見出し画像

渡部昇一流『四書五経』の解釈 244

😈  友達の条件  (『論語』顔淵第十二)

🌏  文を以て友と会す。

友達とは、位とか金とか富ではなくて、
文と言われる教養とか趣味とかなどを介して合うべきである、
という意味である。
友を選ぶ基準として覚えておきたい言葉である。


【2024年4月27日(土曜日)曇り14℃〜22℃】


ふ〜ん

猫哲学は「気まま」が主体である。
が、人がこれをやってしまうと非難の的になってしまう。
だから、猫嫌いな人は絶対に猫を寄せ付けない。
それを見て猫好きな人は猫を慰める。
すると、猫嫌いな人は「ふん!、勝手にしやがれ!」と憤慨する。
私は猫は好きだが、猫に対しての好き嫌いはある。激しくはない。
ただ距離感が若干異なるのは確かです、
これは人にも当てはまります。が、
猫に対するような距離感を自分で作ることはげきません。
でも、人同士というのは不思議なものです。
「気」があるからでしょうか、自然そこに若干の距離が生まれます。
「気」は大事です。そしてこの「気」を磨くのは自分の心です。
金子みすゞという詩人がいらっしゃいました。
彼女の詩はまさにその「気」を書いたものが多かったですね。
しかし、彼女の人生は私の印象ではとても幸福には感じられませんでした。
「水清ければ魚住まず」と申すほどですから
人は清いだけでは生きられないようです。イエス・キリストもそうです。
だから、後世にその名が残ったのだと思います。
なぜなら、凡人の私たちは金子みすゞやイエス・キリストのような心は
持てないからです。だからこそ憧れを抱くのだと思います。
そこへいくとお釈迦さまはそれとは全く異なります。
「清濁合わせ呑む」ということを平気でやります。
これは凡人には難しい試練だと思います。
なぜか、人の心には裏表があるからです。
「顔で笑って心で泣く」ということですね。
もちろんこうなれるまでにはかなりの修養が必要です。
お釈迦さまはこのような修養を早くに身につけられたのです。
しかも自力ですから並ではありません。
だから、私は一刻も早くお釈迦さまに近づきたいのです。
では、本日もつつがなくお過ごしくだいさいませ。
ありがとうございます😄


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?