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トピックのなさ。


一昨日ぐらいからペースダウンしはじめて、モードがかわって、ゆったりしはじめる。意識的にそうしようとしなくても。

SNSなどを見ていてかんじることは、SNSにいろいろな言葉思考が想起している様子と“自分”のアタマの中で言葉思考が想起している様子は、まったくおなじことで、というよりも“SNSで起きていること”とか“自分のアタマで起きている”という区切りのなさ。ひとつ。

だからどれもが正解でも不正解でも真実でも嘘でもなく、ただただ平坦に、ただただおなじように広がっている。

“自分のもの”としてなにかを掴んだとき、またはそれに真実であったり正解/不正解として扱ったとき、SNSやいまのニュースの「トピック」のように、そこに注目が注がれて、他とは違ってそれが特別にみえる。 そのほかいろいろが広がっているのだけど、そこにだけ!がついているみたいに。。。

それを特別な「トピック」として扱わなければ、いろいろの中のいろいろでしなかくて、それが飛び抜けていたり特筆することでもなかったりする。

どれもが平坦で、
どれもが穏やか。

なんでもなさ。

その視点においてなにかを掴んだり、なにかに囚われたりすることができなくて、どれもが無個性で、全体で、穏やか。ストーリー/物語 のなさ。


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