見出し画像

「徳永暁人」を撮る



このたび、作編曲家、シンガー、ベーシストの徳永暁人さんのホームページの制作とアーティスト写真を撮影させていただきました。

マルチな活躍をみせる徳永暁人さん

徳永さんはこれまでビーイング(現在、B ZONEに名称変更)に在籍され、B’zの「Liar!Liar!」「Calling」「ultra soul」などの楽曲制作をはじめ、ZARD「永遠」、倉木麻衣「Stand Up」「渡月橋 ~君 想ふ~」の作曲、他にも数多くのアーティストへ楽曲提供やライブサポートを行っています。
また、「ドラゴンボール」の作曲やテレビ朝日系列「人生の楽園」のオープニングテーマ「PARADISE OF LIFE」は20年以上お茶の間で愛されてきたメロディーとして知られています。そして、2004年からスリーピースロックバンドdoaのボーカル、ベース、リーダーをつとめ、ほぼ毎年のペースでアルバムを制作し、全国ライブツアーなど精力的に活動されてきました。

一方で「オンキヨー世界点字作文コンクール」の審査員を務め、作詞賞受賞作品への楽曲提供や、現在は大阪音楽大学で特任教授もつとめられるなどマルチな活躍をされています。

そんな徳永さんが9月1日に事務所を離れ、独立されました。この独立を機に個人のホームページの立ち上げと新しい宣材写真の制作にこのたび渡部が関わらせていただくことになりました。

音楽を流しながら撮影。エド・シーランの曲が流れると音楽に合わせて伴奏し始めた徳永さん。

徳永暁人さんとの出会い

少し脱線しますが、まず私のルーツをお話させてください。
隠す必要もないので言いますが、私は30年来のB`zファンです。「玲」という名前は本名です。あきらと読みます。これだけでB'zファンから一目置かれます(笑)。ちなみに、母が小林旭が好きで、そこから「あきら→玲(iPhoneでも変換出る)」と名付けられたのでB'zとは関係なく名付けられました(41歳ですし、結成前)

テレビ業界にもたくさんB'z好きな人はいますが、おそらく誰にも負けないくらい(競う必要ないですが)のクソマニアです。小学校5年生の時に初めて買った8cmシングルが「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」。そこからB'zに魅了され、中学2年の時にアルバム「LOOSE」の分厚いバンドスコアを買って、ひたすらギターを練習しました。どちらかというと僕の少年時代はもちろん稲葉さんも好きですが、ギターキッズとしてひたすら松本さんのパフォーマンスを見つめた日々でした。高校時代は部活動に明け暮れていて、大学生になり、ようやくアルバイトなどもしてライブに参加できるようになりました(初ライブは2001年)。

私の徳永さんとの(一方的な)出会いは「SURVIVE」の頃。B'z LIVE-GYM '98 "SURVIVE" の「Liar! Liar!」のアウトロで松本さんのギターと徳永さんのチョッパーでやり合う場面に釘付けになりました。ライブ映像になっているのでこすれるくらい(死語?)そこだけ何度も見ました。そして、2003年の静岡・渚園で行われたB'zの15周年ライブ。当時大学生だった私は青春18きっぷで同じくB'zファンだった彼女と一緒に静岡に渡りました。

土砂降りの雨の中で行われたライブ。そこに徳永さんはいました。モデルのような長い脚、雨で濡れた長髪を上下左右に振りながらB'zの下手側の位置でパフォーマンスを見せる姿に圧倒されました。そして、僕は就活でNHKのクソ長いエントリーシートの「最近気になること」の一覧に他の就活生たちが国際政治や経済などひたすら真面目なことを書く中で、渚園のライブの感想と、あれだけ売れても俺たちはまだまだ青二才なんだと「GREEN」というアルバムをリリースしたB'zのお二人のその謙虚さを延々と面接官に語り、内定を勝ち取りました。

ちょうどその頃、徳永さんはバンド「doa」を組みました。3人の男性が織りなすハーモニーがとても美しくdoaにもどんどんハマっていきました。NHKに就職し、初任の徳島に赴任してからチャットモンチーのライブドキュメンタリーやアニメ「けいおん」の平沢唯役の声優・豊崎愛生のライブドキュメンタリーなど音楽番組もたくさん作っていました。そんな中、doaが徳島の脇町のオデオン座でライブを行いました。私もそのライブをファンとして観に行ったのですが、その時に座布団に座りながらライブをする空間の魅力と、また自然体でファンと距離の近いライブを行うdoaにますます魅了されました。すぐに私はこのオデオン座のライブをテレビでもやりたい、と提案を書き、半年後にNHK徳島presentsとして徳島出身のアーティストをはじめ、大阪で活動するdoaの事務所にオファーをし、ライブ番組を実現させました。徳島県単の放送でしたが、doaの楽曲は新曲も含め10曲は放送したと思います。

2011年  徳永暁人ソロライブ「Route 109 Vol.1」にて

そこから東京に異動し、数々の音楽番組に関わりました。そこで深く徳永さんと関わるようになったのが高校生の部活動がステージパフォーマンスバトルを繰り広げる「スクールライブショー」(NHK Eテレ)。高校生バンドバトルの審査員としてご出演いただけないかと徳永さんにオファーしました。

もちろん元々はファンだったということもありますが、それだけでベッタリ徳永さんと交流させていただいているわけではなく、特に「スクールライブショー」を通じて、徳永さんの子供達と接する姿勢や言葉の選び方、仕事との向き合い方にとても刺激を受けたのです。そしてその後大阪音大でも教鞭を取られるようになり、本当にマルチにご活躍されています。その魅力は今回の独立後、ますます多くの人を惹きつけていくはずです。

番組出演の高校に出向き、軽音楽部の生徒たちに出張レッスンを行う徳永さん。

また、徳永さんが出演されているYouTubeチャンネルがあります。「けんとくチャンネル」。渡部が撮影・編集を担当しています。徳永さんとギタリスト原田喧太さんが80年代の洋楽から昭和歌謡までさまざまな曲をセッションカバーしていて、第一線で活躍するミュージシャンらが出演してくださっています。お二人は大黒摩季さんのライブで一緒に組まれていて交流があり、私も3年前から関わらせていただいています。ぜひご覧いただき、チャンネル登録もしてくださると嬉しいです。

そんなこんなで、徳永さんとは公私ともに様々お世話になっています。

そろそろ「お前の話はいいから、はよー徳ちゃんの写真を載せぇ!」って思われている読者の皆さん、すみません。ここで写真何枚か載せます。。

この映画教えてください。どのシーンですか?ハリウッド俳優さんですか?
かっこいい男は、背中がかっこいい

徳永暁人のルーツから、映す。


もしかしたら、今回ホームページをご覧になられて、「え、ちょっとこれまでの徳ちゃんと違う!」と思われたファンの方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。僕なりにも20年近く徳永さんの活動を見てきて、徳永暁人はどんな人物か、皆さんの中でも「イメージ」があると思います。

ただ、独立されてこれまでと同じイメージのままの徳永さんを映し出しても意味がない。そして、徳永さんもそこは明確にスタンスをお持ちでした。

徳永さんはこれまでも自身のソロアルバム「Route109」の活動や過去MCやインタビューでも話されていますが、アメリカ・カリフォルニアの国道66号線、大陸を横断するこの道が題材となっている音楽やカルチャーに大きな影響を受けています。

「爽やかな明るい姿じゃなくて、土臭くて、泥にまみれてるような、あの感じを出したい」

独立し、フリーになり、ある種の制約、イメージから解放され、ここからが本当の「徳永暁人」としての道(ルート)を歩み始める。

徳永さんは、原点回帰として、私に写真やホームページのイメージを話してくださいました。

そして、ホームページのトップ写真としても採用された一枚がこちらです。

「これこれっ!」 

撮影した1106枚の写真。おそらくこれだな、と撮影しながら自信のあった一枚を早速モニターに写して徳永さんに確認してもらいました。

「写真とは何か」という本筋の話にもなってくると思いますが、本来のいわゆる「良い写真」という視点から見ると、露出も低く、表情が見えにくいこの写真は点数としては低いかもしれません。
私も、Lightroomで、露出をグッとあげそうになりましたが、「いや、違うだろ、それは」と思い、あえて濃く、コントラストをあげ、シャドウを下げていきました。

実は撮影に臨むにあたり、照明スタンドも立てて、光をたっぷり取り込んで撮影の準備を整えていました。しかし、撮影していく中で「違うなぁ」と二人で話しながら、最終的に部屋の明かりを全部落としました。

フォトグラファーとしては不安になる環境ですが、明かりを消してファインダー越しに映る徳永さんの姿を見て、確信しました。

「はい、こういうことですね。」

良い写真とは何か

写真を撮る方はお分かりだと思いますが、後ろの海に露出を合わせると、顔の露出はほぼ真っ暗な状態になります。でも、顔に当てたら海も見えない。どちらを優先するか。海でした。

海に露出を合わせながら、ギリギリ顔が映し出される「光」を保ちながら撮影し、撮影後現像で調整しました。

「この暗さがいいんですよ」 

徳永さんが求めていたものがわかりました。

さて、私自身6月末に18年間お世話になったNHKを退職して、独立しました。本業でディレクターとして仕事をしながらも、写真や映像をライフワークでもやってきていて、組織より「個」として自分の名前で発信していきたいという思いが年々強くなっていました。7月に起業後、映像のお仕事が中心でしたが、フォトグラファーとしての本格的なお仕事は今回の撮影が最初でした。写真家としての実績はまだまだこれからですが、徳永さんは新たなスタートに、私を指名してくださいました。恐縮です。。

「良い写真とは何か」 

まだ答えは見つかりませんが、一つ言えるのは、適正露出でピントが合っていて、画角やバランスが良いから「良い」というのもあるでしょうが、やはり被写体となっている人が「映し出してほしい自分」を、しっかりとフォトグラファーが引き出し、映し出してあげること。そのマッチングこそが、「良い写真」と言えるかもしれません。

「自分の写真を見てかっこいいと思ったことが一度もなかったんですよ。本当にありがとうございます。」

もちろん、ここにはお世辞も入っていると思いますが、撮影後徳永さんに言われた一言は今後の僕のクリエイターとして背中を押してくれる力強い一言になりました。

最後に、

今回の撮影を通じて感じたように独立された徳永さんはまた新しい「徳永暁人」として、これからさまざまな場でご活躍されることと思います。今までにはなかったコラボやアーティストとのお仕事も当然増えるでしょう。

そんな徳永暁人さんの今後のご活躍をそばで見つめつつも、子供の頃にブラウン管越しで見つめていたように、一人のファンとしても引き続き見つめたいと思います。

独立、おめでとうございます。


私の独立祝いに社名が彫られたマグカップを徳永さんが贈ってくださいました。開けた途端、泣き崩れました。さらっとこういうことができる男になりたい。また惚れました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?