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【どうしようもなく面倒で】キリエのうた【かわいい女たち】

この才能のために映画の1本も撮り下ろすよね。っていう説得力がアイナ・ジ・エンドの歌声にはあり、それがすべての映画だと思いました。

岩井作品は、短編含め、結構見てきましたが、今作にはセルフオマージュが多かったように思います。
その中でも、同じくウタモノとして共通点が多いのは「スワロウテイル」でしょうか。CHARAをボーカルとした円都バンドは、2016年に再結成されて新曲を出してびっくりしました。
しかし、岩井映画史的に、この作品はCHARAがいるから、ウタモノになったという言い方が正しく、初めからウタモノとして作ろうと思っていた作品ではなかったのかもしれません。そもそも、前段階に「PiCNiC」という短編を撮っていて、彼女はその主演を務めています。さらにその前の短編でもよく似たキャラの女の子が出てくる作品があり(作品名を失念)、監督はこういう舌足らずな、あどけなさが感じられる不思議系少女が、元から好きな傾向にはあるようです。
「スワロウテイル」は、伊藤歩扮するアゲハの成長物語でしたが、今作「キリエのうた」はその少女の成長とウタモノとをうまく融合させて、一つの物語にまとめあげたという印象です。ともかく、全編にわたって歌い続けています。

そんな「キリエのうた」もとい「アイナ・ジ・エンドの才能」に支えられた映画ですが、全体的に見終えてみると、これといって特筆できるストーリーがないように思います。「リリィ・シュシュのすべて」の後の心が掻きむしられるような感覚も、「花とアリス」の後のほっこりした温かさも、この映画にはない。ともかく「キリエ」という少女の才能にすべてが捧げられた、という印象だけが残りました。
しかし、前作の「ラストレター」は男性中心の物語だったように思いますが、今作は女性、とりわけ少女に視点が戻ってきたように思います。


絶妙なバランスのダメ女、マオリ


主人公のキリエを形作るものは、亡き姉の存在、その恋人である夏彦、彼との縁でできた一つ上の友達マオリであることは確かです。映画のラストにかけて、キリエの才能に惹かれ、集まってきた人々を繋いだのも、マオリです。しかし、キリエはその成功が予見できるのに、マオリにはそれがない。「ミッドナイト・スワン」に感じたような、一つの才能と、その他有象無象の輩。強力な才能に、さらなる他の才能が集まってくる頃には、彼女の役目は残されてもいない。
このマオリという女が、絶妙なバランスのダメ女でして、「リップヴァンウィンクルの花嫁」の主人公を少し思い出しました。あの子ほど主体性がないまま流されていたわけではないですが、ああなるのも仕方ない、というキャラ立てがされている。
母娘3代続けてのスナック経営、高校卒業後は進学もできずこのまま4代目になるしかない──という他のモデルケースを持たない生育環境には同情すべき余地もありますが、「ここから抜け出したい」「女の武器で生きたくない」という思いは、果たしていつから持っていたものなのでしょうか? 降って湧いた大学進学の可能性が示され、初めて意思表示をしたような唐突さがある、と私は思ってしまいました。
あの話がいつ頃に提示されたのかわかりませんが、「そろそろ卒業だろ?」って客に言われるタイミングなので高3の冬か? そこから慌てて進学準備をする──って、目指すものにもよりますが、やはり急過ぎる。高校じゃなくて、大学やぞ? どこでもいいから一直線か?
仮に、進学以外にも家を出る方法は、それこそ就職とか何とかであったわけで。それすら阻まれるような家庭環境かという、そういうのでもない気もする。彼女は初めから諦めているように見える。だから、抜け出すための可能性を模索してこなかった、そのための努力を怠った彼女の顛末には、そこまで同情できない。
示された可能性が絶たれた、その反発で家を出て、ふらふらと東京を彷徨っているうちに、結婚詐欺のような真似事をしてしまったのだろうと思います。初めから、そうしようとは思ってなかった、にせよ。行き当たりばったりが過ぎる。
この行き当たりばったりさは、実はルカにも通じるのですが、彼女には「歌」がある。この対比が、残酷だな、と。
もっと言えば、夏彦との関係も。淡い恋心を、マオリは彼に持っていただろうに、それを上回る絆が、キリエもといルカと夏彦との間には既にある。正しい内実はともかく、「自分には入っていけない」という思いがあったのでしょう。ここでも、彼女は行動に移す前に諦めた。
立ち回りが上手いのか、やたら顔は広いが、本人は何一つ持っていない。そのことは音楽プロデューサー?が、いち早く見抜いている。
こういう背景を持つ少女の母に、「打ち上げ花火〜」の奥菜恵を持ってくるところが、大層、意味深である。


本作史上最も面倒な女、キリエ


このマオリも、なかなか厄介な女なのだが、それを上回るのがルカの姉「キリエ」である。映画ではアイナが一人二役でこなしているが、この演じ分けが非常に上手い。声も仕草も、特徴的な人なので、一人二役なぞしたら、同一人物と見るべきか?と思わせられるが、完全なる別人として見事に演じている。このへんは「ラストレター」との印象と異なる。
姉のキリエは、言い方は悪いが、「地雷」臭がすごい。黒木華扮する小学校の先生に、夏彦がその思い出を語り出すシーンがあるが、「僕の方があまり…。彼女がバレンタインにチョコをくれて、」という言い方からわかるように、彼に初めは気がなかった。が、神社での二人っきりのときから、キリエはグイグイと恋心のみで突っ走り、最終的にはその「恋人」の座を手に入れる。
高校2年生、16〜17歳の少女。恋に盲目となるなとはいえないが、身体は成熟しているため、うっかり妊娠。医者志望で避妊してないとか、夏彦くんが心配である。
さて、どうする、という段階で、彼らは「産む」という選択肢を、とりあえずする。──ここ、はっきり言及されていないけど、キリエの家はキリスト教を信仰しているようなので、おそらく堕胎という選択肢は、家族の中にはないように思える。仮に、夏彦が「堕してほしい」といっても、キリエ本人に「産む意志」があるなら、母はそれを許すような気がする。反対するような父はいないのだし。
夏彦は、医学部を目指す程度にはお勉強ができるし、頭もそれなりに良さそう──とはいえ、そこまで察していたかはわからないが、ここで「堕胎」という選択肢を提案してもしなくても、自身が罪悪感に悩まされることはわかっていたのだろう。
最後の電話で、彼が言いかけた「決めたこと」の内容は、何だったのか。映画ではわからない。小説版を読めばわかるかもしれないけど、そこは野暮ということで。別れる選択肢も、医者を諦めて働く選択肢も、どちらも有り得たと思うが。そうして、何かを手放すことは、17〜18歳の彼には辛かったはずだ。一心に、自分への愛を傾けるキリエを、「重い」と思わなかったはずがない──だからこそ、震災で見つからない彼女に安堵しつつも、その安堵している自分に罪悪感を重ねる。このあたりの心理描写は、役者のセリフは少ないながらに、映像の端々、俳優の演技で伝わってくる。


個人的によかったところ


「ラストレター」からずっと言っているけど、そろそろ小学生男子を中心とした映画を撮ってくんないかな!? 小中くらいの男子のわちゃわちゃを撮るのが非常にお上手なんですよね。演出なんだと思うけど! ザリガニのシーン、大好き!
まぁ、近いのは「リリィ・シュシュ」なんだけど、あれは重かったから……。「花アリ」のノリで、是非!


気が付いたセルフオマージュのメモ(不確定)


キリエ(ルカ)の黒い衣装→「PiCNiC」のココも真っ黒な衣装(堕天使っぽい設定だっけ?
幼少期のルカの衣装(黄色いレインコート)→「スワロウテイル」に印象的な黄色いレインコートの子供たちが出てくるシーンがあった記憶がある。
教師役の黒木華→「リップヴァンウィンクルの花嫁」のヒロインも、元教師(うまく行かなくて婚活に逃げて、が物語の主体)
スナックのママをやる奥菜恵→「打ち上げ花火〜」は母の再婚で転校を余儀なくされた少女が、抵抗にと同級生と「駆け落ち」する話。これもまた、親の再婚で振り回される少女の話。
一人二役、姉妹→「ラストレター」
バレエを踊るルカ→「花とアリス」
雪原の中を歩くルカとマオリ→「花とアリス」

オマージュというより、単に監督の「癖」なのかもしれない。

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