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希死念慮を抱えながら ー日米FTAから旧優生保護法に思いを馳せる。

最近、Twitterでよく流れてくる。

『#健康保険がなくなるかもしれない。』
『#日米FTA の可決によって、医療費が全額負担になるかもしれない。』

そんな話を興味深く眺めている。

いや、興味どころでなく危機感をもっている。私の2019年の医療費をざっと自己負担額に計算し直してみたら、60万だった。

命に関わる病気になったら、支払い困難により野垂れ死ぬしかない。

しかしどうやら、米国では既に医療費や保険についてはそういったものとなっているようだ。

日本の健康保険制度に改めて感謝をしたし、世界との常識の差に驚いた。

その際に日本医師会の比較が、とてもわかり易かったので、リンクを貼らせていただく。https://www.med.or.jp/people/info/kaifo/compare/


さて、最近の自民党の発言を見て。どうにも『福祉で国民を守ってくれない政治』と感じる事が増えている。

今回の件しかり、麻生さんの「老後資金2000万」発言しかり、子ども手当にもメスが入るらしいじゃないか。(まあ麻生さんの発言はもっと日本人に自らも資産運用してほしいという側面もあるとは思うのだが。)

そんな事を言いながら、一方で消費税は10%になった。

…増税は、福祉を手厚くする為じゃ無かったんだろうか?

そして「守られていない」違和感から思い出したのが、タイトルにも入れた「旧優生保護法」だ。

旧優生保護法(1948~1996)のもとで行われていた障害者の強制不妊手術。

冒頭だけ抜粋したが。

現在2019年。この日本という国が、ほんの23年前まで国が劣性遺伝子と定めた者を強制不妊させていた事には大変なショックを受けた。

こちらの記事によれば、戦時中は「堕胎法」により子供を堕ろしてはいけなかったそうだ。理由は兵士にするため。

ようやく気付いた。

日本は、命の選別をやめてまだ日が浅い国なのだ。

そう考えたら、納得がいった。

この国は、1946年の日本国憲法により、基本的人権の存在が定められているが、それは 生きる能力のある者=自ら金を生みだす事が出来る者の権利 なのだと認識する事が出来た。

この国は、まだ弱者のことを考えるまでに至っていないのかもしれない。むしろ、心の奥底では今も淘汰されるべきと思っているんじゃないだろうか。

自民党が目指している美しい国とは「優生遺伝子をもった賢い人間により作られる明るい未来」なのかもしれない。とすら考えてしまう。

今の日本に満足して、胡座をかいていたら。じわじわと負担が増え、私のような就業能力の低い人間は淘汰されてしまうのではないか。

むしろ、それが狙いなんじゃないか……。

今の日本人は、まさにパンとサーカスという状況なのかもしれない…。


さて、ここからは完全に蛇足だ。

なんとなく、生きづらい私には幼い頃から希死念慮があったように思う。

『私は何のために生まれたのか』
『何故、幸せな未来も築けないのに死んではいけないのか』

という考えが常にあり、答えの無いこれは誰しもが考える哲学だと思っていた。

けれど今の政治を見て、結局のところ「死んではいけない」なんていう事はまったくないんだなぁ、とどこかスッキリしている。

生まれた意味を「幸せになる」事にするのならば、私はこの国の中であらゆる義務を果たし、幸せを掴み取って天寿を全うする。と言うことに一旦答えを置く。

そして、自らその意味を遂行出来なかった場合は、不幸な人生に終わってしまっても仕方がない。


孤独死を社会問題のように話してこそしているが、この島国の中では、過激な言い方をすれば、ゆるやかなホロコーストが進んでいるような気持ちにすらなる。

何か宗教に熱心になる事ができれば、誰しも生まれた意味があると考える事が出来たのかもしれない。しかし様々な背景があって、私は心情としては無宗教になってしまっている。

そんな不安定な私は、旧優生保護法が今なお健在だったとしたら…その対象だったかもしれない。

ぞっとする反面、不謹慎な本音を言うと、いっそ、そうあってほしかった。

淘汰されるかもしれない、弱者としてなど生まれてきたくなかった…と思ってしまう。

ちなみに私は、投票には行くが政治に明るい訳ではない。

この記事は、注意喚起などではなく、『日本に生きてるのだからもうすこし政治について勉強しよう』と考えはじめた、単なる私の心境である。

少しでも、あなたの心に残れば幸いです。文章を書き続ける勇気をもらえます。