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「誰もが輝かなくていい社会へ」というツイートを見て

先日、社会学者の岸政彦さんがこんなツイートをしてバズってました。今日時点で5.8万いいねがついてます。僕もいいね押しました。

単一の価値観を強制しない方がいい


この言葉を見たときにイメージしたのは、2つの立場の人です。1つは「輝くことがいいこと」という価値観が当たり前だと思ってる人。きっとハッとしたんじゃないかな。もう1つは、その価値観に押しつぶされそうになってる人。そうそう!と膝を叩いたかもしれません。僕は前者の人間でした。そして、最近やっとそういう呪いの言葉を使うのをやめよう、と心に誓ったところです。まだまだ、修行の身ですが。

世の中を見渡すと、同じような呪いの言葉に出くわします。
「夢を持つことは大事」
「人に迷惑をかけない」
「今日も1日頑張りましょう」

よく考えると、小学校の頃に言われたことばかり。学校の先生には罪はないと思うけど、ちょっと考えたほうがいいんじゃないか?と思ってしまいます。大事なことは、「じゃない方の人」を創造する力だと思うのです。どうしても夢を持てない人はダメな人なのか?そもそも人に迷惑をかけずに生きてる人なんているのか?ずっと頑張ってるのに、もっと頑張らなきゃいけないの?

突き上げそうになったこぶしを途中で止める


単一の価値観を作り上げるのは、ある意味で人間の知恵だとも思うのです。分かりやすくて、のっかりやすい。簡単にのっかれるならば、そのほうが生きやすい。のっかれる人のほうがマジョリティなのかもしれません。つまりは、意識しなければ価値観の押し付けは自動的に発生するということなのかもしれません。大事なことは、放っておくと単一の価値観に酔いしれて楽な方向に流れてしまうのが人間だということを常に意識する、ということだと思うのです。意識するだけで、言い方とかニュアンスが違ってくると思うんですよ。

そう考えると、短く強い言葉って危険ですね。
「誰もが輝く社会を!」って力強く言ってるときは要注意です。言ってるほうは気持ちいいですからね。自分は正しいことを言ってるっていう安心感があります。周りの人が「そうだそうだ!」なんて言っちゃった日には、悦に入っちゃいます。でも、そういう時こそ「危ない!」と思わないといけないんです。強くこぶしを突き上げようとしたら、そのこぶしを、肩ぐらいまでで止めてみるのはどうでしょう。「誰もが輝く社会を!」が「誰もが輝く社会の方がいいかも。。。」くらいになっちゃうかもしれません笑。
語尾が尻すぼみになってしまう、この弱さが大事なんじゃないかと思うんです。弱さに耐えることができるのが、真の強さなのかもしれないです。僕はそんな人間になりたいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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