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自由を制限するのは、いつも自分だ。

※10分間で書く、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ。毎日更新95日目※

一時期はまっていた塗り絵を、ふたたび始めた。今回も、理由はとくにない。いつもどおりの気まぐれ。思いつきだ。

でも「大人の塗り絵」というのは、案外むずかしいというか、時間がかかる。全然完成しないし、配色をミスるとものすごく微妙な雰囲気になる。でも色を塗る部分が多いから、たくさん考えなきゃいけない。

赤と青の補色がいいのかな、とか、グラデーションっぽくすべきかな、とか、影をつけたほうがいいのかな、とか。

と思っていたんだけど。

毎度毎度、そんな丁寧に配色を考えてたらつかれちゃう。どの色もなんだかしっくりこない気がして、やりたくなくなっちゃう。そもそもそんなにセンスがあるわけでも知識があるわけでもないから、考えたところで「正解」なんてわかんないし。

というわけで、昨日は、いつもとちがって「思いつき配色」をしてみた。

色のバランスや全体のイメージなんかは無視して、「なんか緑がいいな」「赤い色鉛筆があるからつーかお」みたいな感じで、とにかく塗っていくの。

そしたらさ、案外うまくまとまったんだよね。あれ、いけるじゃん、みたいな。

よく考えてみたら、個人が趣味の範囲でやるんだから、最初から好きな色を好きなように塗ればよかったんだよ。それでじゅうぶんだったんだよ。

わたしはつねづね、「敷かれたレールなんて」と言う人に、「敷かれたレールなんてないんじゃないか」と言ってきた。既定路線というのはたしかにあるし、多くの人が行く道が王道なんだろう。

でも、たとえば「お願いだから大学に行って」と頭を下げられた? 「就職しないと許さない」と怒られた?

そういう人も、実際にはいる。そういう人が「敷かれたレール」と言うんならわかる。でもまわりを見聞きした感じ、勝手に「進学して就職しなきゃいけない」って思ってる人もけっこうたくさんいたんだよね。

自分なりの目標を見つけて、まわりに丁寧に伝えれば、わかってくれるかもしれないのに。それをせず、自分で勝手に選択肢を狭めておきながら、「敷かれたレール」なんていう。なんかさ、それはちがうじゃん。

結局、ほとんどの場合、自由を制限してるのは自分なんだよ。

塗り絵だって、好きに塗ればいーのに、「補色を使うべきかな」とか「色がかぶっちゃうな」とか、ああだこうだ考えて。別にだれも怒んないよ、失敗しても。

人生だって、頼まれてもいないのに「押しつけられた」と思い込んで「敷かれたレールはいやだ」なんて反抗してさ。ちがうから。選んだのは結局、自分だから(経済的、家庭的な事情はもちろんあるけども)。

自由を制限するのは、いつだって自分自身。好きにやりたいなら、自分の責任で好きにやればいいんだよ。

というわけで、塗り絵は好きな色を塗ればいい。それだけ。

じゃあ、またあしたね。

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