坂の途中の家
角田光代さんの「坂の途中の家」を読み終えた。
語り手が変わると、ものの見え方がこうも変わるのかと唖然とした。
主人公の理沙子、夫、娘、義理の親、実の親。
それぞれの価値観や家族の決まりごとは当然ながら違う。善意からの発言や行動が、相手に伝わらなかったり、悪く捉えられる。
人間関係はパズルのピースのようにはぱちんとハマらなくて、少しずつずれる。噛み合わない。分かり合えない。
読んでいて、苦しくなる場面があって、でも読まずにはいられず、早く読み終えたいと思いながら読んだ。
主人公の理沙子は、ある裁判の補充裁判員として裁判員制度に参加する。
理沙子が担当した裁判は、被疑者である乳児を殺めたとされる水穂の証言、夫や義理の親、友人、水穂の母が証人として話し進んでいく。
証人の話を聞きながら、理沙子は自分のことのように重ねながら、自分の夫との関係、義理の親との関係を見つめ直していく。
夫婦間でズレや、わだかまりができたときの描写がやはり角田光代さんはうまい。
まあ夫婦ってそういうものだよなともども思うし、ズレや誤解から事件になることもあるという、ヒヤリとさせられる小説でもあった。
裁判員の会話もなかなか、色んな発言があり、裁判員になったときの大変さも垣間見える作品だ。
読後はスッキリ爽快でなく、自分のネガティブな側面を思い出してモヤモヤするのだが、それが悪くない。漢方薬のようにじんわり、効いてくるような小説だ。
ヒトって分かり合えないよね、ズレってあるよね、それは悪いことではないなとわたしには思えた。
この先、何かのおりにこの小説のことを思い出すだろうなと思える小説だ。
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