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歪に書き上げた映画感想文(-9日)

映画の感想を書くのが苦手だ、
とnoteに書いて、そういえばなんでこんなに苦手意識があるんだろうか…と今までの自分を振り返ってみた。
1番に思い出したのは、大学1回生の時の講義の記憶。
とある曲を聴くと思い出す、懐かしいあの講義。


大学一回生の時、学籍番号順に割り当てられた10人程度のクラスで毎週講義があった。
私のクラスを担当する教授は、定年間近のお爺ちゃん教授。(いつも、にこ〜!と朗らかな笑顔で優しそうな教授だった)

各クラスでの講義内容は教授が決めているようで、他クラスでは文学部らしく、日本語の成り立ちや方言、はたまた文学作品に関する内容だったり、明らかに今後とるであろう講義の予行演習のようなことをしていたらしい。(これは後に知った話)


でも私のクラスはそれとは大きく異なっていた。
講義内容を事細かに覚えてはいないけれど、
「今日はまるっと自習です!帰りたい人は帰っていいぞー!」なんて日もあった気がする。(それくらいフリーダムだった。)


そんなフリーダム講義の中で1番印象に残ってるのが、
まるっとひとコマ分の時間を費やして、みんなで一本の映画を観たこと。

フィルムで撮ってるような画質の荒さ。
いかにもなステレオ音楽。
ミュージカルみたいに大袈裟な身振り手振り。
そんな古い海外の映画。



『俺たちに明日はない』

「これは1930年代、アメリカで実在した人物をモデルにつくられた映画です」
DVDを掲げながら、お爺ちゃん教授はたしかそんな簡素な説明をした。

「いまからこれをみんなで観ましょう」

唐突な展開に思わず、え!?と声を出してしまった気がする。
そして同時に、映画を観てひとコマ過ごせるなんてラッキー!と思ったのも覚えている。

大学生の私は今と変わらず、やはり映画というものにあまり興味関心を持っていなかった。
「好きな映画は?」と尋ねられると、それほど映画をみていなくて……と前置きを告げた後に、「バックトゥザフューチャーかな……」と遠慮がちに答えるのが私のおきまりだ。(もちろん今でもそう)

バックトゥザフューチャーは昔から好き。
わかりやすくて面白いストーリー。わくわくする展開。魅力的なキャラクター。
それに加えて、現代にも通用するような映像作品としての技術、工夫が詰め込まれていて、細かな部分をみたときに思わず関心してしまう、そんな映像作品としての面白さを感じる。


常に"客観的に物事を捉える視点を持つ"ことを大事だと考えているからなのか、
映画を見るとき、ストーリーの次に映像作品としてどう面白いか、という作り手、いや評論家みたいな視点でみてしまう。(ちなみに映画制作の知識は皆無)

『俺たちに明日はない』もそうだった。
昔の映画、そんな簡素な説明を受けて見る作品は、私にとっては謎解きのようなものだった。
作品ができるまでにどんな背景があったのか、カメラはどうしてこの画角をぬいているのか、部屋の照明や天気が表すのはだれのどんな心情か……

カメラは作品を受け取る側の目であり、
作り手が見せたいものを映す目だ。
つまり、
目の前のスクリーンいっぱいに広がる映像の中に作り手の本意がある。
作品の、謎解きの答えがある。
無駄なシーンなんてきっと、ひとつもない。


作品の内容はいまでもぼんやりと、覚えている。
有名な大犯罪者、ボニーとクライドのお話。
互いに惹かれ合い、心満たされる日々を過ごす二人。
その煌めきは永遠にすら思えた。
でも終わりは一瞬で、あまりにもあっけないものだった。
悪いことをすればバチが当たるんだと、最初はそんな簡単な感想がよぎったけど、
この作品をそんな言葉で終えてしまうのは思考を止めることと同意だと思い、すぐにその言葉は飲み込んだ。


映画を観終わって、最後の衝撃的なシーンについてぐるぐると考えていると、

「はい、皆さん長時間お疲れ様でした。」
にこーっといつもの笑顔で教授は言う。

「では、宿題を出します。次回の講義でこの感想を書いてきてくださいねー!」

と、これまた唐突な展開が待ち受けていた。

いままでこの講義で課題なんてほとんどなかったから完全に、油断していた。
かくして、私は生まれて初めて、自分以外の人に読んでもらうための「映画感想文」に取り組むこととなった。



映画をまるっとみて頭に強く残ってるのは、やはり最後のシーン。
(これも後に知ったけど、この映画のラストは衝撃的な名場面として有名らしい)

謎解きの答えを必死に見つけ出すように、私はとにかく映画で気になった場面をひとつひとつあげていった。(8年も前のことなので、思い出して書くことはできないけど…)
言葉で説明されない心情描写を、照明、音楽、表情、声色、会話の間から読み取り想像する。
説明のない場面でカメラは何を写していたのか、重要なシーンで何が写っていたのか。
そしてそこから何を読み解くことができるのか……

そんな映像技法の潜在的表現を自分なりに解読して、それらをつらつらと書き連ねていった。
教授に渡してしまえばこの課題は終わり。晒されるようなものじゃないのだから、思い切り自由に書いちゃえ!と、案外楽しく書いてた気がする。


そして来たる課題提出日。
講義が始まるやいなや、皆そそくさと感想文を手に取る。
そしてその様子をみた教授はお得意の笑みで話し出す。

「では、今からその感想文を一人一人発表してもらいます!」

…先週に続き、予想だにしなかった講義が始まったのだった。





文章、ましてや自分の思ったことを書く場合、自分に正直でなければ書けない。
それが例え映画感想文だとしても、私が書き上げたそれは、わたしの内側を映し出す鏡だった。だからこそ、この感想文を読み上げる、だなんて恥ずかしくてたまらなかった。

焦りと不安で内心プチパニックに陥っていたが、幸い(?)にも席順での発表だったため、順番的に私は最後から2番目くらいだった。
心を落ち着けるために全神経を集中させて聞いた皆の感想は、流石文学部の生徒…(私もそうなんだけど…)と言った感じで、映画の時代背景を踏まえて自分の感想をとても上手く文章化した感想ばかりだった。

ひとり。またひとり、と感想を述べるたびに私は居た堪れなくなった。
感想発表の途中で講義が終われば感想発表は次に持ち越しになる!そうなれば書き直せる…!時計の針よ早く進め…!!!
ただひたすらにそればかり願っていた。
それほどまでに、私が書き上げていた"感想文"は、誰がどうみても"感想文"ではなく、"映像表現考察文"だったからだ。
皆が時代背景や主人公であるボニーとクライドについて調べて、実際の史実も踏まえて感想を述べてるのに対して、私は自分の考えしか書いてなかった。
そう、私が書き上げたそれは、明らかに場違いのものだったのだ…

そして願い虚しく、順当に私の番が回ってきた。


私はただ、目の前の原稿だけを見つめて、口早に読み上げた。
誰の目も見れなかった。
きっとみんな、「この子の感想おかしくない…?」って眉をひそめて聞いてるに違いない…あまりの可笑しさに笑ってる子もいるかもしれない…
もしかしたら教授は顔をしかめてじっとこちらを見ているのかも…
そんな考えが頭を支配していた。気付くといつのまにか原稿は読み終えていたし、心臓はバクバクと脈打っていた。

あぁ、誰も何も言わずに早く終わって………
読み終えた後は、ただそれだけを祈っていた。



無事(?)時間内に皆の感想を聞き終えたあと、教授は皆の感想に対して何かを語ったりはしなかった。否定も肯定も、答え合わせもなかった。
嬉しいような、物足りないような、、
そんな気持ちが少しだけよぎったけど、今はそんなことよりも一刻も早くこの場から立ち去りたかった。



終業のベルがなったと同時に私は急いで荷物をまとめて部屋を出た。

…よかった。
誰にも何にも言われなかった。

私の内側を映した鏡のような文章は、幸いにも誰にも何も言われなかった。いや、言わせなかった。
明らかに皆と違うことを書いていたこと、
皆と違う着眼点で場違いな感想を書いていたこと、

私が書いたそれが、皆と違うのははっきりくっきりわかった。
皆の前で発表して、皆に知らしめた。
私は、おかしいんだって。

それでも、私の一部でもあるこの文章を笑う資格は皆にない。
私の文章を笑っていいのは、私だけだ。


恥ずかしくて堪らなくて、頭の中にいろんな感情が湧いて出て、それらを抑えるのに必死になっていた。
だから、私の後を追ってきていた彼女の存在に、声をかけられるまで気づかなかった。


「◯◯ちゃん、、!」

急に呼ばれた自分の名前に振り返ると、
さっきまで同じ教室にいた女生徒が駆け寄ってきた。

ほとんど話したことのない子だったけど、いつも真面目に授業を受けてる子だな、という印象を持っていた。
さっきの感想文発表でもまるでお手本みたいな綺麗な文章だった。

呼び止められた意味がわからず、忘れ物でもしたっけ…?と飛び出してきた教室の様子を思い返していると、

「さっきの、映画感想文!」

と、思わぬ単語が飛び出てきて私は固まってしまった。


誰にも何も言わせないために一目散に教室を出たというのに。
この子は、私に言葉の刃を向けるつもりなのだろうか。
そんな不安と苛立ちが混ざった感情で固唾を飲んで、あらゆる悪口を面と向かって受け止める覚悟を、した、




「すっごく!よかった!!!」


…どうやら予想外のことがあると、人は本当に固まってしまうらしい。
彼女が発した言葉が自分に向けられているとは思えず、その場に私と彼女しかいないのに、「え、私……?」と思わず聞き返してしまうほどに混乱していた。

「みんなの感想聞いて、◯◯ちゃんのが1番関心しちゃった!!表現ひとつからあそこまで読み解くのすごいね!そういう考え方もできるのかー!ってすごいなー!って思ってた!」

明らかにみんなと違う私を、彼女はおかしいと笑うんじゃなくて、認めてくれたその事実が嬉しくて堪らなかった。
でも、予想外の褒め言葉に、私は素直に感謝を伝えることができなかった。
「いや、そんな、、、私すごく的外れなこと書いちゃってたし、、感想としては◯◯ちゃんの方が上手く文章化してたし…」
彼女が悪意を持って声をかけてきたんじゃないかと、さっき一瞬でも疑ってしまった自分に罪悪感を感じ、しどろもどろになりながら言葉を返した。

「え!?でも他の子も◯◯ちゃんの感想すごいね…!って言ってたよ!文章書くの上手いんだね〜!…あ!急いでたよね!?ごめんね!これだけ言いたかったの!じゃあね〜!!」

それだけ言って彼女は反対方向に走り去っていった。

彼女が嘘で人を褒めたりするような人でないことは、私も知っていた。
嘘偽りない私を映し出した鏡のような、自称”感想文”
それを彼女は、まっすぐ認めて、褒めてくれた。
お手本みたいに綺麗な文章を書いていた彼女から褒められたことで、自分が書いた感想文を誇らしくも思えた。
私は容姿や中身よりも私の発言や文章、ひいては私が思いを形にした言葉を褒められることが何よりも嬉しかったから。




文学部には才のある人が山ほどいた。
そんな中で、私の言葉や文章が好きだ、と言ってくれる人が彼女の他にもいた。

そんな人たちから貰う言葉が何よりも嬉しくて、そんな言葉を貰う度に背中を押された。
だから、私は今もこうして文章を書き続ける。


そして、私はやっぱりあの講義で思い知ったのだ。
私が書く映画感想文は、他の人と同じものになれない。画面の外側、物語の外枠を意識してしまうから、どうしても歪なものになってしまう。
文章を書くのは好きだけど、
"映画感想文"は苦手だな、と。


この曲を聴く度、あの講義を思い出す。




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