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哲学025.人間を考えるうえでの基本中の基本。

自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる問題で、鈴木財務大臣が、収支報告書に記載されていなかった収入のうち、政治活動に使わなかった残額を「個人の所得として納税を行うかは、議員本人が判断すべき」という認識を示し、話題となりました。

私たち国民は、納税を行うかどうか本人が判断することは許されていません。法律に従って納税しなければ罰せられます。ところが国会議員は法律に従う必要がないというのです。ということは、日本は法治国家ではないということです。
権力をもつ人々は法律に従うことなく好き勝手にふるまうことができるということです。

私たちは日々の生活に追われているため、国の上層部にいる人々が好き勝手をしていることに気がつく機会があまりありません。気がついていても、きっと誰かがどうにかしてくれると心の片隅で思っているのかもしれません。
私もそんな面がありましたが、さすがに現実を直視しなければ生き延びることはできないと思うようになりました。

いま、日本はとんでもない方向へ進んでいるのではないかと危惧するようになったのです。
いまから80年前、日本は太平洋戦争に突入してしまいました。多くの人は「気がついたら戦争になっていた」と語っています。
いま、日本はまたそのような事態に突入する可能性があるような気がしてなりません。

たとえば能登の地震災害。震災から3ヵ月経とうとしているいまでも、珠洲市などは水道の復旧率が8%にすぎないそうです。ほとんどの人がお水を使うことができずトイレにも困っています。
また、いまだに支給されるお弁当が1日に1つだけの仮説住宅もあるそうです。さらに、仮設住宅に入った人に光熱費を請求しているそうです。支援金も届いていないし仕事も失ってしまった人々に対して、なんという冷たい対応でしょうか。

そんな現実の傍らで、日本政府はウクライナへの復興費用の手付け金を1.8兆円も支払い、大阪万博とその関連のインフラ整備に9.7兆円を費やす予定だそうです。ちなみに能登復興費用は現在2767億円だそうです。おかしいと思いませんか?

日本の国民負担率(所得に占める税金と社会保険料の割合)は50%近くになっています。たとえばフィンランドの国民負担率は62%ですが、小学校から大学までの学費は無料で、年金の平均支給額は月22万円ほどあるそうです。医療も充実しているので老後の不安がありません。日本にはそのような高負担に見合う社会サービスがありません。年金などは正社員で働いていなかった個人事業主などは厚生年金がありませんから、月に5万円ほどしか支給されません。そんな金額では生活できません。そんな少額の年金生活者でも、しっかり健康保険と介護保険料はとられてしまいます。

私が血反吐を吐く思いで働いて納めた税金が、ウクライナや税金の無駄遣いとしか思えない大阪万博のために使われるのかと思うと「無念」という言葉しか思い浮かびません。
さらに、消費税って確か年金の不足を補うためということで導入されたのではありませんでしたでしょうか。そのお金はいったいどこへ行ってしまったのでしょうか。おかしいと思いませんか?

そのうえ日本は世界一食品添加物遺伝子組み換え食品農薬化学肥料を買わされています。その他、自慢できない世界一がたくさんあります。若者の自死率寝たきり老人の数アトピー患者数薬剤消費量放射能汚染などなど。おまけに国会議員の給料も世界一です。

さらにさらに、私が最近気になっているのは、国による農家潰しです。この23年余りで農業従事者が117万人減少し、耕地面積は53万Ha(県一つ分以上)が消えたそうです。
いま、農業では生活できない事態になっています。肥料や農薬や機材の価格は暴騰しているのに、農作物の販売価格を上げることができなくなっているのです。生活できない農家が仕事を諦めるケースが後を絶ちません。

岸田内閣が2月27日に閣議決定した政府の法案の概要が農水省のホームページに載っていますが、今後来る食料危機を見すえてという大義名分で「食品・農業・農村基本法」という農業の憲法を24年ぶりに改正するということです。
農水省の発表では日本の食料自給率は38%となっていますが、その計算方法を疑問に思っている専門家もおり、実際は18%ではないかということも言われています。

いずれにせよ政府もやっと重い腰をあげて食料自給率を上げるために農家を支援することにしたのかと思いきや、法案の詳細をみて驚きました。なんと、ますます農家を虐めて廃業に追い込んで、空いた農地を海外の投資家が買いやすくするものでした。

そして、国内の農家に投資するのではなく、外国の大規模農場をやっている大企業に投資するというのです。さらに、食料の輸入をもっと増やす方針を打ち出しています。輸入される食料とは、大企業によりゲノム編集された食料です。【※1】

日本政府が外国の大企業を誘致しようとしている流れについては、1年半ほど前に拙稿「28.SDGsも人間家畜化への道。どの情報にアクセスできるか、それが命に関わる時代。」でも述べましたが、着々と実現の方向へ動いているようです。
つまり、自給自足型の農業を廃止させ、外国大企業の遺伝子組み換えされた種をまき、外国大企業の農薬や肥料を使い、外国大企業と繋がりがある融資、保管、輸送、販売業者を利用させて、すべて外国大企業の支配下におくということです。病気の予防と治療についても同様です。すべて外国大企業の薬品を使わせる方向へもっていくということだと思います。

私はもう日本をそちらの方向へ動かしていくレールは敷かれていると考えています。そちらの方向へ行くことを「良し」とする人々も多いと思います。
しかし私個人としては、「嫌です」としか言いようがありません。なぜなら、哲学する人間としての立場からいうと、そのような環境で生きる生命は、もはや「人間」とはいえないと思うからです。

ここで、「人間とは何か」という問題を基本中の基本から考察してみたいと思います。
哲学を語る人の中に「自分は本質(形而上・真理)のことを考えているのであって、現象(形而下・日常生活)のことはどうでもいい」というようなことを言う人々がいます。
スピリチュアル系の人の中にも「魂(精神)が重要で肉体は単なる器」と言う人もいます。

このような思考法を「二元論」といいますが、はたして人間を考えるうえで、その二つを分離させて考えていいものなのだろうかと思うのです。
流行病をきっかけとして「免疫」の勉強をした人は多いと思いますが、免疫において「腸内細菌」の重要性を知った人も多いと思います。
そのシステムを俯瞰してみると、人間は脳だけで考えているのではなく、腸も考えているのではないかと思えてきます。腸というか、そこに関わっている細菌も細胞もそれぞれ考えて動いている様子が想像できるわけです。細胞レベルでいうと、心臓は28日、脳は1年で入れ替わっています。また、人間の体の90%は細菌(微生物)の生態系だともいいます。

さらに、拙稿「 21.コロナ禍の中で見えてきた希望、それは里山(縄文)文化。」でも述べましたが、私は免疫のことを勉強し、それで得た情報をもとに食生活を改善し、その結果、長年悩まされていた花粉症が治り、自分の免疫(カラダ)の「物凄さ」を知りました。

あらためて思い起こしてみると、人間の体は食べた物から出来ているのですよね。当たり前といえば当たり前なのですが、食べた物は、どのような仕組みで体を作り、体を動かすエネルギーを作っているのでしょうか。

人間の体の細胞は、総じて37兆個あるそうです。その細胞1個の中にエネルギーを生み出す働きをしているミトコンドリアが平均して400個入っているそうです。ミトコンドリアの総数はおおよそ1京4800兆個。それら1個1個がほとんど間違えずに働いて私たちの体を作って動かしているのです。
私には奇跡としか思えません。畏れというか畏敬の念が湧き起こって来ます。こういうのを「神業」と言うのではないでしょうか。

さらに、その動きを分子レベルにまで落としていくと、またそこには分子の生態系というものがあるわけですから、そこまで考えると、いったい「生命をどうとらえたらいいのか」という問題が出てきます。
それを研究しているのが分子生物学者福岡伸一氏で、彼は「身体を構成するタンパク質、炭水化物、脂質、核酸などの分子は絶え間なく分解と合成を繰り返し、休みなく入れ替わっているため、実体としての物質はそこにはない」と述べています。

つまり、私たちの身体は固定された物質ではなく、いわば「流れ」であるというのです。常に細胞を分解しては捨てながら、新しい細胞を合成していく、その運動が生命だというわけです。
したがって、細胞が常に入れ替わっているのですから、1年前の私の細胞と現在の細胞とは全く別の物になっているはずです。ところが、私の顔や体つきは1年前とほぼ同じです。誰も私が別人になっているとは思わないはずです。すべての細胞が間違えることなく、私の身体の細胞としてオーダーメイドされているわけです。ある意味「極めて高度な技術」です。

福岡氏はこの高度な在り方を「動的平衡」と称しています。つまり「動きながらバランスを保っている」ということです。
そのような流れに沿って考えていくと、人と環境(外界)の境目とは、いったいどこにあるのか、わからなくなってきます。
自分の体に取り入れる空気や食べ物など、すべてが変換されては自分の体が形成されていくのです。

自分が住んでいる家や、その周囲の環境も影響していると考えられます。そのように考えると、人間にとって外部の自然環境も自分の体と同様に大事なものだという認識にいたります。
つまり、すべてがつながっているのです。その意味では、私たちは地球のすべてとつながっているのです。そして、つながったうえで「」も形成されていくのだと思うのです。

そのことに気づいた人のひとりに辰巳芳子さんという料理研究家がおられます。彼女は人の「」を育てるために「」の重要性を説く人です。かつて神父の近藤雅広さんと興味深い対談をされていますので、一部抜粋させていただきます。

近藤「…(略)…体と心は別々のようだけれど、じつは一体なんですね。食は生命エネルギーを象徴する世界だから、私たちが生まれてから死ぬまで、食を離れてものを考えるということはありえない。食べるということを通して、体のことも心のことも魂のことも考え、表現するのだと思います」
辰巳「食を生活という視点で考えると、食は暮らしの一端、でも、いのちという視点で考えると、生命の仕組みなんですね。…(略)…食が人間的なるものの最たるものであると思うのは、食は睡眠、呼吸と違って、自由意思を必要とするのもなんですね」
近藤「すごく意識的な世界。何を食べてもいいというわけではない。食べ方をひとつ間違えると、とんでもないことになる。生命の仕組みのなかでも、もうひとつレベルの高い意識、選択の世界です」
辰巳「自分を高めることも、自分をなおざりにして生きていくのも、その人次第という、当たり前であって当たり前でないものの最たるものが、食べるということかと思います。台所で料理をつくるという作業の深い意味について自覚しないまま、その作業を続けるのは簡単なことではないのです。…(略)…ひとっていうものは、急に目が開けるようにそのものの価値がわかって、すると、いままで重荷であったものが、喜ばしいものに変わっていく、というものでしょう。自分のいのちと確かに呼応するものを食べたときの、自分自身のいのちへの手応えを、細胞はきっちり受け止めていると思います。これを薄紙を重ねていくように重ねて持っているひとは、自分のいのちへの手応えの基礎ごしらえがしっかりできているということ」【※2】

そのとおりだと思います。人間を考えるうえでの基本中の基本は、やはり「食べる」ことだと思います。そしてそれは「自由意思」と関連しているものなのです。
というわけで、いま、私たちに「食の主権」はあるのかという問題なのです。わざわざ奴隷労働してお金を払って農薬や化学肥料や添加物にまみれた食物を体内に入れていいのですか?

これは私の体験ですが、体は嘘をつきません。自分の体を信じてみてください。
体調が悪いのなら、まず食べるものを考えてみることをお勧めします。まず、なるべく添加物のない食物を選んで食べるようにすることをお勧めします。
サプリは必要ないと思います。基本の食べ物をある程度バランスを考えて食べていれば、体の方が考えて良いように計らってくれるように思います。

私はいま田舎へ移住して、これから家庭菜園を始めるため、まず土作りから勉強しているのですが、いろいろと方法がある中で総合的に考えて理論として納得できたのが「植物が生育するためにはミネラルが必要。そのミネラルは肥料で補っている場合が多いが、植物と微生物の共生関係が上手くいっている場合は、肥料は必要ない」というものです。
人体も同様だと思うのです。人間と体内の微生物の共生関係が上手くいっていれば、わざわざあれこれ栄養を補給しなくても健康を保つことができるという理屈です。
これが正しいかどうかは、私自身の体と家庭菜園で実証していく予定です(笑)。

上記の理論を展開している方で有名なのは「菌ちゃん農法」で知られる吉田俊道さんです。
彼も日本に食料危機が来ることを危惧しておられます。化学肥料や食料が輸入できない事態になったときに困らないよう、化学肥料や農薬を使わずお金をかけずに食物を育てる方法を、いまのうちに練習しておきなさいと説いておられます。

いま日本政府が目論んでいる外国大企業による大規模農業は、大量の化学肥料や農薬を使いますから土の中の微生物を殺してしまいます。やがてその土地に多くの化学肥料を投入したところで食物が生育できないときが来ます。つまり土地が死ぬということです。
いま、日本の防衛のために必要なのは、兵器を買うことではなく、食料自給率を上げる努力をすることだと思います。そのために、何をどうすればいいのか考えるのが本来の政府の仕事なのではないでしょうか。

みなさん、いま日本がどのような状態なのか、自分の頭で考え、心で感じ、自分で調べて、これからの生き方を考えてみてはいかがでしょうか。
いまの状況に漠然と不安を感じている方も多いと思います。あわてる必要はありません。自分がどちらの方向へ行けばいいのか、決断して少しずつそちらの方向へ「行動」すればいいのです。考えているだけでは駄目です。「行動」が必要です。「行動」することで不安は解消していくと思います。
なぜなら、たとえ最悪の事態が起こったとしても、「自分はやれるだけのことはやった」と思えるかどうかが、とても大事なことだと思うからです。

                                     

※冒頭の画像は、加古里子さんの絵本『地球』からの抜粋で、地面の下の様子や地表の生き物との関係が緻密に描かれています。このような関係性をイメージできれば、地球と自分との関係性も自ずと見えてくると思います。

【※1】農水省のホームページの「食料・農業・農村基本法の一部を改正する法律案要綱」の「第六 食料の安定供給の確保に関する施策の見直し」の「三 農産物等の輸入に関する措置」に次のように書かれています。
国は、農産物及び農業資材の安定的な輸入を確保するため、国と民間との連携による輸入の相手国の多様化、輸入の相手国への投資の促進その他必要な施策を講ずるものとすること。(第二十一条関係)

【※2】NHK知るを楽しむ〈人生の歩き方〉テキスト『いのちのスープ』(辰巳芳子/日本放送出版協会)より
辰巳さんは固形食が喉を通らなくなった病気の人々のために、おいしい滋養にあふれたスープをすすめている方です。わたしも死期が迫ったときには延命治療したり、鼻からチューブを入れて流動食を流し込むのではなく、おいしいスープを飲んで死にたいと思います。

個人の意識の統一性として見られるものは、独立した人間の内部と外部環境からのインフォメーションを相互に処理している膨大な数の知的システムからの一つのまとまった産物である。より一般的な言葉で言えば、人間の心は心理学的性質よりも社会的性質を強く持っている。

マイケル・S.ガザニガ(認知神経科学)


 【管理支配システムに組み込まれることなく生きる方法】
1. 自分自身で考え、心で感じ、自分で調べる
2. 強い体と精神をもつ
3. 自分の健康に責任をもつ(食事や生活習慣を考える)
4. 医療制度に頼らず、自分が自分の医師になる
5. 人の役に立つ仕事を考える
6. 権威に依存しなくても生きていける道を考える(服従しない)
7. 良書を読み、読解力を鍛える(チャットGPTに騙されないため)


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