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コーヒーは飲みませんが、コーヒーを飲む時だってあるんです。

言葉の難しさって、生きていく中で感じることないですか?

私はどうも「コーヒー」と言う種類の飲み物がかなり苦手です。
苦手と言うよりも、生理的に受け付けられない部分があります。

どういうことかというと、例えばわかりやすい目安として、私はコンビニのコーヒー一杯分くらいを飲んでも全く問題ない人に比べ、半分くらいの量を飲んだあたりから頭痛が起こったりします。生理的にあまり飲めない体質。

それに加え、どうもブラックコーヒーの苦味と酸味が苦手なようで、壊れている食べ物には酸味が伴うようなあの感覚で苦手です。かといって、すっぱいレモンや苦味のあるビターチョコレートなどには旨みを感じるのだから不思議です。

しかしそんな「コーヒー飲みます?」と聞かれたら、「大丈夫です。」と断るような私にも、コーヒーを飲む時があったりします。

これは言葉のあやと価値観について書きたかったのですが、「コーヒーは飲みません。」「コーヒーはあまり好きではありません。」という人にとっての「コーヒー」の定義と、「コーヒーはお好きですか?」と聞いた人にとっての「コーヒー」は別物である可能性があるということがいいたいのです。

「コーヒー」と一概にいっても、一般的な意味で使われている場合は「ブラックコーヒー」な事が多かったりしますが、「コーヒー」にも種類があり、「ブラックコーヒー」に限らず、「カフェラテ」、「エスプレッソ」や「浅煎りされたコーヒー」もまた、「コーヒー」だったりするわけです。

「コーヒーはお好きですか?(ブラックコーヒーお淹れしましょうか?)」
「(ブラックコーヒは)大丈夫です。」

こんな具合の会話も少なくないのです。

さきほどからもっと話を広げると、その場面で使った「コーヒー」の定義が、状況や場面が変わることによって、全く別の意味になったりすることがあるというお話をしたいと思います。

その人のとある側面を一部見ただけで、なにか判断を下してしまうのは、あまりにも早すぎるのかもしれない、というお話です。

「コーヒー」なんですが、飲めない、好きじゃないからと言って、その場で飲まなかった「ブラックコーヒー」を、違う場所では「カフェラテ」としての「コーヒー」で飲んでいる時もあるのです。

以前コーヒー豆の浅煎り専門店に連れて行ってもらったときに、店主さんに「コーヒーを飲みすぎると頭痛がします。カフェインの取りすぎはだめなんです。」と伝えたことがあります。
その際に店主さんは、「普段はどんな飲み物を飲んでいるの?」と聞いてくれました。幾つか私が挙げた飲み物の中に、「紅茶」があったんですね。店主さんは「紅茶のカフェインも強いほうだから、きっとそれは頭痛になるお店が使っているコーヒーの豆がよくない豆を使っているんだよ。」と教えてくれました。

そのお店のコーヒー豆は店主さん厳選のコーヒー豆で、度々気になる豆を仕入れてみたり、グランプリで上位をとったものを少量仕入れてみたりしているので、その時々でメニューのコーヒー豆もころころ変わるのだそうです。

当日私はいままでになかった、連続で四種類ものコーヒー豆の浅煎りを飲んでみるという体験をしました。

まるでとても香りのいいフルーツティーを飲んでいるような感じで、とてもリラックスのできた居心地の良い時間を過ごす事ができました。

人生の中で始めて「コーヒーってこんなに飲めるし、美味しいものなんだ…!!!」と思ったのが印象的で、丁寧に一杯一杯煎ってくれる店主さんも好印象でした。

話はまた少し戻り、一側面だけで判断を下すのは早いこともある、というお話です。
本来この世に正しいも悪いも特に存在しないはずなのですが、人は何かと自分の価値観にもとづいて判断を下していることがほとんどです。

この人は「コーヒー」は飲まないと言ったのだから、「コーヒー」全般が好きではないのだろう、と思われてしまうことだってあるということです。

それは私が今回チョイスしてヘッダーにした写真にも言えることなのですが、「ブラックコーヒー」を飲むこと自体はあまり好みませんが、このような情緒溢れる珈琲専門店などは、建築物として好きなのです。「コーヒー」をあまり飲まないからといって、別に「コーヒー」に関するもの全般を否定している訳では全くないのです。

私は普段からブラックコーヒーを飲む習慣はありませんが、スイーツに合わせて頼むコーヒーは好きです。(確かにブラックではなく、カフェラテなどを頼みますが。)

その他にも、一概に「コーヒー」と言っても、やはり浅煎りをしてくれた店主さんの言うように、「コーヒー」の種類やお店にもよります。

STARBUCKS RESERVEのドリンクメニューに載っている「ナイトロ コールドブリューフロート」を、始めてみた時は反射的に拒絶したので視野には無く、スタバのなかでもRESERVEに来ているにも関わらず、ココアを頼んだのですが、ある日「ナイトロ コールドブリューフロート」をご馳走してくださった方がいて、その機をきっかけに、飲んでみることが出来たのですが、「美味しい!!!」とビックリしました。

その時に改めて、「良い豆」と「悪い豆」を使っているから差がでる、という店主さんの言い分を受け止められたのでした。きっとコーヒーを淹れる方の腕前もあるのだとは思うのですが。

言葉のあや、人は自分が思っているよりももっと複雑な思考をしているのかもしれないということ。また、その複雑な思考を逐一言葉に直して表現していかないと、一ミリたりとも相手にその考えは伝わっていない可能性のほうが遥かに大きく、時に人はそれが損に繋がっているのかもしれない、ということ。

たまに本当は思考がたまねぎのように何十にも、何百にも重なっているのに、薄っぺらい表面の皮だけみせるような場面に出くわしたことも幾つかあるわけです。ときにそれは、形にもなっていない。

確かにそれは魅せる人の力量と、観る側の人の力量がないと成り立たないことではあるのですが。

少しでも深みが分かるようになったら、人生もっと醍醐味ありきになるのかな、と思うので、もっと色々なことを味わいながらゆったりと人生進んでいこうと、ふとこの写真のレタッチをしようと思い、していた時に思いを馳せ、この記事を書き出しながら、私が色々と改まったというお話でした。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

P.S.浅煎りコーヒーのお店は写真のお店ではなく、台湾の台中にあるお店でした。写真のお店もそうですが、日本の歴史ある瓦屋根の建築物、私は美を感じて結構好きです。日本家屋も好きですし、お寺なども細部まで美が詰まっていると思うので好きです。

好ければよろしくお願いします・*