? 三波は自分の気持ちがよくわからず、豆腐を四つ切にしてぱくぱくと消し去った。

「なんだ三波、納得してないな。そんなにビールが苦いか? それとも比喩か? 嫌な思い出があるのか?」

「ちーがーいーまーすー! 単に、二十歳になって飲んだ初めてのお酒がビールで期待度が高すぎたんですよ。すごくおいしものだと思って飲んだら、苦いだけじゃん。みたいな」

「ふむ。確かに三波は、うまいもの=甘いものみたいなところがあるからなぁ」

「そこまで、小学生じゃないですっ!」

 三波は頬をふくらましたものの、心当たりがあった。
 打ち合わせ用に人数分コーヒーを頼まれた時に、自分の好きなチルドカップの極甘コーヒーを買って来てしまっことがある。

「まあいい。三波は苦いのは苦手なのか? コーヒーも極甘だったろう?」

 やっぱり覚えてた……。
 三波はこの失敗を黒歴史として葬り去りたかったがこのチームで忘れられることはないだろう。

「コーヒーは、甘いのが好きですがブラックも飲めます。たまにはブラックで飲みたいときもあるんで嫌いじゃないです」

「おおー、ちゃんと大人の味覚も持ってるじゃないか」

 武田は酔った勢いで、三波の頭をナデナデしそうになってあわてて自分の右手を自分の左手で叩き落とす。
 あぶないあぶない。セクハラしてしまうところだった。

「武田主任、私のこと馬鹿にしてます? もうすぐ、入社1年になるんですよ。大人です!」

 そう自分のことを大人だと言い張るあたりが、子供でかわいいところなのだと武田は思ったが、5歳以上歳の離れている自分がそんなことを言ったらまた、三波がさらに頬を膨らましそうだったので言わなかった。
 
   *

「三波、ビールは、コーヒーと同じだ」

「はい? 武田主任、ちょっと何言ってるかわからないです。もう酔ったんですか?」

「違うって! コーヒーと同じく後天的に慣れることでうまいと感じる飲み物だってことだ」

「そうなんですか?」

「人間は本来、苦いとか辛い、酸っぱいなんて味は苦手なんだ。毒があったり悪くなったりしているサインの味だからな」

 三波にとってそれは初めて聞く話だったため、興味深く耳を傾ける。
 武田は一見ぶっきらぼうに見えるが、教え方は丁寧だし、分かるまで何度でも説明してくれる面倒見がいいところがある。

「けど、だんだんと食べなれることで安全だって分かって、繰り返し食べたり飲んだりして美味しいと言うことを認識するんだよ」

 三波は、武田の声が好きだった。
 少し聞き入ってしまいハッとする。

「……武田主任って、結構博識なんですね」

「俺のことをなんだと思ってたんだ」

「うーん。頼りになるお兄さん?」

「おう、ありがとう……。照れる」

 武田は少し顔を赤らめた。
 酔いが回って来たのかもしれない。
 酒は、あまり強い方ではなかった。
 
 同席していた、三波の先輩が声をかける。

「三波ちゃんのカルアミルク来たよ~」

「ちょっ、お前、唐揚げと春巻きとチヂミにそれはないだろう!?」

「牛乳は正義なんです!」

 三波の妙な説得力に押され武田は素直に従う。

「まあ、自分の正義を貫くことは大切だ。好きにしろ。お前の分のビールは飲んでおくから」

 武田は、三波が飲まないビールを代わりに飲んでやろうと手を伸ばすと静止された。

「……ちょっとまって下さい! やっぱり飲みます。飲んでみますっ!」

「無理することはないぞ。嫌々飲む酒はまずいからな」

「いいえ! 武田主任話を聞いてたら、美味しそうで飲みたくなりました」
 
 そう言って、三波はビールを飲んでみた。

「やっぱり苦い~」

「唐揚げか、春巻きを食ってからの方がうまいと思うぞ」

 うんうんと、アツアツのじゅわっと肉汁が口の中に広がる唐揚げを食べて、三波は冷たいビールをごくりと飲んだ。
 油っぽさが瞬時に苦みと発泡で洗い流されクリアになり、また唐揚げが食べたくなる。

 これは確かに無限ループかも知れない。

「私、ビール飲めそうです!」

「そうか、大人になったな」

 武田が、ビール好きが増えたとニコニコと三波のことを見ている。
 

(はい。だからまた飲みに誘ってくださいね!)

 三波は、武田にそう言いたかったが照れくさかったので、もう少し酔いが回ってからにしようと思った。
 

 ☆ お わ り ☆

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