がむしゃらに動けた日々を羨んでしまうなぁ
こんにちは、ゆめです!
適応障害と診断され無職で過ごすこと約3年、ようやくうつっぽさがなくなりました。
ただ今度は、「どうやって生きていけばいいんだ…?」という問題にぶつかっています。
生き方に悩んでいる原因のひとつが、苦手な環境が多いということです。
例えば〈冷房〉。会社員だったわずかな期間も、オフィスの冷房が効きすぎて頭痛や冷えに苦しみました。
また、〈日差し〉が強いと、すぐに頭が痛くなります(今日の日差しもつらかった…)。
誰しも最適な環境ではない中で、耐えたり工夫をしているのだと思います。たくさんの方の苦労のおかげで社会が回っていると思うと、感謝しかありません…
自分もしんどいとか言ってないで頑張らなきゃ…!と思う一方で、体調を崩してまで合わない環境で働くのはちがくない?とも思います。
人それぞれ得意なことも大丈夫な範囲もちがうのだから、自分に合った環境で最大のパフォーマンスを発揮できるのが理想だなと。「していい我慢」と「しちゃだめな我慢」を見極める、みたいな。
そんなわけで、就職するのではなく自分で仕事をつくりたいと思っているのですが、
「子どもの写真を撮りたい!」→屋外での撮影となると、日差しが怖いな…
といった感じで、SNSで見るカメラマンの方たちと同じことをやるのは無理なのでは…?と足踏みしてしまいます。
自分の苦手なことがわかるという意味では、とても成長したと思います。
以前の私は、会社で身体が動かなくなるまで、ありとあらゆる体調不良(身体からのSOS)を見過ごしていました。
異常なほどの頭痛を毎日感じながら、「これまでも頭痛はよくあったし、一日中パソコンを見ていたら頭くらい痛くなるよね」で済ませていました。
でも今考えると、効きすぎた冷房やひっきりなしに鳴る電話の音など、自分にとって苦手な要素がてんこ盛りの職場でした。
ただ、タイトルでも言っているように、「かつての私は頭痛とかお構いなしに動けてたんだよな…」とも思ってしまいます。
振り返ると、カフェも学童も照明スタッフも、バイト終わりに頭が痛いのは通常運転。当たり前になっていました。
冷静に考えると、なにかしら自分にとって無理があるよというサインだったのかもしれません。
でもあのときは目の前のことに夢中で、サインを無視してただがむしゃらに動いていました。いちいち気にせず盲目的でいられたから、いろんな経験ができたのも確かだなぁと思います。
心身の健康にとっては、SOSのサインを見逃さずときにブレーキをかけることも大切。でも今はあらゆることにブレーキがかかってしまって、全然動けない…
そんなジレンマを吐き出したくて、今回書いてみました。
といいつつ、書いているうちに「じゃあ家でできることをやればいいじゃん!」と思えてきました。
noteのおかげで、ぐるぐる考える状態から抜け出せそうです。
今日もお読みいただき、ありがとうございました!
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