読書感想文『ニーチェと哲学』

 ドゥルーズの『ニーチェと哲学』を読んだ。はじめてドゥルーズの著作を読んだのだが、かなり面白かった。私はドゥルーズ、及び彼がいた時代を食わず嫌いをしていたフシがあったのだが、食わず嫌いをしていたのがもったいないと思うほど良い本だった。

 昔から政治的文脈におけるドゥルーズは擦られ続けてきたテーマであり、私が彼、及びその時代を食わず嫌いしていたのもここら辺の理由に寄るところが大きい。しかし、それらから距離を置いて、単に哲学書の著者、すなわち哲学者としての彼の本を読むと、シンプルにとてもすごいと思った。我ながら急に語彙レベルが下がったが、「とてもすごい」が私の感想としてはしっくりくる。

 では、何がどのように「とてもすごい」のか。いくつか挙げられるが、まず感じたのは読みの深さ、鋭さである。『ニーチェと哲学』では扱うテクストの範囲がニーチェのほぼ全ての著作に及んでおり、これだけでも気合が入っているといえる。そして、彼はそれらニーチェのテクストを単に時系列(書かれた順)にそって解説を加えていくのではなく、自分の立場(の萌芽?)を織り交ぜつつ解釈していく。この解釈の手さばきが実に鮮やかで軽やかに感じた。
 具体的に説明する。させてください。『ニーチェと哲学』特有の描き方なのか彼の著作に通底する描き方なのか分からないが、少なくとも本書では大きなテーマがA,B,C,D、さらに小分けのテーマがそれぞれあるとした場合、単純にA1,A2,A3,B1,……と書くのではなく、A1,B1,D1,C1,C3,A2,A1(再)……みたいな形で進んでいく。最初は少し戸惑ったが、この描き方が実に面白い。このように行き来できるのは当然(あまりにも当然だが)、深く読み、深く考えたからにほかならないのだろう。

 この描き方もすごいと思ったポイントのひとつなので、もう少しつらつら書き連ねることにする。つい先程、「単純にA1,A2,A3,B1と書くのではなく、A1,B1,D1,C1,C3,A2,A1(再)……みたいな形で進んでいく」と書いた。この書き方ではA1とA1(再)は同じものと思われるかもしれない。しかし、私の感じたところでは、両者の間には明確に違いがあった。同じ場所でも違う地点から見れば全く違う景色になるように、A1の深さ、奥行きとでもいうべきものを感じた。より適切な言葉を探せば、A1がズレつつ重なるとでも言うのだろうか、そのようなものの集積として本書は成り立っているように感じた。散発的に、一見無秩序に見えるが、ズレつつ重なり合う関係の中で進んでいく。これがいわゆるリゾーム的というやつなのだろうか。知らんけど。

 他にもすごいと思ったところはあげればキリがないが、ん?と思ったポイントもあったのでそっちも挙げておこう。やはりというかなんというか、熱力学やら自然科学やらに言及しているところはよく分からなかった。おそらく本人は比喩としてではなく、むしろ象徴として熱力学やらなんやらの話をしているのだろうが、どう贔屓目に見ても自然科学の文法からの逸脱の仕方がハチャメチャで、かといってこれが哲学の文法の圏内に収まるのか…?と思った。もう少しこの辺りの言葉の使われ方には注意して読めば良かったかもしれないと思いつつ、とりあえずページを進めてしまった。

 あれこれ書いてきたが、総じてこの本はとてもすごいと思った。やはりこの地点に帰ってくる。もう少し他の本も読んで、この本にまた戻ってくる気がする。ドゥルーズも、そしてもちろんニーチェも、とても面白い。哲学することは面白い。それを肌で感じた一冊だった。

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