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バイリンガル教育の先にあるものとは

英語を使って仕事をする
をもう一度やってみようと思って職場復帰した、あめだまです。

めっちゃキラキラした話をするつもりもなく、ただ思ったことを記録しておこうと思うこのnote。

英語で仕事をする、「私」の視点から書いているので、
英語を使ってほんとキラキラした仕事をされている方とかいたらすみません。

今何仕事してるんだよ、と言う声が聞こえてきそうですが、職務上言えないので割愛します。

質問です。英語を勉強して何したいですか。

私、英語はそこまで得意ではなかったんです。(よくあるはなし)
大学も英語の点数が振るわず、滑り止めでギリギリ大学入学した人間です。

「このままじゃまずい、就職できねえ、何か食べていくために稼ぐ武器必要」
そう考えて、親にお金を借りてもらい、半年アメリカのとある大学にある第二言語教育プログラムに参加。日常会話話せるかな、くらいになって戻ってきました。

私が英語を勉強する理由は「仕事をして生活を維持するために、お金を稼ぐため」
これは18歳で留学行くぞ、と決めた時から時から10数年経った今でも変わらない軸です。

そんな私が最近考えているのは、我が子の英語教育。

18歳でとりあえず人生の軸を仮決めした

振り返ると、正直「日常会話ができるレベルの大学生」なんて企業は求めていないのは今は知っています。だから面接官は皆聞くわけです「英語を使って⚪︎⚪︎さんはどのような社会人になりたいですか」って。

その当時、そうそう英語できるだけじゃ、稼げない、と痛感したわけです。
今何をしているのかって言うと、IT周り、それもニッチなインフラ系。
一昔前なら、「未知識未経験でもOK」と言うそういう業界です。
「よし私は真っ白だ、だからこそ未知識未経験でも雇ってくれる業界にいこう、学業の延長線で、じいちゃん時代でいう丁稚奉公のようなもんだ、学びながら給与いただけるなんて素晴らしい。行くぞ東京!」と、そんな勢いイェイ!って感じで上京したのです。

「普通こうではないか」は自分の固定概念

自分の持っている固定概念たる「普通」は通じないのが現実社会
これを学べたのは20代の社会人経験で良かったことでしょう。
「⚪︎⚪︎さん、英語話せるでしょ、電話(対応)よろしく」
素直に「かしこまりました!ところでその内容ってこれであってますか」
前に進めていくための前向きな姿勢

「英語」の前にいわゆる人間力が試されるわけです。
英語が使えるのはひとつの能力で、他の人は技術レベルが非常に高いからギブアンドテイク。

「英語ができる」「有名大学を出ている」からといって「仕事ができるわけではない」のは真実だと感じている今日この頃。
私も含めてですが、英語が話せる人というのは自信過剰なところが多く、大袈裟な表現が多くて、あまりに強すぎると嫌煙されがち。強引に進めがち、「なぜ」と詰められることが多々あり。企業様の風土・文化などに適宜自分の動きを合わせつつ、進めていく柔軟性が時に求められます。
ここの自己調整ができる人かどうかは、英語を話す話さないに関わらず仕事をしていくなら必要なこと。でもこれ気にしていないのか、超グイグイくる系の人が多いのも確かです。調和は特に日本社会で生きていく上である程度は大切。なので時々一歩引いて観察して物をいう、くらいのことをするのも日本社会では必要なのだなぁ、と思うこの頃です。もし今のような日本で生きていくならですよ。まあ20年後はドラスティックに変わってるとしても、生き残ることを願います。

言語とは文化である

というはよく英語学習者の中で聞く言葉で、外国籍の同僚からもよく聞く話です。日本で働くならば日本の文化に従う。

さあ、ここまでの話から、我が子にどういうアプローチがいいのか、と思うと英語よりも重要なことがあるよな、というのがまず一つ思うところ。

耳を鍛えるのは幼少期からの方がいいというのは知っているので、もう赤ん坊の時から聞いて次女は1歳半にはABCを歌い始めるように。
バイリンガル教育って地道な物だと思うのですよ。

どういうところで仕事をしたいか

をイメージするのはしていてもいいと思います。
もし日本国内で働くことをイメージするならば、今幼少期の我が子たちが20歳を迎える頃、おそらく日本語を話す外国籍の人も増えていることでしょう。(期待)でもですね、重要なのは「姿勢」や「態度」だったりするのです。英語は話せる、話せない問わず「笑顔」や「表情」というのは外国の方は本当によく見ています。「アイコンタクト」然り、「口角が上がっているか」とかね。あとは日本語の話し方。若者は非常に早口で確認の時に「〜じゃないですか」という「否定的な言葉」を使いがちという印象はどこかで感じる昨今。
日本人同士の会話なら許容範囲ですが、もし外国籍社員と働く機会があるなら、若者たち、日本語の話し方を学びましょう。英語で「〜じゃないですか」と似た意味の英語がパッと思い浮かぶならいいですが、同じくらい日本語を学ぶ外国籍の人もその「否定的な確認」を認知できる人は超上級者です。なんなら日本語の説明を英語でできるように、を念頭に英語の勉強をしたら日本語がシンプルになって外国籍の方に通じやすい日本語になると思います。

もし国外に出て働くのであれば、日本に来ている外国籍の方と同じ立場で外国で過ごし、「郷に従う」柔軟性が試されます。

バイリンガル教育、とかよく耳にする昨今。実のところ言うと、本当に求められているのは、「相手に何を伝えたいか」とかコミュニケーションのところや、人間力なのかも、なんて思います。

業務上、多くの外国籍社員と話をする機会に恵まれ、かつパートナーにも恵まれる業務の中で、この先20年後もおそらく変わらない物だろうな、と思うことは案外これまで大切にしてきたものだと思います。

英語も大切だけど、「中身」が大切。

私は、血も滲むような(?)10年を経て、今に至るのですが、小さい頃の英語は遊びくらいでいいと思うのです。それ以上に大事なことってある。
感受性を養うだとか、興味のアンテナを広げるだとか、実際外国人の人と会う体験も興味を広げる、視野を広げることに繋がりそうです。

「英語ができる」人を同じテーブルに乗せた時、「どの人を配属させようか」となった時を想像してみてください。
もう今テーブルには国籍が関係なく、テーブルに並んでいます。

就職活動とはお見合い、と言うのはほんとだな、と思います。
「一緒に働きたい人」ってどんな人、はその環境により多少異なるかもしれませんが、コミュニケーション力、素直さ、前向きな思考はどこでも重宝されるのでは、と思います。

以上、バイリンガル教育の考察でした。


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