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三国時代のトイレ事情…豚便所って何?

 英雄も人である。

中国の戦国時代を舞台とした人気コミックス
『キングダム』や日本にマニアも多い
『三国志』に登場する英雄たちは皆
我々と同じく排便をしていたはずだ。
だが、歴史を扱う映像作品や漫画、ゲームなどを見ても、始皇帝がトイレで気張っていたり、
曹操が便秘に悩んでいたりするシーンを
見ることはまず無い。

しかし、彼らも人間であり何かを食べれば
何かが出てくるものだ。

このnoteの1番上の写真がまさしく
当時のトイレの明器(ミニチュア)なのだが、
これは2019年に国立博物館で行われた
三国志展で展示されていたものであるため、
見たことがある人もいるかもしれない。

まず、説明しておかないといけないのが
漢代の副葬品について。

前漢時代から土製の明器(ミニチュア)を
副葬するようになり、後漢になると
さらに盛んに行われる。
いわゆる土器のような器物と
建築物を含めた明器は当時の人々の生活や
生産に密接に関係している。
建築物の中でも倉庫、竈、井戸が
特に多く出土するが、豚小屋と便所を合わせた
豚便所の明器も出土する。

この豚便所の明器を基に
今回は三国時代のトイレを想像する。

さらっと「豚便所」というワードが
飛び出したが、人のトイレと豚小屋を
一体化させた日本では沖縄を除いて
伝わることの無かった特異なトイレ。

そのトイレ自体は戦国時代(中国の)から
存在していたことが文献から読み取ることができる。
そして、最も有名なエピソードが
漢の高祖・劉邦の正妻・呂后と
側室・戚夫人の話である。

「恵帝即位後間もなく呂后は、恵帝の有力なライバルであった高祖の庶子の斉王劉肥、趙王劉如意の殺害を企て、斉王暗殺は恵帝によって失敗するが、趙王とその生母戚夫人を殺害した。この時、呂后は戚夫人を奴隷とし、趙王如意殺害後には、戚夫人の両手両足を切り落とし、目玉をくりぬき、薬で耳・声を潰し、その後便所に置いて人彘(人豚)と呼ばせ、そのさまを笑い転げながら見ていたと史書にはある」by Wikipedia先生

私が豚便所の存在を知る前に
この話を読んだとき全く意味が分からなかったが、写真をよく見て欲しい。

スロープを上がりトイレに入ると
穴が開いている。その穴に用を足すと
豚小屋に落ちる。そして、それを豚が食べる。
もしくは人糞と豚の糞をまとめて肥料にしていたとか。

呂后が中国三大悪女に名を連ねることに
大きく頷けるエピソードだが、
これにより当時の身分最高位の人物も
豚便所を使用していたことがわかる。

また、漢代の諸侯王の墓や曹操の墓からも
豚便所の明器が出土している。
そして、今でもド田舎に行けばまだあるらしい。コロナが終息したら探しに行きたいものだ。

もちろん、ずっと同じ型式をしているわけでは
ない。前漢、後漢、三国、西晋と時代の移り変わりとともに、時代性・地域性を持った型式が
登場する。

1番上の写真は2世紀のもので後漢中後期のものである。だから、呂后のエピソードで登場する豚便所はこれとは違う可能性が高い(前漢前期では先ほど説明した落下式の豚便所明器は出土しない)が、皆さんの想像の助けになって欲しい。

では、この時代だと…この地域だと…を
説明していると2万字必要なので(卒論)、
今回は三国時代の豚便所のみ紹介し、
2次創作が得意な方にぜひ曹操が
踏ん張っているシーンを描いて欲しい。

まず、曹操墓出土の豚便所を見てみよう。

162写真
 出典:河南省文物考古研究所2016『曹操高陵』中国社会科学出版社

1番上の写真とは見た目は違うが、
これも落下式である。
ただ、この型式は他の墓で同じようなものは
出てこない。新時代を築いた曹操ならではの
オリジナル型式なのかもしれない。
文献では頭痛持ち、骨を見れば虫歯があった
曹操。戦いの日々でストレスの多い
人生だっただろう。

つまり、便秘か下痢気味だったでしょ!(偏見)

そんな曹操が使っていたトイレは
ベストな型式だったのだろう笑

他の魏の地域から出土している
豚便所をもう1つ見ておこう。

画像2
出典:鄭州大学歴史学院2015「洛陽孟津朱倉東漢墓発掘簡報」『文物』2015年第4期、p.33-41

これは右手前に落下型があり、
それと対角にも便所がある。
この型式は現在の徐州市で出現し山東省に広がり後漢中後期から洛陽でも見られるようになる。
この写真のものは後漢末期の墓から
出土している。

他にも1番上の写真と似た型式も多く
後漢後期から西晋にかけて出土している。

続いては呉から出土するものを見よう。

画像3
出典:南京市博物館2007「南京江寧上湖孫呉、西晋墓」『文物』2007年第1期、p.13-25

呉の地域は三国時代に入る前から
平面が円形のものが多いのが特徴である。
魏でも後漢後期から少数ではあるが円形のものが出土している。

続いて蜀を見ていきたいが
ほぼ豚便所明器の出土が無い。
三国時代以前から豚便所に限らず明器の出土が
少ないようだ(たしか)。
現在の重慶市から2つ出土があり、
片方が三国時代の墓の為紹介しておく。

193写真
出典:吉林大学辺疆考古研究中心2004「重慶奉節県三峡工程庫区崖墓的清理」『考古』2004年第1期、p.44-61

1番上の写真と同じ型式である。
蜀の型式は出土数が少ないため傾向を
見ることは難しい。

 

結論として三国時代の豚便所を考えると、
魏は平面が方形のものが多く、
呉は逆に円形のものが多い。
蜀は不明だが、方形のものが出土している。

そして、後漢以降は最初の写真のような
落下式の豚便所が主流となっている。

ぜひ、二次創作絵師は参考にしていただきたい。


 いちよ、この研究の経過を説明しておくと、
漢~西晋の豚便所を卒論で研究した。
それ以前の豚便所研究は日中両国を通じて
2001年に西谷大先生が行って以降、
網羅的な研究は行われていない。
20年分の発掘成果が追加されるため割と新事実もわかっている。
そのため、卒論をブラッシュアップしたものを大学の歴史学科が出している学術雑誌に掲載するお話を頂いたため今頑張っている最中でござる。

論文が掲載されることになっても
それは私が一般企業で働き始めた後。

つまり、大学などに所属していない在野の歴史研究家の誕生である。

歴史に携わることができ続けるとは
嬉しい限りだ。
正直、大学四年生のコロナ禍で
就活・卒論が終わり、バイトが緊急事態宣言で
無くなり何もすることが全く無くなり
生きる気力を失っていた。
そこでこの研究の継続は活きる糧を見出した。
まさに水を得た魚だ。

   三国志万歳!歴史万歳!趣味万歳!

皆さんも生きよ。ほっそりとでも生き続けよ!

P.S.
この研究継続の話は頓挫した。
社会人舐めてた。
このnote書いたことすら忘れていた。
社会人2年目冬。

2022年兵馬俑展に漢代の明器はあったが
豚便所はなかった。残念。

ただ、改めて読み返して趣味って、歴史って
最高って思えた。

久々に卒業アルバムを開いた気分だ。


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