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【感想】女神の継承【犬は無事じゃない】

 タイトルでネタバレしていますが、犬は無事じゃない作品なので苦手な方は見ないでください。元より作中人物の生業が犬肉店だからさ…。

 『哭声/コクソン』のスピンオフというか、続編というか、そういうところから出てきた作品だそうで、救いも容赦もない、無慈悲なホラーとして仕上がっています。モキュメンタリー形式と知らずに見ていたので、始まった時は「ん?」となりました。後半になって気持ち悪くなってきたのが難点でした(酔いやすいみたい)(カメ止めでも同じ状態になった)
 特に後半の、完全に取り憑かれた状態であるミンの様子を隠しカメラで見るというのが、「儀式7日前」から始まるのですが、ここがもう怖いこと、怖いこと! 2日前くらいから、「え、まだあんの? まだ儀式の日にならないのっ」と心の中で文句を言ってました。そして、ちょうどのそのくらいの時期に頼みの綱であるニムが死ぬというね! もうやめてくれー!!
 しかし、このシーンを見ると、彼女の症状は日本でいうところの「狐憑き」や「犬憑き」に類するもののように思えます。ホラー関係だと「低級霊」扱いで雑魚のように祓われることが多いというのに、リアルだとこんなに怖いんだ…。
 『哭声/コクソン』はジャンル不明の手探り状態で異常現象を延々と見させられる恐怖がありましたが、今作はコンセプトがある程度わかっているのでそのへんは安心して見ることができます。因果関係もはっきりしているし、…人間の恨みって怖いね!
 考察関係のテキストも多く、楽しく読ませてもらっていますが、その内容も人によって結構違うのが興味深いです。精霊であるバヤンは本当に存在するのか、そもそも女神などではなく邪神の類だったのではないか、なぜ呪いが発動したのか、などなど。
 そのあたりのことをすっきりさせたい気持ちは私にはないので、いろいろな見方ができて面白いホラーだなぁとのんびり思っています。
 ただ、それこそ考察の意見が分かれる理由にもなっている、ニムの最後のインタビュー。あれを見て、私はアニメ『シムーン』を思い出してしまった。そこから信仰とは何か、祈ることとは何か、という結構壮大なことを考えたり。
 『シムーン』自体、ドマイナーなSFアニメなので詳しくは語りませんが、そこに出てくる巫女の少女も自身の信仰に対して、また自らが巫女であることに対して疑問を呈するシーンがあります。そのアニメでは「(性未分化の)少女」のみが「巫女」の資格を有し、神の乗機であるシムーンに乗ることができる。この世界観において、信仰の有無はだからあまり関係なく、「少女であること」がその力を有する。これは期間限定の「少女」だから与えられた力であるがゆえだと見ることもできるし、己がそう望む限り(=信じ続けている限り)「巫女であること」が保障されるものと見ることもできる。尤もこの作品世界の場合、「少女(巫女)であること」を望まなければ、性別を決めないといけない背景があるわけですが。
 一方で、『女神の継承』における「巫女」は、「巫女であること」に力があるわけではなく、「祈り続けること」によってその力が担保される。「巫女」は触媒と表現されている通り、あくまで女神との交信を担える者であるだけで、彼女の力が及ぶかどうかはその対象者の「信仰」が左右するのではないか。
 だから、その「祈り」から外れた者、巫女になりたくなくて改宗した姉のノイや、端から精霊信仰など信じていないミンなどは、その庇護から外れてしまう。そうした「不信の民」であったノイの一家に、夫の血筋が引き受けた呪いが降りかかって、さぁ、大変!という話。その「呪い」の具体的な手続きだとかの描写がやたらリアルティがあって、ホラー映画になっているという感じ。
 バヤンがいるかいないか、彼女がニムたちを救おうとした力があったのかなかったのか、そもそも邪神の類ではなかったのかというのは瑣末な問題なような気がします。情報過多な現代において、精霊などという土着の神への信仰はどんどん薄れているし、そんな中でニム自身が己の力を信じられず、それが女神への不信に繋がっていてもおかしくない。
 初めからそんなものはいなかったと言ってしまえば、巫女になる過程ですら「呪い」と見ることもできる。だから、「信じる」しかない。しかし、信じていれば必ず救われるということでもない。キリストですらその磔刑の際に「なぜ、私を見捨てるのか」と神に問うている(これは反語表現だとか、別解釈とかもあるんで、ツッコミはふんわりしといてください)し、『パンズ・ラビリンス』の主人公だって見ようによってはただの夢オチ死亡エンドにしか見えない。要するに、『女神の継承』も祈る主体が何を信じるか、という話なのだろうと思う。
 余談ですが、巫女になる過程が沖縄のユタに通じるものがあって、もし次回作を作るとしたら、日本のその辺を舞台にして来んないかなぁとふんわり考えています。どうですかね。
 自身にゆかりのある土地でこんな風に土着信仰を描かれたら、ものすごく嫌かもしんないけど。

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