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忘れた傘に思うこと

今日出先で傘を忘れた。
場所はだいたい見当がついているが、思い出したころにはもう戻れない状況。
気軽に行けない距離なので後日取りに行くということも叶わない。
傘自体は大したことない。千円もしなかった傘だ。
だが、3年間雨風をしのいでくれたので、それなりの思い入れはあった。
やはりこのような予期せぬ別れは心に響く。

禅では所有すること、執着することは苦しみを生むとされる。
持つことはいつか別れがあることを意味する。
モノもお金も地位も名声も。そして人生さえも。
いつかは手放さなければいけない。
私は小心者のため、たかが傘を忘れただけでも苦しんでいる。
そしてその別れにも執着しているので、さらに苦しみが増幅している。

手放すということが自然なプロセスならば。
今日の傘との別れも自然の摂理だったのか。
と、考えることはあまりにも都合が良すぎるか。

持ち続けることが意味を持つこともある。
国宝と呼ばれるものは歴史の中で持ち続けられたものばかりだ。
その背景にある人々の物語には、多くの人の心を動かすパワーがある。
流れゆく時の中でも持ち続けるということはとても大変なことである。
だからこそ尊いのだろう。

「明珠在掌」
大切なものはすでに手に持っている。
なんともない傘だったが、大切なものであったことは間違いない。
それは失って初めて気づくもの。
別れはいつも身近な大切なものを教えてくれる。

傘立てに取り残された自分の傘を思いながら。
せめてもの償いでここに記録を残したい。

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